「第4話・ノルマン人の侵入?」

新カリスマのルーツを探せ・第3話「ノルマンディ?」

 「朝鮮半島は天皇家にとってノルマンディか?」

 宮内庁が「天皇陵」の学術的調査を認めない、本当の理由は天皇陵を発掘すると朝鮮半島の関係が明るみになるから反対しているのだとの見方がある。具体的に言えば「天皇家の祖先が朝鮮半島から渡来したことの証拠がでてくる恐れがあるからだ」ということだ。しかし、もしそうであっても一向にかまわないということだ。そう言うことは歴史上、決して珍しいことではないのである。ましてや、天皇は現在「現人神(あらひとがみ)」であられるわけでもないし、「神話」に絶対の価値を置くわけでもないし、たとえ朝鮮がルーツであっても隠すことはないのである。

 さて、海の向こうから征服者がやってくる、というのはなにも珍しい話ではない。その歴史と云っても世界史、それもヨーロッパ史である。ヨーロッパにはイギリスと云う国がある。これは島国である。一方、大陸の方はフランスという国がある。

 では、イギリスとフランスは同じ国だと皆さんは思うだろうか?そんなバカな、イギリスとフランスが同じ国であるはずがない、と云う声が大方の意見だろう。しかし、中世ヨーロッパに置いては、これはかなりの程度で事実なのである。とくに支配者階層(王族)ではそうだ。

 イギリス史の中でもっとも重大な年号の一つが、紀元1066年である。この年にノルマン人のイングランド島の侵入があった。年表や世界史の教科書にも、この事件自体は必ず載っている。現代のヨーロッパ地図を鳥瞰するなら、ノルマン人がいたのは、現代のフランスノルマンディ地方である。あの第二次世界大戦で有名な上陸作戦が行われた場所、ついでながらリンゴのブランデー「カルバドス」の産地でもある。

 では、ノルマン人のイングランド侵入というのは、どういうことかと云えば、ノルマンディ地方にいたフランス人の豪族がイギリスを征服して、以後イギリス王として君臨したということなのだ。このノルマン人を率いた豪族の長(おさ)は、イギリス征服後ウイリアム一世と名乗った。続く。

[その4でーす] /welcome:

 ウイリアム一世その人は、今の国境区分で云えばフランスのノルマンディ地方の一領主だから「フランス人」であり母国語もフランス語である。そのフランス人がイギリスに侵入して土着の王を倒し、征服した後「ウイリアム」というイギリスの名前に改名したのだ。これが「ノルマン人の侵入」という事件の実質的な意味である。

 以後、イギリスは、それまでのアングロ・サクソン系の王に代わって、ノルマン人(北の人・バイキング)のフランスの王が支配する国となる。ノルマン公であったウイリアムは、あくまでもフランスの臣下でもある。つまり、この征服はフランス王の臣下が同時にイギリス王になったということである。

 ちなみに、それまでイングランド(イギリス本島)は、小国家的領地の分立状態であったが、ウイリアム王はその本島をほぼ完全に統一した。そして、21年間にわたってイギリスを治めた後、故郷のノルマンディで死んだ。さらに、彼の遺体は故国フランスの「カン」の寺院に葬られた。しかし、彼の子孫はその後もイギリスを治め続ける。だから、この時代のイギリスという国は「フランス語を話すフランス人」によって統治されたイングランド島とフランス本土にまたがる国だった。

 とくに有名なイギリス王にヘンリー2世(1133〜1189)がいる。ヘンリー2世はイギリス王であると共に、フランス王の臣下でもある大領主アンリ(ヘンリーのフランス語)でもあった。その領土は、フランス王自身の直轄地よりも多かった。ノルマンディどころか、ブルターニューやガスコーニュー地方、都市名で云えばワインで有名なボルドーも「イギリス」だったのである。

 ちなみに、今イギリスで話されている英語は、ノルマン・フレンチと土着のアングロサクソン語が合体したものである。

 われわれは、大陸と島国の間にある海を、古代から絶対的国境と考えがちである。しかしながら、少なくとも中世ヨーロッパ史においては決してそうではない。14世紀になっても、イギリスはまだフランスのアキテーヌ・ガスコーニュー地方を領土としており、イギリス王エドワード3世(1312〜1377)は、フランス王家との血縁関係をたてにフランス王位を要求した。これが英仏百年戦争の原因となった。この戦争の実相を端的に云うならば、「兄弟の国の領地争い」である。ところが、皮肉なことに、時代の流れと共に、イギリス王室は心の故郷ガスコーニューやノルマンディをフランスに取られてしまったのである。

 20世紀の今日、イギリスとフランスは同じだという人はいない。確かに、現在は話している言葉も、気質も、習慣も、なにもかも違う。しかし、かつてはこういう時代もあったと言うことをわれわれ日本人も知っておくべきだろう。

 大陸にあるフランスと島国のイギリス、この関係は、大陸に連なる朝鮮半島と島国である日本との関係の推理の材料にならないだろうか?

 次回は「内官宮家」(うちつみやけ)の加耶(任那)です。

参考文献・井沢元彦著「逆説の日本史」黎明編・小学館より。