ノアのお話をする前に付け焼き刃ではあるが、ギリシア神話について一言語らせていただきたい。
この世を支配する、絶対神であるゼウスは、この世に「女」をもたらし、数々の悪も自分が創ったくせに「悪」は後から湧いてきたものだとうそぶき、その悪を大きくしていったのはひとえに人間どもの責任であると・・・。
それは母なるガイアが生み出したこの世界で人間だけが並外れて汚れた存在で、しかも人間達は自らそうしたのだと。だから、汚れは洗い浄めてしまわなわねばならない、と。
さらに、決して逆らうことの出来ない大自然のちからこそが神そのものだという事実を人間に思い知らせること。それは、水だ。水よ、人間どもの汚れを全て洗い流せ。と、究極のお仕置きを、ゼウスは人間どもに言い渡すのであった。
さて、人間に火をあたえたとしてゼウスの使いの仕打ちとして、大鷲に肝臓を食べ続けられたと言う悲劇の人プロメテウス。彼は、ゼウスが水の力によって人間を滅ぼそうと企んでいることをいち早く察知する。そして、その情報を我が息子デウリオンにいち早く伝え、それにより己の子孫の継続を息子に託すのであった。それは、さながら、旧約聖書のノアそのものではなかっただろうか。
そうなのだ、ギリシア神話の大洪水と、旧約聖書の「ノアの箱船」の物語は、全く同じなのだ。ギリシア神話は、ギリシアを含む地中海とその周辺の地域の伝説や神話がベースになっている。旧約聖書はユダヤ民族が暮らしていた地域をまとめたものだ。だから地中海、中東付近は同じエピソードを共有していても何の不思議はないのだ。になみに、「大洪水」のエピソードは、他にも幾つかの民族の伝説などに残されている。もしかして、人類の共通の「記憶」なのかも知れない。
そこでお約束の、ノアのお話をするのだが・・・。
ワインの歴史は、人類の文化史とともに語られ非常に古いと言うことは、種々の古典文献にもしばしばみることがで来る。特に、キリスト教の歴史にはよく記載され、最初にワイン造りを始めた人間としてノアが出現するのだ。
ドイツのヴィースバーデンの国際学術出版社発行の「ラインガウの歴史とワイン年代記」という書物によれば、ノアがぶどうを栽培したのは紀元前2337年となっている。ちなみに、ビールは「オシリスのビール造り」として、ワインに遅れること473年で紀元前1864年になっている。しかし、ワイン造りの始まりはその様に新しいものではなく、ずっと古い有史以前にすでにはじまっていたのである。
旧約によれば、アダムから10代目の子孫ノアが箱船を造り、自分の家族と動植物の原種だけを乗せてアララット山につき、この時、神はノアにぶどうの栽培とぶどう酒の作りを教えたとされる。またギリシアの神話では、神ディオニソス(バッカス?)がぶどうの栽培法をぶどう酒造りを発明したとある。さらに、エジプトの神話にはオシリスの神が麦から酒を造る方法を教えたと伝えられる(もちろんビール)。
「エジプト」
オシリス神がでたところなので、シュメールは後にして、エジプトを俯瞰してみよう。
エジプトは、後述するシュメールと異なり、遺物や遺跡などの歴史の証拠がふんだんに残されているので、ワインの歴史探求も容易ではないだろうか。ワイン造りを証明する最古の遺物は、シュメールのそれよりさらに一時代遅れるのだが、まず文字による遺物として、古王国時代(前2850頃)のはじまる少し前の酒壺の表面に「ワイン」と言う言葉(エジプト語でイルプ)が刻まれている。しかし、メソポタミアのワイン造りに学んだものか、あるいは無関係に独自に発明したものか結論はでないところだが、この古代のエジプトにおいても、ぶどうの樹をシュメール人の表現と同じ「生命の樹」と呼んでいることから、エジプトはシュメールからワイン造りを学んだのではないかと、多くの学者が想像しているらしい。
次回は「旧ワイン時代」、お楽しみに。
その4・「シュメールと、旧ワイン」
前回は、付け焼き刃ではあるがプロメテウスについてお話しした。以前番外編で「パンドラの箱」について触れたときにエピメテウスに「ゼウスのことは信じるな」と忠告した兄である。
この兄弟は、以前も話したと思うが、名前からして寓意的である。例えば、本の目次などを見ると、前置きの部分をプロローグと言い、あとがきの部分をエピローグと呼んでいることが多いが、”プロ”には”前”という意味があり、”エピ”には”後”と言う意味がある。また、”メテウス”は”考える”という意味が含んでいる。
プロメテウスは”前もって考える”人であり、エピメテウスは”後で考える”人であった。日本語の慣用句で言えば、さしずめプロメテウスは”先見の明”であり、エピメテウスは”下衆(げす)の後知恵”である。
