「30話・トロッキー」

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29話・スターリン批判とハンガリー暴動

 さて、話は1956年にまで遡る。この年、革命を志す者を震撼せしめた二つの事件が起きた。スターリン批判とハンガリー暴動である。

 それまで、革命党とは共産党と同義語であり、ソ連共産党は、世界の革命運動の最高指導部と考えられていた。ソ連共産党の最高指導者であるスターリン書記長は、世界のすべての革命運動の絶対の権威者であり、マルクス、レーニンと並ぶ者と考えられていた。革命思想家はスターリン全集を読破して、論文にその引用をちりばめたりもした。

 スターリン批判が共産主義者に与えた衝動は、天皇を神様と信じていた戦前・戦中派の人々が、天皇の人間宣言を受け、衝撃したことに等しい出来事だった。いや、それ以上だったと言って過言でない。天皇は神から人間になっただけであるが、スターリンは神から悪魔になってしまったのだから。

 国際共産主義運動の絶対的権威が崩れた。それを追うようにして、ハンガリー暴動のショックが訪れた。労働者の天国であるはずの社会主義国家で起きた労働者の暴動。そして、スターリンの圧制を批判したソ連の新政権による武力鎮圧。

 ある者は、スターリンが悪かったのは、その個人崇拝と暴君的独裁制にあったのだから、集団的指導体制がとられた現在のソ連共産党は誤りを克服したのだと考えたが、ある者は、スターリンの誤りはそれだけではなく、世界革命を目指したマルクス・レーニン主義の教えを捨てて、一国社会主義に建設とその擁護に全力を尽くしたところにもっと大きな誤りがあったのではないかと考えた。

 またある者は、ソ連は依然として社会主義国家労働者の祖国であると考えたのに対して、ある者は、ハンガリーでやったことを考えれば、ソ連は社会主義と言う名の帝国主義国家ではないか、対内的にも対外的にも労働者の国とは言えないのではないかとまで考え始めた。

 上述の、後者最後のくだりの考えを持つ者のの中から、共産党離れした革命理論が生み出され、様々の「新左翼」諸党派が生まれてくることになる。その人々が多かれ少なかれ影響を受けたのが「トロッキー」だった。

[その30でーす] /welcome:

 スターリンが批判されて落ちた偶像になってみると、レーニンのもう一人の後継者でありながら、スターリンとの権力闘争に敗れ、スターリンに暗殺されたトロッキーの理論は、再検討してみる価値があるのではないか、と考える人々がでてきても不思議ではない。

 その人々が1957年1月集まって「第四インタナショナル日本支部」結成の会合を開いた。その時、集まったのはわずか三人。他にオブザーバーが二人いただけである。参加者三人のうちの二人が、あの革共同を結成した黒田寛一氏、大田竜氏だった(28話でお話しした)。第四インターナショナルというのは、トロッキストの国際組織。公然たるトロッキズムの旗がここに掲げられたわけだ。

 スターリンが神様だった時代には、トロッキーは反革命の代名詞で、”トロッキスト”という言葉は、分裂主義者、裏切り者、小(プチ)ブル、観念論者、冒険主義者、反共と言った意味を含んだ罵倒用語だった。共産党内の論争では、だれもトロッキーをまじめに呼んだことがないのに、政敵を決めつけるためにも、相手をトロッキスト呼ばわりするというのがしばしばおこなわれた。すると、トロッキスト呼ばわりされた方は、これまたトロッキズムをよく知っているわけではないのだが、一生懸命自分がトロッキストではないことを力説するのだった。そう言う時代には、公然とトロッキストを名乗る者がいるなどと言うことは、共産主義者の間では、想像を絶することだった。

 しかし、これ以後、トロッキーは次第に復権して行き、その頃には、トロッキーに一定の評価を与える党派の方が新左翼には多い。もちろん共産党内では、トロッキズムは依然として悪魔の思想で、トロッキストは反共産主義者であり、国家権力と同列に並ぶ敵である。

 これに対して、トロッキズムの影響を受けた党派の側は、共産党を”スターリニスト”呼ばわりする。中核派も革マル派も、”反帝””反スタ”をスローガンにしているが、これは”反帝国主義””反スターリン主義”の意味である。彼らにとって共産党ばかかりではない、ソ連も中国も、その他の社会主義諸国家も、すべてスターリニシトによって支配されている国家だから、やはり打倒すべきであり、そして”もう一つの革命”必要であると。

 以上の主張は、新左翼諸派のなかで、毛沢東主義、構造改革主義などに立つ党派を除くほとんどの党派に一貫している。そこで、共産党のほうは、この主張を含む党派をひっくるめてトロッキスト呼ばわりする。これに対して、トロッキスト呼ばわりされた側では、純粋トロッキストを自称する第四インターナショナル系党の諸党派を除いては、自分たちはトロッキストではなく、トロッキズムを批判的に摂取しただけであると主張する。次回はトロッキストの誕生。

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