「50話・お水30年遡行編・孤独に気付くまで」

49話・わしも17才の時、未だ説明しがたい行動におよんだ?

 「精神的未熟さに比して知識だけは肥大しているアンバランスさ」

 愛知、佐賀の両少年とも「優等生」であるということが注目を浴びた。優等生=いい子であり、躾に手がかからない、という親たちの短絡的なイメージが、本来、家庭で教えなければならない”善悪の区別”などの基本ルールをしっかりと身につけないまま成長させてしまったんではないか、と見られている。

 国語辞書の<セックス>などの項目に妙な興奮をおぼえていた我々親世代に比して、子供世代はインターネットで<セックス>を検索すれば、親の想像を絶する世界に容易にアクセス出来る時代である。

 凶悪犯罪を犯した昨今の少年に共通するのは不登校→引きこもり→家庭内暴力と言う流れになる傾向にあるということです(わしの場合、家族に対しての不満→勉強に対しての無気力「不満に対する正当化」→服装の乱れ→外泊→タバコ・飲酒→家出)。

 戦後、日本では、子供を褒めなければいかん、叱ってはいかん、ましてや殴ってはいかんという考えが支配的になっています。実は、この「褒める教育」こそが、今の子供達の問題の原点になっているのです。

 現在60歳の人が、ちょうど戦後教育を受けた最初の世代です。ということは、今や50代以下の日本人はすべて、戦後の「褒める教育」を受けて育った世代になってしまっているわけです(団塊世代は、まだ怖い先生が何人かいて、わしなどはいたずらしたらスリッパではたかれた思い出があるし、高校でもギャングとあだ名される怖い先生がいた)。

 そのため日本中の親が子供にどう接すればいいかわからなくなってしまった。親自身、わるいことをしても叱られず、褒められて育ってきたからでしょうか?子供をしかるべき時には変に子供に気兼ねして、叱らずじまいになったのでしょうか?

 今回の事件を起こした17才の発言を見ると、二人とも事件を起こして世間から注目されようとしていることがわかります。注目されたいという気持ちは、褒められたいと言う気持ちと同じものです。バスジャックの少年は、「世の中を変える」などと自らの行動を正当化している。厳しくしつけられていないから善悪の判断が付いていないのでしょうか。これが「褒める教育」を受けてきた親が育てた子供の実体なのでしょうか(わしの17才の時の注目されたいとは、家出をして他人とは違うということを誇示するナルシストと言う自己満足だったのかもしれない)。

 中国の孟子は、「理性でわからなければ、本能に聞け」と言っています。人間は通常、理性に基づいて行動する。しかし、どう行動するかわからないときは、「本能」が判断すべきだと言う意味です。

 罪の意識とは、わしはてっきり人間本来の良心だと思っていたが、実は「本能」なのだ。罪の意識があれば人殺しはしない。が、本能が弱いと罪の意識も弱くなり、少年による殺人事件も起きる。だから、子供は本能を鍛えなくてはならない(わしは、あのゴキブリを潰すことさえ躊躇するのを弱さだと思っていたが、弱さでなくそれは本能が躊躇させるのだということを今知って、ホッとしている。でも殺しちゃうバシッ)。

 子供の本能を鍛えるために必要なのは、今はもうなくなってしまった、自然での「危険な遊び」。わしと団塊世代から下の世代でもおぼえているでしょう、そう、あのどろんこになって遊んだあの頃の遊びですよ。今思えば、危なっかしいことばかりでぞっとすることもあるのだが、あの時代の親は「あぶないから気をつけて」、なんってことは一言も言わなかった。今は車が増えてどこに行くにも「気をつけて、気をつけて」、時代が変わったと言えばそうなのかもしれませんが、あの頃は(昭和30年代)臆病なわしでさえ、結構あぶない遊びをやっていたのだから、自然にまみれたいい時代でしたよね。

 とにかく、戦後常識とされてきた、子供の主体性、自由尊重と言う考えがあるが、それって、昔、我々子供達が自由奔放に遊んでいたこととは意味合いが違うと思うし、あの時代の親達が子供の主体性・自由尊重などを云々していたとはとうてい思えない。とにかく遊びに関しては自由であったが、親が子供を叱るのを躊躇するなどと言うことはなかったと思われる。とにかく家族としてのヒエラルキー(階層)がしっかりできていて、たいがいの家の子供達は、おじいちゃんは一番偉いと思っていたはずだ。実際、ご飯のおかずも平等ではなくて、おじいちゃんのおかずは豪勢だった(夕方7時はニュースだから裏番組はぜったい観れなかった)。それ故、大人達にも身の程・遠慮があり、子供は子供なりに「遠慮」「ひかえめ」というものがあって、それが家庭の均衡を保っていたのではないかと思う(いや、日本全体にそれが浸透していた)。だから、子供の主体性・自由尊重を言う前に、なにかもっと大事なものがあるように思えてならないのだが、それは皆さんがそれぞれ考えてくださればいいのですが、とにかく、子供を自由にさせてやることと、ほっぽらかして常識さえも教えないでおくと言うことを、はき違えたらいけないと言うことでしょうか。ガミガミもほどほどなら親子としての結構いいスキンシップだと思いますが。

 そんなわけで?わしの17才は、子供の主体性を余りにも尊重してくれた家族のおかげで、自堕落三昧な高校生活を送ってしまい、最後は、自業自得で行き場を見失い、結局学校にいることがかなわなくなり、ふるさとを捨てる羽目になった。それもこれも、自分自身の不徳の致すところなのだが、今思えばすべて親と大人のせいにしてそれを正当化していたような気がする。そのしっぺ返しが、家出ではなかっただろうか。その家出にしても、今思えば親(世間)を困らすためにやったのであって、それが、わしの17才の未だ説明しがたい行動なのだが・・・ところで皆さんは、どんな17才の青春をお送りでしたか?