この兄弟の系図を遡ってみると、ガイアの子供のオケアノスとテチュスの孫に当たり、親はイアペトス、クリュメスである。詳しくはいずれお勉強するとして、天界の支配神であるゼウスの怒りに触れたと言われるそのプロメテウスだが、その彼は、大地(ガイア)と海(ポントス)の出会うところに生命が宿ると考え、土と水から人間を創りだした。
プロメテウスは確かに人間を創り、いつでも人間の味方ではあった。そして、プロメテウスの火は確かに人間の自立をもたらした。だがしかし、同時にそれは自滅への可能性をもたらす。火によって可能になった技術に金属加工があり、それは、鉄→武器→兵器へと拡大利用されていく。
「プロメテウスの火」の延長線上に現代の原子力開発があると言ったらオーバーであろうか?「浅はかな人間に火をあたえるとろくなことにならない」という、ゼウスの予感は、あながち当てずっぽうではないだろう(ゼウスは単なる女好きではない)。
そのような彼等のストーリーには、古代ギリシア人が破壊を重ねて発展してきたという自らの歴史の中に「もてる能力を乱用する人間の愚かさ」を、すでにその時代に実感していた証ではないだろうか。
さて、ギリシア神話はさておき、本題の「酒の話をしましょう」か・・・。
「旧ワインの時代」
歴史の遺物としては、ワイン造りを明瞭に証明するもので一番古いものが、シュメール人達が残したおよそ6千年以上も前のものと思われる「ロール・シール」だ。これは大理石・石墨・瑠璃(るり)などの石材で作られた約2〜3センチ、直径1〜2センチぐらいの小さな丸い石棒で、ぶどう模様などの主とした浅く浮き彫りになっているものだ。
世界最古の文明が出現した黄河流域とともに共通した黄土文化で、粘土をこねて作る初期の土器作りはお手の物だったのだろう。
造ったワインの容器、つまりワイン樽には、上部にワインの出し入れする小さな口を開けておき、造ったワインをそこに貯蔵するのだが、盗飲などのいたずらを防ぐためにその開き口を布で覆い、その上を粘土で塗りつぶして口を密封する。
密封したばかりのまだ柔らかい粘土の上に、先ほどの浅浮き彫りの施された丸い石棒を押さえつけて転がし、その彫刻を粘土上に刻印して放置乾燥させると、立派な封印になる。先ずは、今日のラベルのはしりと言ったところか。
ここまで来れば、ワイン自体はもはや原始ワインとは違って少しは洗練されたものになったのではないだろうか。果皮などは取り除かれ、上澄み液の一番良いものを神殿や統治者に献上し、残りの残滓があるものは下々の者が飲んだことだろう。それに、時代も採集・狩猟の生活から農業を基盤とする時代に入っており、当然ながら、ワインの原料を供給するぶどうの樹も栽培するようになっていたと思われる。
必然、採集時代の永い経験から、よりよく実り、よりよくおいしい実を結ぶぶどうを探して、野性のぶどうよりすぐれた品種へと変わっていたと推測されるのである。これが今日言う学名「ヴィティス・ヴィニフェラ(つまり、ワインを作るぶどう樹の品種名だそうです)」。ちなみに、ヴィティスは(ぶどうの樹)、ヴイニ(ワイン)、フェラ(造り出す)
さて、シュメール人やエジプト人は、ぶどうのことを「生命の樹」と称し、一般にワインは神が授けた飲み物と考えていた。シュメールのユデア王は、ワインは豊作の神ニヌンタから授けられた飲み物として、ニヌンタに長寿を祈って、ワインと蜂蜜を飲むのを常としていた。また、エジプトでも、ワインを神が飲む飲み物として尊び、アメノフィス三世は、アモン(隠れるたる者と言う意)の神を、花とワインにはさんで祭った。また彼等はワインを生け贄のための供え物のひとつにもしていた。
ワインは、このようにして宗教として結びつけられながら、権力者達のかっこうの飲み物として発展して行く。しかし、この時代のワインは概して、非常に濁っていて、かなり渋み・苦みを呈し、また非常に酸味も強かったろうと思われる。それでも、ワインはもともと果実酒だから、果実の味と香りがワインの主軸になることに変わりなく、古代においてはなにより優雅な味香を独り占めしたし、ましてや甘い蜂蜜を適宜に溶かして飲めば、ワインの含む軽いアルコールとともに、権力者達を魅了してやまなかったと言うことは想像に難くない。
ちなみに、ぼつぼつと出現したのがビールの先祖だ。もちろん、まだホップの添加など知らず、ワインに比べ、味香著しく劣り、原料も比較的容易に入手できる穀類だから、権力者達もワインほど貴重がることはなかったと思うが、一足お先に大衆の渇きを癒していたと思われ、エジプトでもメソポタミアでも、ビールは相当大量に飲まれていたようだ。ビールに関してはいずれ詳しくお話ししたいと思いますが、とにかく次回は、古典ワインの時代をお楽しみ下さい。つづく