「61話・ごぞんじあぶさん(その3)」

「60話・ごぞんじあぶさん(その2)」

59話・ごぞんじ、あぶさん(その1)

 皆さんはペルノーというリキュールをご存じだろうか。この酒は、水を加えると白濁するとても不思議な酒である。このペルノーを造っているのがフランスのペルノー社だ。このペルノー自体はアニス系の酒であるが、このペルノーの前身がかの有名なあぶんさん、正確には「アプサント」なのである。今回はその「アプサント」についてお話しするのだが、その話にリンクするために1860年代、フランスのぶどう畑を襲ったゆゆしき出来事からお話を始めたいと思います。

 1860年代にフランスのぶどう畑を襲った「フィロキセラ」、この空前絶後の出来事は「ブドウネアブラ」による被害だと伝えられている。しかし、この災いはアペリティフ業界にとっては強力な追い風となった。フランスのぶどう畑の約4分の3がほぼ壊滅状態になったため、ワイン生産量は激減した。そこで、早急にワインに変わる酒を生産しなければ国民の飲酒欲に応えることが出来ない状況になったのである。

 酒類業界は、ワインに変わるおいしい酒を造ることに神経を集中した。どうにかワインを手に入れることが出来ると、その品質にお構いなしに購入し、様々な植物を浸漬(しんせき)したり、エキスを加えたりして、アペリティフ(食前酒)として体裁を整え、発売した。また中性スピリッツ、植物性成分と甘みを添えたアペリティフ用リキュールもいろいろ開発された。

 イタリアからは、ほろ苦さと甘さを伴った「カンパリ」がフランスに輸入されるようになったのは1880年である。フランス国内でリンドウの根の成分を主体とした「スーズ」が開発されたのは、1889年のことである。いずれも、「ポスト」フィロキセラ禍に人気を獲得するようになったリキュールである。

 いっぽう、フィロキセラに影響を受けず、19世紀を通じてフランス国民に愛飲され続けたリキュールもあった。その代表格が、アブサン(Absinte、フランス語ではアプサントと発音)である。

続く(00.9/25)

[その60でーす] /welcome:

 アプサントの香味成分は「ニガヨモギ」、アニス、アンゼリカなどを含め15種類におよぶハーブ類。これらをスピリッツに浸漬後、16リットル入りの小型単式蒸留器で蒸留し、アルコール度数68度のリキュールに仕上げて発売した。

 アルコール度数が高いため、ストレートでの飲用に適さないためアプサントは、初めから多量の水を加えて飲まれてきた。こうした水で薄めるという飲み方は、健康に無害であろうと言うイメージを一般の人々の意識に植え付けた。そのうえ、水割りになったアプサントのハーブ系の味は、フランス人の味覚にフレッシュ感となって映ったため、上品な雰囲気を売り物にした大型豪華カフェでも、居酒屋スタイルの安カフェでも、盛んに飲まれたのである。夕方6時前後になると、どのカフェでもアプサントの水割をじっくり飲む人の姿が目立った。

 そうした状況のさなか、新しい立ち飲みカフェ、ザングが登場したのである。それまでのカフェ・カウンター(コントワール)は、文字通り会計台であって、客は席に座り、注文したものを給仕係が運んでくるのを待つ、と言うスタイルだった。ところが、ザングは、店に入ってバー・カウンターで注文すれば、立ちどころに目の前に飲み物が差し出される。そのカジュアルさが、庶民の感覚になじんだのだろう。庶民達は近くのザングに集い、ささやかな幸福感にひたるようになった。

 1880年代、こうしたザングなどのカフェでよく飲まれた酒は、安ワイン、ワインに香味を補強したアペリティフ・ワイン、ビール、そしてアプサントの水割りだった。

 ところが、アプサント愛飲家の中には、アプサントに加える水の量を減らして欲しい、と注文する人が次第に増えてきたのである。水の量を減らすと、アルコール度数の高いものになる。また、アプサントのずっしりしたハーブ香味が濃厚に味わえる。それは経済的に恵まれず、気が晴れない日々を送っている人にとって、気分転換の妙薬のような感じだったのだろう。

 だが、そうしたグラスを常飲していた人の中に、労働意欲の減退する人が見受けられるようになり、中には犯罪に走る人もでてきた。現在の医学用語で言えば「依存症」の人が現れたのである。

続く。00/9/26未明。 [その61でーす] /welcome:

 依存症、この症状があらわれることによりアブサンと常飲には習慣性がともない、人々の精神活動を荒廃させるのではないか、と言う疑問が有識者の間で浮上してきた。

 調査の結果、アプサント製造に用いられている植物性成分のうち、「ニガヨモギ」(英名ワームウッドWormwood学名アルテミシア・アブシンティウムArtemisia absinthinm)に含まれているアブシンリールと言う精油が、精神系統を冒し、健康に有害であることが分かった。

 そこで、1907年になって、アブサンとの生まれ故郷スイスで製造、販売が禁止された。フランスの禁止が遅れたのは、アプサントによって国庫にもたらされる租税を考慮せざるを得なかったからで、国庫が窮乏しないと十分に見通した上で、禁止に踏み切ったのだった。

 ここで、1797年に生まれたアプサントは、110年の歴史を閉じ、カフェのアペリティフのメニューからも姿を消したのである。

次回は、酒が飲めなくなるという最悪(災厄)なことをお話ししましょうか。

参考文献・福西英三著「リキュールの世界」河出書房新社。

 

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