さて、この668年、または670年という年代はなにを意味しているのだろう?
『日本書紀』によれば、668年は、天智天皇が近江の大津の京で即位した年だ。そしてもう一つ大事なことは、同時に「近江律令」という日本最初の成文法典が制定されたということ。
『日本書紀』の「天智天皇紀」には、律令の制定に直接ふれた記事はないが、671年の正月頃の、新しい冠位と法度(はっと)を施行した記事の下に、細字の注で「法度・冠位の名は、つぶさに新しい律令に載せてある」と書いてあり、これが『近江律令』であることは確かだ。そして、同じ項には、冠位と法度だけでなく、太政大臣・左大臣・御史大夫(ぎょうしたいふ)という、中央政府の官職が初めて任命されたことを書いている。
さらに、その前年、670年の2月の項には、「戸籍を造った」とあるが、それが日本最初の戸籍である「庚午年籍(こうごねんじゃく)」だ。
これは重大なことだ。「天皇」という王号と、「日本」という国号が同時に現れ、最初の成文法典と全国を通じた戸籍が出来ると言うことは、要するに日本の建国であり、天智天皇が創業の君主であったと考えなければならない。
それではなぜ、天智天皇はわざわざ日本国という国を創ったのだろうか。その理由は、その前後の国際関係からわかるだろう。
660年、唐は大艦隊を派遣して韓半島(朝鮮半島)の西南部を支配していた百済(ひゃくさい・くだらともいいます)王国を攻撃して、これを滅ぼした。この時韓半島の東南部にあった新羅(しんら・しらぎともいいます)王国が唐と協同して作戦をたてている。
その当時の倭国の王は、女王である斉明(さいめい)天皇で、天智・天武兄弟(なかのおおえとおおあまのおうじ)の母だ。斉明天皇は百済の滅亡に直面して、倭国に来ていた百済の王子・扶余豊璋(ふよほうしょう)をおしたてて、百済王国の再興にのりだす。翌年の661年、二人の息子をひきつれて、全宮廷あげて博多に移り、大本営を設けた。
しかし、斉明天皇は博多で崩(かむあが)った。『日本書紀』の「斉明天皇紀」には、朝倉の木を切り払って宮殿を作ったので、神が怒って宮殿の建物を壊したり、宮中に鬼火が現れ、天皇の側近に病死するものが多かったりしたこと、また天皇の死後、朝倉山の上に大笠を着た鬼がいて、喪列を見物していたことを記していて、当時の異常な精神的状況を伝えている。
倭人にとっては、韓半島と中国だけが世界だったので、アジア大陸を席巻(せっけん)する大帝国の唐と敵対関係になったので、ヒステリーになるのも当然だろう。斉明天皇が百済の復興を果たせずに亡くなった後、皇太子だった天智(中大兄皇子・なかのおおえのおうじ)天皇が意志を継いで、百済救援を指揮するが、2年後の663年、白村江(はくそんこう・はくすきのえともいう・現在の錦江)の河口で、倭人の艦隊は唐の艦隊に大打撃を受けて全滅する。それを境にして、倭人は韓半島から追い出されて、日本列島に閉じこめられてしまう。
次回は、「百済・高句麗の滅亡」です。
その後、668年、皇太子(ひつぎのみこ)の中大兄皇子が天智天皇として即位する。この年、唐の軍隊は、今度は満州から韓半島北部にかけて支配した高句麗王国を攻め込んで、首都平壌(へいじょう)を占領し、高句麗を滅ぼす。しかし唐は、百済・高句麗の故地をそのまま占拠しないで、すぐ遼河の西に引き上げる。その結果、ちょうど現在の北緯38度線を境いとして、韓半島の南部は新羅王国によって統一され、遼河(りょうが)から東、38度線から北は、力の真空地帯になった。
百済・高句麗の滅亡という、この事態が、倭人にとっていかに重大な危機だったかということは、今からでは、ちょっと想像もつかないだろう。日本ではつい近頃まで「世界の孤児になる」なんぞと、よく言われたのだが、この7世紀には、倭人は、世界帝国の唐と、あらたに韓半島の南部を統一した新羅という、この二大敵国に直面したが、その他に外国と言うものを知らなかったのだ。
それだけではない。倭人はそれまで、日本列島だけに頼って生活を立てていたのではなかった。倭人が必要としたテクノロジーと人的資源は、アジア大陸から韓半島経由で輸入して、経営してきたのだった。倭人にとって、大陸との経済関係、貿易が、王権の基盤であり、社会の基盤だったのだ。それが、もはや頼れなくなってしまった。
それまでの倭国は、まったく西向きであって、大阪を経済の中心とし、北九州にかけて港々を押さえているという形態の海洋国家だった。それが、アジア大陸から切り離されたために、、にわかに東国に力を入れ始め、西向きから東向きに方向を変えた。そして、そうした変化がちょうど「日本」と言う国号、「天皇」という王号の出現の前夜に起こった。これが関係ないわけがない。ゆえに、天智天皇の即位のあった668年が、日本建国の年であり、天皇位の始まりの年でもある。
次回は「7世紀後半、日本誕生す」です。