「53話・酒造りの大革命」

52話・麹(こうじ)

 わしが生まれて育った町「新湊(しんみなと)市」には、面白い名前がいっぱいある(でも住所は高岡市だったんだよね(^^;)。学校も小学校からずっと新湊だったので高岡市には滅多に行かなかった(その頃は高岡市は都会だと思っていた)。だからよその人には笑えるような名前がわしのまわりには少なからずいたのだが、それが面白い名前であることさえ気がつかなかった。

 さて、その名前だが、港町だからだろうね、魚(うお)、釣とか釣谷、網とか網谷、檜物(ひもの)、海老などは、まぁ納得できるとして、出口・屋根はビックリする名だと思われるだろうが、わしのクラスにはその両方の名前が存在した。がべつに、変な名前だなんて一度も思ったことはなかったよ。それから、亀、甲、菊、買場(かいば、体操の先生にいた)油谷(あぶらたに)四日(よっか)は同学年にも居た。電話帳を調べたら風呂って人もいたし分家は先輩にいて今は有名だな。そして、とっておきが糀・糀谷だ。わしの友人にも「糀君」という最近久しぶりにあった同級生もいる(古い友人でもある銀行員の彼は、仕事も大変らしくずいぶんと老けたような気がした。がしかし、50歳の声を聞くと誰だってえらい遠いところまで歩いて来たなぁーて、老けたくもなりますよね、いやほんと)。

 さて、その糀、麹(こうじ)だが、これがあると甘酒が出来、甘酒があると酒になるわけだから麹のなかった大昔は大変だっただろう。その時は米からの酒は、口でかんで吐き出して酒にしていた。すなわち、今でも皆さんがご飯を口に入れて、三分間ほど決して飯を飲み込まないでムシャムシャかみ続けていると、口の中が段々と甘さがでみちてくるのだ。

 これは米の澱粉が唾液の糖化酵素(アミラーゼ)でブドウ糖に変わったからで、これを吐き出してなにかの器に溜めておくと、空気中にいる酵母がそこに落下して、酒精発酵して酒になる。大昔の人は本当にすごいことを考えたものだ。

 大昔、実際に口かみ酒を、かもしたのは女性であった。酒は農耕の神への大切な供え物であったから、神に捧げる酒のかもし役は神聖にしてけがれを知らぬ神の子として常に処女があてられた。純白の衣装をまとい、額に白い鉢巻きして、飯を口に入れてクチャクチャとかみ、かんではペッペッと吐き出し、またかむ、吐く。こんなことを繰り返して酒を醸したのです。「醸す」の字の語源は「噛むす」から来たものであることを考えれば合点がいく。

 また、女の人のことを「おかみさん」と呼ぶが、昔の酒造りで女が飯を噛んだから「おかむさん」と思われるかも知れないが、実はおかみさんは、変換して見ると最初にでてくる「女将」さん、または「奥上」さん、さらに「お神」さん「御母上」さんであって、変換はされるけれども「お噛み」さんではないそうだ。沖縄の離島では、比較的最近までこの方法で(お噛みさんで)御神酒(おみき)を造っていたらしい。

次回は「酒造りの大革命」

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 さて大昔のある時、飯にカビが発生して偶然に麹と言うものが出来たのですが、それを器に入れてとって置いたところ、きっとそこに雨水が入ったのでありましょう。麹カビの生産した糖化酵素(アミラーゼ)が働いて甘酒ができ、そして酵母が発酵を起こして最初の麹酒が出来たわけです。

 とにかく麹で酒が出来るというのは、これはもう酒造りの技術からみると、革命的大発明と言ってよいほど凄いものであります。口に含んだ飯を吐き出す必要はない。処女を探してくる必要もない。麹さえあれば大量の酒がいつでも出来る。あっというまにこの国は麹酒へ走ったのです。

 するとどうでしょう。全国規模で大量に造られたり、それが売られたり、また麹を手に入れて自分で酒を造ったりと言うことが行われたため、あちこちで泥酔者が出て、勤労意欲が低下するといった、いわゆる乱酒の世の中になってしまったのでございます。

 しかし、政府が恐れたのは乱世の社会よりも重大なこと。そうです、主食の米が世に出ないうちに、農家の庭先で酒に変わってしまうことでした。

 何せ、米は役人が作るのでなく、農民が耕作するのですから、それを生産の段階で勝手に酒に加工されては困ります。そこで役人たちは考えます。酒に税金を掛けよう、酒を飲む奴から税金を取ろう。税金を掛けて密造を無くそう。そうだ、そうだ、それがいい、と言うことになりまして、酒に税金を掛けることになった次第です。

 こうなりますと、庶民は自分で麹や酒を造れば、法を破ったことになって罰せられますから、一切造れない。ところが当時(平安時代)、神社は国の厚い保護を受けていましたので(ふーん、そうなのか)、御神酒用の酒は自由に造れましたから、政府はまず神社で麹を造ることを許しました。神社はその麹を造り、その酒を庶民に売りまして、売上の中から税金を払ったわけです。

 そしてそのうちに、神社は、ぼつぼつ街に出現してきた造り酒屋にも、税込みで麹を売りました。酒屋はこの麹で酒を造り、その酒を税込みで庶民に売ったわけでありますが、その様なことがしばらく続いたあとに、寺院のちからも大きくなりますと、寺も酒を造るようになりました。

 こうして、神社から買ってきた麹で寺院や造り酒屋が酒を造り、その酒を庶民が買ってきてのみという形態が長く続きました。平安時代から室町時代にかけて、帰属や幕府はこの方法が税徴収のためには実に良いものだと言うことを知り、この方法を制度化したのが有名な「麹座」であります。

次回は、麹による神社と寺院との相克です。

参考文献・すべてが、小泉武夫著「酒肴奇譚」中公文庫より。

  

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