「第20話・日本人は単一民族か?」

新カリスマのルーツを探せ・第19話「日本書紀の創作・その2?」

 『日本書紀』では、仲哀(ちゅうあい)天皇・神功(じんぐう)皇后という夫妻を応神天皇の両親としてある。この二人も人間でなく、661年、皇極=斉明天皇が百済再興のために博多滞在中に、その陣中に顕現(けんげん)した神々で、香椎宮(かしひのみや)の祭神である。『日本書紀』では、仲哀天皇と神功皇后は、港から港へ海上を遍歴するが、これは皇極=斉明が倭国の宮廷を伴って、難波から「なの津(博多)」へと航海した史実を反映したものである。また、『日本書紀』が神功皇后の本名とする「気長足姫(きながたらしひめ)」は、皇極=斉明の亡き夫・舒明(じょめい)天皇の本名「息長足日・広額(おきながたらしひ・ひろぬか)」を女名前にしたものである。

 仲哀天皇は、『日本書紀』では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子になっている。『日本書紀』が伝える日本武尊の事跡は、東国、ことに伊勢・尾張・美濃に関係が深いが、これは天武天皇の行動を下敷きにしている。672年の壬申の乱では、天武天皇は奈良から伊勢に脱出し、美濃(岐阜県の中部・南部)・尾張(愛知県の西南部)で東国の軍勢を集めて、近江(滋賀県)の大津の大友皇子の朝廷を倒した。

 『日本書紀』の皇室系譜では、第10代の崇神天皇(すじん)の息子が代11代の垂仁(すいにん)天皇、垂仁天皇の息子が代12代景行(けいこう)天皇になっている。景行天皇の息子が日本武尊である。

 『日本書紀』が、この三代の天皇の事跡として語る物語は、すべて舒明(じょめい)天皇・皇極=斉明天皇・孝徳(こうとく)天皇・天智天皇・天武天皇の時代に実際に起こった事件をモデルとしている。

 第10代崇神(すじん)天皇以前の、第2代の綏靖(すいぜい)天皇から第9代の開花(かいか)天皇にいたる八代について、『日本書紀』に書いてあるのは系譜だけで、事跡らしいものはほとんどない(欠史八代)。

 『日本書紀』は、初代の日本の天皇を神武天皇とする。この神武天皇も、壬申の乱の最中に、初めて大和の橿原(かしはら)で顕現(姿形が現れる)して、天武天皇派軍を助けた神と言われている。この史実は、『日本書紀』の「天武天皇紀」に、はっきり書いてある。いわゆる「東征」の物語では、神武天皇は九州南部の日向(ひむか)から大和の橿原に移動して、そこで即位する。この物語で、神武天皇が熊野上陸以後、吉野を経て大和に入る経路は、壬申の乱で天武天皇派軍がとった経路そのままである。

 同じく壬申の乱で、天武天皇は東国への脱出の途中、伊勢で天照大神(あまてらすおおみかみ)を遥拝(ようはい)した。この天照大神は、この時初めて中央に知らしめた神なのである。『日本書紀』の最初の二巻である「神代、上・下」の神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)と言う夫婦の神々が結婚して、まず日本列島を産む。次に、海・川・山・木の神・草の神を産む。そのあとで、天下の主たるべきものとして生んだ日の神が、天照大神である。天照大神は、自分の子孫の天津産火(あまつひこ)ニニギノミコトを、地上の日向(ひむか)の高千穂の峰に降下させる。その曾孫(そうそん)が神武天皇である。

 このように天照大神が、『日本書紀』の神話で主役を演じ、皇室の祖先神となるのは、天武天皇が天照大神の信仰を採用して、新生日本のアイデンティティの中心にすえたからである。日本国と日本の歴史は、斯(か)くして誕生したのである。

「日本人は単一民族か」

   さて、日本人は純粋な大和民族であって、古来、外国からの影響にあまり侵されていない。だから、優秀であり、今日、世界で一目もおかれている。と思いたいのが、がしかし、、残念ながら、歴史の事実をたどれば、日本人が単一民族であることは実証できない(一目置かれているかどうかは知らないが、そこそこ優秀であるというのは当たっているのかも)。