これまでの文言は週間ポスト5月26日号を引用しながら、換骨奪胎??しました。

[その50話でーす] /welcome:

 わし(私)正太郎は、1968年(s43)6月22日(土)富山県を出奔(しゅっぽん)した。齢(よわい)17才、血気盛んな怖い者知らず(嘘、気が小さいから図々しく学校におれなかった)、以前から計画していた朝方を避けて、夜行列車の大阪行きに飛び乗った(職が見つからなければ明日は日曜日と高をくくっていた)。

 理由は己を正当化するためのルサンチマン、怨念だったのだろう。それは父へのメッセージであり、プロテスタントでもあった。しかし、それは余りにも稚拙な心より放たれるナルシシズムでありニヒリズム(虚無)でもあった(まあ、子供と言えば子供であったが本人は大人気どり、生活を変えねばならぬと結構マジに悩んでいたのだよ)。

 結局のところ、まわりの者を困らせるだけであり、すべて自己満足でもあったし、変わったのは自分の環境だけであり他の何物をも変えることはできなかった(友との別れは辛かった)。まあ、それでも曲がりなりにも職場を確保して仕事だけはまじめにやったと思う。

 しかし、高校時代の遊び癖はとどまることを知らず、給料の大半は飲み代に費やされ、さらに、そのおかげと言おうか、不幸中の幸いと言おうかほろ苦い恋も経験し、止せばいいのに年上の女性とのデカダンな火遊びもやらかしてしまう(彼女は、わしの体だけがが目的だった。貴女はケダモノだあー)

 やけくそではあるがハラハラドキドキ、わしにとっては刺激もあって思ったより上出来な大阪生活であった。これもひとえに、出会った人に恵まれていたとしかいいようがない。すべての人が年上であったこともあり、わしは「なかやん、なかやん」、とよばれ可愛がられたのである。

 さて、そんな心地いい大阪暮らしも、もう潮時かと感じたわしは、さっと身を翻し東京へ向かう。ちょうど大阪万博の時で(1970・S45)、なにか時代に逆らっているというのを薄々感じていたが、そこがわしの真骨頂、そんな天の邪鬼はいまでも治らない。

 東京に於いての最初は、友人Mなどの協力により職場はまず新宿と決まった。そこでは3軒の店を渡り歩き、現在の仕事であるバーテンダーにつながる職場、区役所通りのマンモスバー(その時代はコンパと呼ばれていた)サントリー・プラザがその内の一軒で、その店でわしは、華麗なシェーカーさばきを習得する(喧嘩もしたが)。しかし、酒の知識と言えばお寒い限りで、ほんのさわり程度をやったに過ぎなかったのだ。結局、カウンターの仕事に飽きたらず、その時代のステイタス、「黒服」に憧れて銀座に流れていくことになる。

 銀座の最初は、7丁目の高級クラブ「ラ・セーヌ」。次が、またまた年上の女性との恋愛沙汰で辞めざるを得なくなるバー「しろがね」。傷心の心を引きずり次に勤めた店は8丁目ショーボート前、クラブ「ソシアル」。時代は、三島の割腹、さらに三島もかかわった全学連(三島の死の直前に書かれたエッセイには新左翼の若者達へのシニカルなメッセージがちりばめてある)、いわゆる新左翼のゲバ棒騒ぎ、赤軍派等々。そして1973年、ロッキードで失脚した田中角栄の列島改造論がかまびすしいそんな時代。日本は経済成長まっただ中で物造りに邁進し世界に名を馳せる下地を作っていた(その後すぐオイルショックで省エネを余儀なくされネオンを付けるのもおぼつかなくなるのだが)。

 とにかくその時代、学生が反体制であるからとマルクスのマさえ知らぬ者さえ気勢を上げられた時代。そんな左側が元気な頃、全く逆な大学に在籍していたわしの親友Mは(朝登校すると軍艦マーチが学生諸君を待ちかまえていた、そんな大学)、世界の七不思議ではあるが4年間を全うし、めでたく卒業した。それ故、突然ひとりぽっちになったわしは今まで思いもしなかった「孤独」、と言う聞き慣れない心の病に冒されることになる。そこでわしがその時はじめて遭遇することになる「こ・ど・く」・・・それは一体ぜんたいどう言ったものなのだろうか??その壁に突き当たった故、筆が前に進まない。では、どうすればいいか?もう一度思い出を遡りわし自身を作ったであろう生い立ちをあらためて検証し直さねばならないだろう。でなければ、己の弱さを説明することができない(物語はここで挫折する(ーー;)。

2000/5/31

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