「26話・マルクスに飛びついた若者たち」

25話・日本赤軍

 「英雄」とは何だろう・・「正義」とは一体何だろうか?

 帰国した日本赤軍の4人は逮捕・収監されたが、岡本公三(52)だけはレバノンへの亡命が認められた。イスラエルと戦争状態にある現地レバノンでは、彼はパレスチナ解放闘争の「英雄」なのである。

しかし、イスラエルは18日のトップニュースで、日本赤軍メンバー岡本公三がレバノンへの政治亡命を認められたことを報じ、彼がアラブの英雄として亡命することに不快感を募らせている。

 これは朝日新聞の「天声人語」に書いてあったのだが、名画チャップリンの殺人狂時代では、チャプリン演じる殺人犯が『英雄』を定義するという。それによれば、「一人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄だ」と言うものである。数が行為を神聖化する戦争を風刺してとても痛烈だ。だから、歴史上に於いての英雄とは決して高潔な人間ではなく、良くも悪くも??世の中を変えた人物と見て差し支えないだろう。

 さて、岡本公三は1972年5月、日本赤軍初の国際テロとなったテルアビブ・ロッド空港で小銃乱射事件を起こした。わしはその時21歳、その当時お世話になっていた店のママに、新聞紙上に突然現れ日本人を震撼させた岡本公三なる人物に対して、歳が近いお前は、どのように感じているのかを突然訊かれ返答に窮し、しどろもどろした苦い思い出がある。

 わしの三つ年上の岡本公三は、現在テレビや新聞で見る限り、白髪も増え、事件当時の小柄ではあるが精悍な風貌とはうって変わってかつての戦士としての面影はいまはない。

 ところで、日本に送還された四人の年齢だが、47、51、59、最高齢で60歳だ。彼らが事件当時はいかに若かったかを象徴するものだが(最高齢でも31歳の若さだ)、何故にその様な若者たちが、パレスチナゲリラの組織に連携したのか、とても不可思議なのだが、これだけ年月が経ってもわしには未だ理解できない。

 その当時(1970年代初期)、学生運動が盛んにおこなわれ、蚊帳の外であったわしでさえ「ゲバ棒」とか「安保反対」とか、はたまた「総括」(これは連合赤軍)という言葉は知っていた。これは後知恵なのだが、その頃学生運動していた「全学連」と言われる者達は、実は「新左翼」と呼ばれ、日本の既成政党「共産党」に飽きたらず、過激な思想に凝り固まっていた。挙げ句の果てに、同じマルキストを標榜しているもの同士で「血で血を洗う」果てしない戦いを繰り広げていたのである。

 実は、岡本公三の日本赤軍も元々は「新左翼」の流れにルーツをたどれるのだという。マルクス・レーニン主義と「イスラエル・パレスチナ問題」が何故リンクされるのかは、わしには伺い知れないことなのだが、彼ら日本赤軍の誕生の端緒を探るにはどうしても分け入らなくてはならない道、そう、「新左翼」を究明しなくては彼らを語ることにはならないだろう。

 そこで、彼らのルーツと思われる日本共産党、そしてプロレタリアと言われる戦前の活動家たちを追求すべきところなのだが、参考文献もおぼつかない故、とりあえずなにゆえに、彼ら新左翼と言われる者達は、日本共産党を飽き足らなく感ずるようになったかを追求してみたい。

 ということで、わしは明日から参考文献探しに、誰に頼まれたのでもないくせに一人奔走しなければならないのだあー(3月21日未明パソコンに向かいつつ深夜ただ一人呟く)。そんなわけで、次回のタイトルが何になるか明言できません(^^;。

[その26でーす] /welcome:

 マルクスレーニン主義を読めと言われれば、そりゃ、本屋さんに行けば訳著は買えるだろう。しかし、それを読み終えるのは至難の業だ。特に哲学専門の教授なんぞがかいているのになるととても厄介だ。そこで、どうしたものかと思いあぐねいていたら、手っ取り早くマルキストの説明をしている文面に偶然ぶち当たった。とばしとばしの引用になるので、違和感を感じる文章の切り方となる場合もなきにしもあらずではありますが、まあ、とにかく興味のある方はお付き合い願います。

 イデオロギーと政治と感情は人生の大きな圧力(戦争や占領、監獄、強制収容所など)の下で一つになることが多く、特に若い力はこれが顕著だ(もちろん成熟した人たちもこうした気持ちにとりつかれることはある)。

 憎悪の的だったナチス、そして帝国日本が潰走(かいそう)し、第二次世界大戦が終わりかけていた頃の東ヨーロッパの状況がまさにそうであった。

 地方でパルチザン部隊に入って闘った人達や都市で活動を続けていた人達、監獄や強制収容所でかろうじて生き延びた人達にまず浮かんだ問い掛けは、次に来るのは何なのかということだった。戦前のシステムが燃え尽きて灰の中で、戦争の破壊の中から生まれてくる新しい社会はどんな社会なのだろう。

 熱心にこの問い掛けをした若者たちは、愛国的で、文字通り、理想家だったし、ひたすら信念と信頼を求めた。彼らはロマンチストで(恐るべきことは戦争にもロマンチックな側面がある)神秘主義や絶対的信仰すら欲していた。そんな彼らの大半にとって、マルクス主義あるいは共産主義は求めていたヴィジョンやむずかしい問題にたいする容易な回答、それに安定した信仰に最も近いものを与えてくれる存在だった。

