本格BAR

正太郎が訪ねた本格BAR


お店の紹介

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  1. 古川緑郎さんの「クール」は、スタンディングのバーだ。程良い高さに設けられたカウンターには、椅子がない。しかも、音楽も、ビールも、ワインも日本酒もない。古川さんは、昭和4年から本格バーで修行を始め、戦後すぐにこの「クール」を開店。店におじゃましてわかったのは、マスターはもちろんだけども、奥様の客への気配りが印象的だった。 東京都中央区銀座7−2−14 TELは変わったみたいで、掲載の了解をいただこうと思ったのですけど、出来ませんでした。どなたか教えてください。
  2. トニーズ・バーのボトルはおよそ1、600種類。中でも、シングルモルトは、400種類。厳格だがやさしい眼のトニーさんがすてき。店におじゃましての印象は、連れの言葉だけど、マスターの目が怖かったとのこと。因みに彼は店の雰囲気に少しビビッテいた。 東京都港区新橋1−4−3芝ビルB1 TELクールさんと同じく変わっていました。
  3. この道40年以上、バー「やまざき」を始めて38年。長く北海道のバーテンダー協会の会長だった山崎さん。戦後、米軍の将校を相手に酒をつくっていた。カクテルの本場の人間達を相手にしてきたのだから、バーテンダーとしては筋金入り。残念ながら私がおじゃましたときは時間が早かったせいか、マスターはいらっしゃらなかった。なんと帰り際に、ビルの入り口でマスターらしき方とすれ違う。まだ予定があったのであきらめて帰る。 札幌市中央区三条西3丁目克美ビル4F TEL011(211)7363
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    1. マスターの吉田さんは二代目だ。初代はもともとメリヤス業で成功した、大店の主人であったが、不況の時代に連鎖倒産の憂き目にあう。当時の一番番頭さんがバーでもやりたいといい、初代もその設立に協力するのだが、肝心の番頭氏が開店の間際に尻込みし、それでは自分がやってみるかと、昭和6年の12月に「吉田バー」は開店した。私がおじゃましたときはちょうど60周年で、記念のメモ帳をいただきました。 大阪府大阪市南区難波2−4−6 TEL06(213)1385
    2. ルルのマスター長原義明さんの氷切りはあまりにも有名だ。芯の芯までまでピリッと結晶した氷を、研ぎ澄ました菜切り包丁で3センチ角ほどの立方体にきっちり分けられる。ルルが開店したのは昭和24年、これまでに3回の移転を経て、現在の場所へ。私がやっとの思いで探し求めて店にはいったときは満席状態で、断られるかなと思ったけど、マスターの「どうぞおくが開いてますよ」の声で、「ホット」しました。いちげんの若造にも優しいマスターに、また更にファンになってしまいました。 兵庫県神戸市中央区三宮1−3−3 TEL残念ながら通じませんでした。
    3. 京都サンボアは床に南京豆の皮がいっぱい落ちている。これは初代(昭和3年開店)からのサンボアのやり方だ。ウイスキーはすべてダブル。親子三代にわたる老舗、店の照明なども初代の時から変わらないと言う。私がおじゃましたときは夕方の5時頃で、マスターが若いお客さんにお酒を勧められて、仕方なく飲んでいたのが、なんとノンアルコール・ビール「ゲステル」でした。そして数年前、鬼籍には入られたお父様の薫陶を一身に受けた宏マスターが、3代目としてご活躍です(2000・3/24訂正。宏さんを4代目としていましたが3代目の間違いでした)。(いずれお伺いいたします。お詫びもかねて(ーー;)。 京都市中京区寺町三条下ル TEL075(221)2811
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      1. スタッグ・バー「キムラ」のマスター川澤一郎さんのスコットランド、モルトびいきは年季が入っている。もう何度もスコットランドに行かれたそうである。「キムラ」は、昭和37年、木村化工の社員バーとしてスタート。川澤さんはその当時から、この店を任されていた。そして昭和53年、今の場所に移転して、一般に開放されたあと、譲り受けたものだという。最近は女性客も増えて、「スタッグと言う看板をはずせ」とお客さんに言われるそうである。ちなみに、スタッグ・バーとは男性専用のバーらしい。 大阪府大阪市北区曾根崎新地1−6−21 TEL06(345)3650
      2. マスターの写真じゃなくてすいません。門は仙台の国分町の老舗のバー。雑誌で一代目のマスターの顔は知っていたのですが、私が行ったときは息子さんの二代目マスター長嶋秀夫さんに変わっていました。息子さんだからまだ若い方かと思ったら、なかなか落ち着いたすてきなマスターでした。2月に行ったのですけど、仙台の冬の風は冷たく「身を切る」という言い方がぴったりで、雪国育ちの私も仙台の寒さにはまいった。 宮城県仙台国分町2−4−14 TEL022(222)9494
      3. 「ラジオ」は、もともと神宮前2丁目の店からはじまった。バーテンダーの尾崎さんと、常連客の知の遊びの中から、粋を極めたカクテルもたくさん生まれたときく。その尾崎さんがつくったカクテルブックは、今もロングセラーとなって、多くの愛飲家を楽しませている。私がラジオに行ったときはマスターはカウンターにいらっしゃらなくて、若いバーテンダーに「マスターは」ときくと、事務所で何か書き物をされているとのことで、残念ながらお顔は拝見できなかった。 東京都港区青山2−29−8アルテリーベB1 TEL残念ながら通じませんでした。
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        1. 変貌いちじるしい新宿歌舞伎町にあって、昭和26年9月に開店した当時の雰囲気を残す店は、このいないいないばぁーを除けば皆無らしい。昭和26年は正太郎が生まれた年、マスターの末武さんは銀座で働いていらっしゃたとの事、実は私も3年間銀座のクラブでボーイをやっていた。店におじゃましたときマスターの経歴を知っていたらいろいろ質問できたのに残念。銀座の「金春湯」まだあるかな。 東京都新宿区歌舞伎町1−8−3 TEL03(209)5836
        2. 異人館の建ち並ぶ北野町界隈は、今や神戸の観光のメッカ。そのメインストリートである北野坂から東にはずれる細く急な坂道、通称地獄坂の中程に、古びた赤煉瓦とツタの絡まる白壁が印象的な洋館ふうの建物がある。バーYANAGASEである。柳ヶ瀬康治さんがこの店を生田筋に開いたのが、昭和33年。再開発にともない当時支度だった建物の内部を改装して現在の姿になったのが41年のことであった。残念なことに、柳ヶ瀬さんは52年7月、57歳で亡くなられ、跡を継いだのが柳ヶ瀬さんの義弟に当たる現在のマスターの中泉勉さんだ。 神戸市中央区山本通1−1−2 TEL078(291)0715
        3. オー・ド・ビーでは、時々マスターの小森さんの姿が見えないときがある。後進の店を見て回っているのである。もちろん、小森さんが任せるだけにスタッフの技術は申し分ないそうである。主のいない店には一抹の寂しさを感じるが、私がおじゃましたときもマスターはいらっしゃらなかった、残念。しかし、一番若手のバーテンダーの方が話相手になってくれて、楽しい時間を過ごせました。 名古屋市中区錦3−13−32第4ワシントン3F TEL052(971)8900
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          1. 創業は大正11年。同7年、花隈で営業を開始したサンボアが、ほどなく大阪に移っていったので、アカデミーは現存する店としては神戸で一番古いバーなのだ。カウンターに立つのは杉本紀夫さん。昭和39年、亡くなられた父、栄一郎さんのあとを継いで、すでに30年以上の歳月が流れる。 神戸市中央区布引町2−1−1 TEL078(221)5907