 それではわが国のアイデンティティの根幹は何かというと、それはもちろん「歴史」である。「お前は誰だ」と聞かれれば、名前を言う。名前には姓がある。姓は親から受け継ぐ。つまり自分が誰かと言うことは、祖先が誰かと言うことで、言いかえれば歴史である。どんな歴史が自分を作ったかと言うことが、自分のアイデンティティのすべての出発点になる。

 個人ばかりでなく、国家も同じだ。できたばかりの国家が、なによりも先に手をつけるのが、歴史を書くことである。歴史を書かなければ、自分たちがどういう人間で、どうゆう国かということが決まらない。これは、現実の政治の問題だ。国の舵取り、皆で力を合わせるためには、歴史がないとどうにもならない。歴史がなければ、それは「神話」になるだろう。「日本人は単一民族か?」続く。

[その20でーす] /welcome:

 皆さんは、アメリカ合衆国のように建国から200年余りしか経っていない新しい国に於いて、立派な神話があって、尚かつそれが歴史の代わりをしている、と聞かされると、ひょっとして「眉唾ものじゃん」って、感じられるかもしれない。

 アメリカでは、メイフラワー号に乗って来た人々の間には(例のピューリタンの)、ありとあらゆる職業の人々がいて(動物が乗ってないようだが、それでもノアの方舟のようじゃね)、それらの人々がアメリカを創った、と言う神話。勿論、冷静に考えて見ればそんなことはあり得ないし、アメリカの高校の歴史教科書のどこにもそんなことは書いてないそうである。だが、それでも、それが普通のアメリカ人の見方、考え方なのだ。

 アメリカのもう一つの神話は、合衆国憲法には、人類の歴史始まって以来の最高の政治的知恵が結集しているという、このイデオロギーが、アメリカをアメリカたらしめている。合衆国の建国以前にはアメリカもなく、アメリカ人もいなかったのだから、こうした神話が必要になる(世界にはその様な例はごまんとある、のかな?)。

 この事情は、日本が実際に建国された7世紀でも同じようなものだった(神話での建国は神武天皇の前7世紀)。それまでの日本列島は、いろいろな起源の人々の雑居地帯で、住民の間には意識の統一も、文化の統一も、言葉の統一もない状態だった。そういうところで建国が行われたのであった。歴史という神話で、それを作り上げることで、自分たちは皆、日本人であると言う、それまでなかった意識を植え付けることであった。何しろ、「日本」と言う国号自体がなかったのだから。

 歴史が始まったばかりの日本で、日本というアイデンティティ(己の正体というか)を創りだすために行われたのが、歴史編纂だ。こうして作られたのが720年に完成した『日本書紀』だ。通説では、『日本書紀』より8年前の712年に『古事記』ができたことになっているが、これは”嘘”です。『古事記』は、実際にはそれより100年後の平安朝の初期に作られた偽書だ(ほんとうかな?)。成立の事情からも、内容の豊富からいっても、日本で最初の歴史書は『日本書紀』なのだ。

 『日本書紀』の特徴は、編纂の当事者達が直接経験している時代に初めて制定された「日本」という国号を、紀元前660年の神武天皇の即位の時まで遡らせて適用している。これは史実の歪曲(わいきょく)だが、この書き方によって、日本列島は大昔から「日本」という、一つのはっきりした政治的区域であって、その住民はすべて天皇家が統治してきたのだということを主張している(古事記がなぜ偽書かは、岡田英弘先生の説をいずれ開陳します)。続く。

ちなみに、わたくしは『日本書紀』は一度も読んでいません。それに、『古事記』は、阿刀田高氏の「楽しい古事記」を一回切り読んだだけです(ーー;)。いずれあのこむつかしそうな3巻セットの『古事記・訳本』を読んでみるつもりです(一応家の棚に”積ん読”してあります)。とにかく、おわかりとは思いますが、断章に終始しているということをここで表明しておきます(それが正太郎HPの正太郎であるところの所以なのですが)。