 共産主義は戦前にあった貧困や社会的不正を拭い去り、旧体制(アンシャンレジューム)の勢力や、古くさいローマ・カトリック教会の息苦しさを追放し、国家を経済成長と会員の繁栄という輝かしい勝利に導いてくれると彼らは信じた。

 ここで注意をしておかなくてはならないのは、マルクス主義に飛びついた若者グループの大半は、教育も知識もある家庭で生まれ育っていたことだ。彼らは知識階級の子供で、自分自身も若い知識人になった。たぶん、ほとんどが昔から富裕な階級に属していただろう。都市の労働者階級や農民の間では、理想主義や政治志向は限られれたものでしかなかった。政治だの、社会システムだのと言ったものが彼らを感動させたことは過去にも一度もなく、彼らは食べるのに事欠きさえしなければ、政治的文盲に甘んじていた。

 マルクス主義が約束する天国は、何故歳月とともに、若い共産主義を裏切っていったのだろうか。単純にして手短な答えは、現実の経験がついに期待に追いつけず、しかも内部的矛盾に満ちていたからと言うことだろう。皮肉なことに、資本主義は内部矛盾によって崩壊するというのがマルクスの哲学だった(それはひょっとして21世紀起こるかも知れない)。

 マルクス主義が大勢の人達に魅力的だったのは、合理的な「感情ではない歴史観」を与えてくれ、それによってすべてが明確になり、過去を説明できるだけでなく、未来も予見出来ると思えたからだ。マルクス主義は純粋に人間的な、人間中心の哲学として人を引きつけた。実に受け入れやすく、自分は歴史的な知識をすべて手にしているという心地よさに浸らせてくれ、しかも歴史を勉強する必要もなかったからだ。同時に自分は社会的な対決の正しい側にいる、搾取される側、迫害される側にいると言う信念を持たせてくれた。

 さらに共産主義は他の宗教と違い合理的でコスモポリタン的な自由な思考と言う伝統を引き継いでいると感じれた。マルクス主義は、ファシズム的伝統や排他主義、聖職重視主義から知的な逃避場所となり、他とは異質だったのだ。

 その世代のマルキストたちの、誠実さには尊敬を惜しまないが、これほど知的で誠実な人達が、何故、自分たちが失楽園にいると気付くのにあれほど迄に長い時間がかかったのか?

 第一の矛盾は、社会主義と政治的自由は調和しうるのか、するとすればどうすれば実現できるかという人類永遠の課題であった。社会主義と言うことで云えば、はじめはマルクス主義は希望を抱けそうだった。国家が無条件で無料の教育と医療を提供し、理論的にすべての市民が人生を始めるにあたって平等の機会を与えられるはずだった。

 だが、実際は、こうした機会はきわめて限られたものだった。スターリン主義者はあらゆる資源の国有化を主張し、東ヨーロッパの大半は中央指令経済のためにまもなく停滞に陥ったからである。この段階で、マルクス主義は自ら仕掛けた罠に落ちた。なぜなら、当分の間教育が成功していたから(経済はとっくに麻痺し悪化していた)、若い人達はきわめて基本的な問い掛けをするようになったのだ。何故、共産主義システムは機能しないのか?何故いつまでもみすぼらしく、物不足し、希望がないのか。なぜ「プロレタリアート独裁」の名の下に腐敗が起こるのか。何故、政治的自由のかけらもないのか。

 もちろん、正直な信奉者にとって、自分たちの信念も犠牲も根本的に間違っていると認めるのは辛いことだし(日本共産党は、ソ連は嘘の社会主義を標榜していたとして、我々こそが本当の社会主義を達成すると豪語している。ゆえに、象徴天皇制は、今の時点ではとりあえず認めておこうとの見解である)、たとえ腐敗し堕落したとはいえ信仰の対象を捨てるのは非常に難しいことだろう。4世紀前に、マルティン・ルターが味わったのもそのジレンマだったに違いない。

 第二次世界大戦のマルクス主義の興亡を、単一の基準で判断してはならないことは確かだ。東ヨーロッパ諸国の大半は、真剣にマルクス主義を信じ、そして失望のどん底につき落とされた知識人たちのドラマをそのまま生きていた。1945年以来、東ヨーロッパに共産主義を植え付けた人達は、ほとんどが古くからの共産主義者で、戦前には長い年月を自国の監獄で過ごした(日本も同じか?)。彼らにとってはスターリニズムはマルクス・レーニン主義と同義語で共産主義の支配を強制し、反対派を押しつぶすためなら、どのような残酷な手段も許されると考えていた。

 西ヨーロッパでは戦後何十年かにわたって共産主義が勢力を伸ばしたのは、第二次世界大戦の影響のおかげと同時に、古い政治的伝統にも根があった。例えば、フランスの抵抗運動「マキ」では、規律ある共産主義が対ナチス抵抗運動で重要な役割を果たし、労働者と知識人を団結させる力となった。

 しかし、マルクス主義のもう一つの生命、ヨーロッパの植民地支配から目覚めた新しい息吹が国家に根付いていた。西側陣営には度し難い見通しの暗さからこれを植え付ける手を貸し、それとともにあらゆる対立を持ち込んだ。

 その最たる国である、我が日本に於いてのマルクスレーニン主義、そして現在の進歩的文化人のルーツと言われる「新左翼」について調べてみたいと思うのです。

参考文献・文芸春秋「1945年以後(上)」吉田利子訳より。    

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