「第6話・論拠の続き」

新カリスマのルーツを探せ・第5話「今回の論拠?」

 古代日本の歴史を続ける前に、ちょっと一言書き記しておきたいことがある。

 皆さんは、わしが大向こう狙いのために『天皇』を持ち出したのではのではないかと、訝しく思われているのではないだろうか。そこで、わしのような酒場のおやじが何故『天皇』を論じるのかの論拠を示しておこう。

 学生時代、勉学を怠ったわしは30歳になっても歴史「オンチ」だった。しかし、年を重ねるうちに、わしの祖父・祖母(明治20.22年生まれ)が仏壇のそばに飾っている「御真影(天皇の写真)」を恭しく拝む姿を思い出すにつれ、またその天皇が代こそ変われ、現在までその家系を綿々と保ち続けているのはいかなる理由によるものなのか、その謎がわしの心を捉えてやまないのだ。

 就中(なかんずく)、古代史は天皇制の原点だから、そこから掘り下げて行けば何かを得ると云うことがあるだろう。「記紀」(古事記・日本書紀)さえ読んだことのないわしが、大それたことをおっぱじめたもんだと我ながらあきれている次第であるが、とりあえず、日本人であるなら、『天皇』について語る資格は、少しぐらいはあるだろう。

 さて、これは豊田有恒氏が「天皇と日本人」で語られたことなんだが・・・

 氏は、「象徴」という表現を、「御神輿(おみこし)」に比喩されている。そうするとわかりやすいそうだ。とにかく、その部分を引用させてもらおうか。

 『戦前、昭和天皇は、戦争勢力に担がれていたのである。御神輿には発言権がないから、担ぎ手の云うとおりの方向へ行くしかない。また、御神輿というものは、祭りの時しか用いないものである。祭りでも何でもないのに、御神輿を担ぎ出して、町内を練り歩いたら、みんなが迷惑するだろう。また、祭りでもないときに御神輿は、神輿櫓(みこしやぐら)に鎮座しているものなのである。中略

 当時は、日清・日露戦争に勝つために戦争狂みいたいになっていた国民が、戦争と云う夢に飢えていた時代だった。戦争には提灯行列が行われたり、花電車が登場したりしたものだった。

 「白馬にまたがる大元帥陛下」が、昭和天皇自身が望まれた方向ではなかったことは、戦争の多くの人の証言から、まちがいないだろう。これは昭和天皇の戦争責任にもかかわる大問題である。はたして、昭和天皇に戦争責任があったのだろうか。あったと云えば、あったし、なかったと云えば、なかった。あいまいになるが、そうとしか答えようがない。天皇は、御神輿であるから、意思決定には、参画できないのである。

 天皇有責論の一つに、のちに戦争を終結させることが出来たのだから、開戦も阻止できたはずだという非難がある。だが、これはちがう。昭和天皇が、自分の意志で行動して、影響力を行使したことは、二回しかなかったと云われる。  つまり、昭和天皇が、自分の意志で、政策決定に関与したときは、政府機関が無秩序(アノミー)状態になっていたときだった(幕末もそうでしょ)。

 つまり、政権を担当する上層部が存在しなくなったか、決定を放棄したかという非常事態なのである。早い話、天皇に下駄を預けたわけだ。太平洋戦争の開戦にあたっては、政府が決めたことであるから、天皇が関与する余地がなかったのである。

引用次回に続く。

[その6でーす] /welcome:

 「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風のたちさわぐらむ」

 この昭和天皇の引用した明治帝の歌が、昭和天皇のささやかな抵抗を示している。明治憲法でも、天皇は国政に参与できないと云う規定になっていた。もし、昭和天皇が、開戦反対を唱えたりすれば憲法違反になってしまったところだ。こうしてみると、天皇が、無限の権力をもった独裁者ではなかったことが分かる。理屈を言い出せば、天皇は、戦争犯罪者といえるかもしれない。あるいは平和主義者といえるかもしれない。だが、日本では、こういうことをきちんと議論したことがないのである。天皇制に対して、いささかでもプラスの評価を与える人間には、右翼のレッテルが貼られ、マイナスの評価を加える人間は左翼という烙印が押される。こうした社会通念のなかで、天皇について議論すること自体がタブー視されてきた。』

 さて、昭和天皇が占領軍総司令部のマッカーサー元帥を訪問した写真は皆さんもよくご存じであろう。長身のマッカーサー元帥がいかにもラフなかっこうでいるのに対して、フロックコート姿で正装の天皇が、やけにみじめに見えた。

 だが、その印象はともかく実際にはマッカーサーは、昭和天皇に大変好意を抱いたそうである。昭和天皇の人柄に大いに感化されたそうだ。

 歴史の浅いアメリカにしてみれば、千数百年の歴史をもつ王家の主は、これまで会ったことのない相手である。表面上はどうであれ、多くの関係者の証言を参考にするなら、あの会見においてすべてに優位だったはずのマッカーサーが、昭和天皇に「位負け」してしまったというのだ。これこそが、歴史の重みではないだろうか。

次回は「本の棒読み」ではありますが、ノルマンディの歴史を踏まえたうえで、古代日本の誕生について検証してみることにしましょう。といっても、参考文献の渉猟如何では、どこに行くやら甚だ頼りないと云ったところが本音なのです。とにかく理路整然とは行きませんので、そこのところご了承下さい(要するに、行き当たりばったり)。