          2. 北サンボアは店づくりの点で言えば何軒かあるサンボアのうちで最も元祖サンボアの流れをくんでいる。神戸、花隈に創業した元祖サンボアは、大正14年に大阪北浜に移るのだが、その店を引きついたのが大竹金次郎さん。この大竹さんが昭和21年に現在の場所に再会して、純正洋酒バー・北サンボアを名乗ったのである。現店主は二代目の大竹司郎さん。34年に初代のあとを継いで、すでに30年以上、学生時代から店に出ていたと言うから、北サンボアのカウンターに立つことなんと50年ぐらいになるのだろうか。因みに私はここのスタンドでやりたかったんですけど、あいにく満席でした。入口にかかっていたマスターの表札が思い出されます。 大阪市北区曽根崎2−12−12 TEL06(311)3645

          3. 今でこそバーボン・ウイスキーの知名度は高くなったが、30年ほど前にはウイスキー輸入総量に占める割合はわずか0.3%でしかなかった。工藤日出男さんが北新地のど真ん中にバーボン専門のバー十年(とうねん)を開いたのが昭和41年で、まさにそんな時代。現在の十年の品揃えは260銘柄560本を楽に越えている。夢は1000本だそうだ。また、工藤さんはケンタッキー州から名誉市民に選ばれている。そんな工藤さんの店におじゃました私は「バーボンの飲み方は各自好きにやればいいですよね」といったら、一蹴され、かえってきた言葉が「バーボンは必ずストレートでやるものです」とのお言葉。おかげで店を出たときはヘロヘロでした。 大阪市北区曽根崎新地1−2−29日宝スタービル2F TEL06(344)2407

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