☆グレン・フィディック・ウエイジウッド
1887年12月25日のクリスマスにグレン・フディック蒸留所は創業した。5年後にはすぐ隣にバルベニュー蒸留所をスタート。モルト原酒の安定供給が可能となり、1898年にはブレンディッド・スコッチのグランツも発売するようになった。グレン・フィディックとはゲール語で、”鹿のいる谷”の意味だが、蒸留所の近くをフディック川(鹿川)が流れ、谷間(グレン)を形成しているところから命名。21年は、ウエイジウッド社の高級容器を使用。封は開けてないので味はわからないが、洋酒事典によれば、濃い黄金色の輝きと熟成の極みを感じさせる複雑で程良く厚みのある味わいが身上とのこと。でも私はまだ封は開けません。
☆カミュ・ブック、コロンブス500年生誕記念ボトル
ブックの中身はナポレオン級のコニャック。このボトルはバブル終末の時に発売された物で、私のその勢いで買ってしまった一品。ちなみにナポレオンはvsopの次のクラスで、XO、エキストラの下のクラスになる。ナポレオンの名が付いたボトルはたくさんあるから必ず「コニャック」と書いてあるか「フレンチ」と書いてあるか、確かめて買いましょう。
☆世界に5000本。日本には940本しか存在しない、17世紀のジェネバァ・ジン。
かつて、オランダの樽造り職人として出発したデ・カイパー家。やがてジェネバァ・ジンを手がけ、自家製の樽に詰めて売り出し酒メーカーになった。そして今、創業300周年を記念して17世紀のレシピにそってカナダのモントリオールにある蒸留所でつくられた10年物です。
☆レム・モトローズtwelve months old
ジャック・ダニエルはイギリス人ジョセフ・ダニエルの孫に当たる。10人兄弟の末っ子で1846年生まれである。彼は13歳で蒸留作業をするようになり、独立戦争が終わった1866年に彼の蒸留所は連邦政府に登録された。まだ19歳のころであった。ジャック・ダニエル「NO.7」と言うブランド名は1887年に生まれた。7という数字は直感のひらめきで選んだにすぎないらしい。彼はずっと独身で、一度も結婚しなかった。1911年に亡くなったが、金でぎっしり詰まった金庫を蹴って足を折り、その事故が原因だったと言われている。その後、禁酒法はテネシー州で28年間続いた。禁酒法撤廃後ジャック・ダニエルの甥のレム・モトローが立ち上がりj蒸留所の再建に乗り出した。彼は1947年に没し、蒸留所は4人の息子に残されたが、誰も経営を継がず、1956年、経営権をブラウン・ファーマン社に売却した。
☆エブン・ウイリアムズ23年
1992年の名酒事典にはもうこれは載っていない。こんな事なら、飲まずにとっておくんだったけど、我慢できずにすべて空けてしまった。だから、ラベルのみです。
☆オールド・クェーカー
酒屋さんの倉庫に眠っていた物を譲ってもらった。昭和55年の名酒事典にはすでに載っていない。イギリスのクェーカー教徒が、ペンシルバニア地方で、ウイスキー造りを始めた。アメリカのウイスキーの歴史の中でも古い事例にちなんだ酒名らしい。
☆グレン・リベット1943
ゴードン&マクファイル社のグレン・リベット1943年物。バランタイン30年のように万人向きのブレンデッドとちがって、年数が長いからといって自分の口に合うとは限らない。
☆カレドニアン・グレン・ウイスキー
カレドニアン・グレン蒸留所は、エジンバラ市で19世紀から稼働してきた。第2次大戦中、ドイツ軍の爆撃で被害を被ったが、戦後も稼動。しかし、現在、蒸留所はすでに操業を停止している。
☆ワイルド・ターキー陶器ボトル
これも酒屋さんの倉庫に眠っているのを譲ってもらたもの。名酒事典を調べてみても何年頃の物かわからない。特に大事にしている一品。
☆チャールズ皇太子・ダイアナ妃ご成婚記念ミニボトル
今となってはとても貴重なボトルになってしまった。出来れば普通サイズも欲しいものだが、よその国の皇室の方とはいいながら、出来れば添いとげてもらいたかったですね。 スタートに戻る