「44話話・スピリトプネウマ?」

43話・サラセン帝国

 アレキサンドリアで蒸留器を自分たちの文化に取り入れたアラビア人は、その後アフリカ北部の地中海沿いを西進し、征服地を拡げていく。8世紀初頭には、モロッコの地からジブラルタ海峡を渡り、スペイン南部アンダルシア地方に侵攻。西ゴートの都市コルトバを711年に陥れた。このコルドバは、719年からイスラム支配下のスペインの首都となった

 この時代のイスラム支配国家は、サラセン帝国とも呼ばれ、イスラム文化はサラセン文化とも呼ばれている。サラセン帝国の版図(はんと)は、750年頃には西はスペインのアンダルシアから、東はサマルカンドあたりまで広大な地域を支配し、帝国の首都はシリアのダマスクスにおかれた。なぜ現在においても、シリアの国がやっかいなのかは、そうゆう彼らの歴史に於いての矜持(きんじ)が少なからず影響を与えていると言って過言ではない(しかし、先日アサドが逝去してパレスチナ問題はまたまた混迷するかも知れない)。

 さて、サラセン帝国の領土が拡がるにしたがって蒸留器を携えた錬金術師たちも、西へ東へと、自分たちの活動範囲を広げていったことだろう。ただ、帝国体制の方は、ウマイヤ朝が750年に倒れ、アッパース朝がバクダードに首都を建設することになる(詳しくは歴史書をお読み下さい)。

 ウマイヤ朝の家族は、スペインのコルドバを中心に独立国家の形を取って自立することになる。そして、キリスト教徒も、ユダヤ教徒にも寛容な態度で接し、学問の普及に尽くし、陶器、金銀細工、織物などのクラフト製品の発展を奨励し、このため、コルドバは東西文化の接点として繁栄し、おそらく9〜10世紀にかけては、世界最大の都市に育ったと推測されている。アラビア文化の手中にあった錬金術がキリスト教文化と接点を持ったのは、ひょっとして十字軍の遠征(第1回は1096年)よりも早くて、9世紀のアンダルシア地方、あえて言えばコルドバと言う大都市においてではないかと思われる?(錬金術について以前既述したものには十字軍によってイスラム文化がキリスト教文化圏に伝わったとしている)。 次回は「スピリトプネウマ?」です。2000/6/12

[44話でーす] /welcome:

 とにかく、スペインのコルドバと言う町は蒸留器に関心のある人にはいろいろ幻想を抱かせる文化を持った土地のようだ。

 ウマイヤ朝崩壊後に興った後ウマイヤ朝(10世紀頃には教会の僧侶の中には後ウマイヤ朝の首都コルドバに留学するものが多かった)は、このコルトバを首都にし、アカデミーを設立し、錬金術や哲学の研究に精進させた。ギリシア文化の遺産はギリシア語からアラビア語に翻訳されていたが、このコルドバの地でさらにラテン語に翻訳され、ヨーロッパのキリスト教文化の地に広まっていくようになった。

 何しろ、蒸留器に入れる前のワインは、キリスト教信者にとって”キリストの血”と認識されていたのである。そのキリストの血を蒸留した無色透明の液体を得たとき、それはキリストの血がいったん昇華して、その精髄を凝集した霊液と見なすようになったのは当然の帰結ではないだろうか。そして、その凝集した霊液はラテン語でスピリト(Spirit)と呼ばれるようになる。

 このスピリトと言う名称は、ギリシア哲学に淵源を持つ錬金術用語であった。宇宙は土、水、空気、火の四元素のほかに、プネウマ(エーテルのようなもの)に満たされており、そこに宇宙の霊魂が宿っている、と言うのがプラトン、アリストテレス時代の宇宙観であった。そして、錬金術はこの考えを受け継ぎ、錬金術の作業を繰り返す中で、このプネウマと精神的に一体化し、自己の純化に努める大きな目標とした。このプネウマのラテン語がスピリトなのである。

 さらに、この蒸留された霊液は、アラビア語で、アル・イクシルとも称された。アルは前にも述べたように定冠詞。イクシルは、錬金術師達が求めた賢者の石のこと。その時代、ワインを蒸留した液体は、賢者の石の一種とみなされるようになっていたらしい。このアル・イクシルと言うアラビア語が、イリクシル(elixir)というラテン語になってキリスト教徒にも伝えられた。このエリクシルと言う名詞は、のちにリキュールの世界でも重要な役割を果たす用語となり、現在でもある種のリキュールのラベルには、このエリクシルと言う表記が使われている。

 このように、ワインを蒸留した液体は、スピリト、あるいはエリクシルとして、おのが存在を確立するようになる。しかし、その液体は享楽を求めるための酔うためのものではなく、不老不死を願う人のための霊薬として、錬金術師たちが工房で秘やかに作り、錬金術師達および身辺の親しい人達の間で密かに服用されたにすぎない。

 さて、キリスト教文化に取り込まれた錬金術は、主として知的階級者だった修道院の聖職者の間で伝えられ、宗教施設の中で錬金術の実験が行われた。そのため、錬金術はきわめて閉鎖された世界に閉じこめられ、秘伝の形をとって受け継がれていった。特筆すべきは、ドイツのバイエルン地方オーバーアマガウの近くのエッテル修道院では、1330年から薬草リキュールと言うべきエルクシルが生まれている。

次回は「錬金術の伝播経路」です。2000/6/13未明

元に戻る