カリスマのルーツを探ろう!

その2・「この国のイジメ」はここをクリックしてね!

「この国の行く末」

 またまた突然だが、緊急企画をやることになった。それも今回は「カリスマ」についてじゃ。さて、カリスマとは何だろう。つい最近「カリスマ美容師」と言うのが世間を騒がしたというのは記憶に新しい。わしの青春時代、1970年代、40歳で夭折した(とはいわんかな)ジョンレノン、そしてボブディランは左翼学生のカリスマ(偶像)だった。現在50歳の誕生日を迎えたえーちゃん(やざわの)は、あの頃不良のカリスマだった(どちらかというとわしはこちらに所属するのだよーん)。そんなわけで、人間はなぜだかカリスマを常に求めているのだ。しかし、なぜだろう??。

 さて、昨今(姿勢を正して)、世相を騒がせている、とても喧しいオーム、シャクティーパット、「最高ですかあー」のオカルトもんがおおはやりだ。いったいどうなってんだろう。さらには、子供達のいじめ、はたまた同じく年端も行かない子供の猟奇的事件。

 このようなゆゆしき出来事がこれでもか、これでもかと我々日本国に起きているのだ。戦後50年をすぎ確実にこの国は行き場を見失っている。21世紀は大丈夫なのだろうか?このままの状態で日本の明日はあるのだろうか?

 「いやいや、お前のような酒場のおやじがとやかく言わなくても世の中どうにかなるものさ」、とそんな返事が返ってきそうなのだが、本当に安心して好いのだろうか、現在の「この国のかたちは」本当に歪んでいないのだろうか。

 さて、わしがこれから話すことにおいて、非常に大切ながカギとなる不可欠な言葉がある。その言葉の意味を理解してもらってこれからの話を進めることにする。その言葉とは一つは「アノミー」もう一つが「中核そして革マル」(これは他のページでいずれお話ししたいと思いますが今回は直接は触れないと思います)。

 では、その「アノミー」なるものはいかなるもであるか?

 普通は「無規範」と訳されるそうじゃが、それよりも広く”無連帯”のことと思っていただきたい。アノミーの概念を発明したのは社会学の始祖「E・デュルケム」(フランス人、1858〜1917)である。彼がアノミー現象を発明したのは自殺の研究を通じてである。彼は、生活水準が急激に向上した場合(激減ももちろんあるが)にも自殺率が増加することを発見した。

 ではなぜ生活水準が急上昇したら自殺が増えるのか?

 それは、それまで付き合っていた人達との連帯が断たれるからである。他方、上流社会入りを果たすのも容易ではない。成り上がり者と烙印を押され、容易には金持ちの仲間になることはできない。かくして、どこにも所属できず無連帯(アノミー)となる。連帯を失ったことで、狂的になり、ついには自殺に至る。これがアノミー論の概略だそうだ。

 アノミーには、この単純アノミーと「急性アノミー」と呼ばれる概念がある。こちらの方は、信じ切っている人に裏切られたり、”信奉していた教義が否定されたとき”(このことは肝要です)に発生するアノミーである。急性アノミーが発生すれば、人間は冷静な判断ができなくなる。呆然自失。正常な人間が狂者よりもはるかに狂的となる。社会ルールが失われ、無規範となり、合理的意志決定ができなくなる。

 たとえを言おう。

 精神分析者フロイトは、急性アノミー現象を、軍隊の上下関係の中に発見した。どんな激戦苦戦でも、指揮官が泰然としていれば部下の兵隊はよく眠り、よく戦う。厳正な軍規が保持され、精強な部隊であり続ける。

 しかし、指揮官が慌てふためいたらどうなるか?急性アノミー現象が発生し、部隊は迷走し、あっと言う間に崩壊する。ヒットラーは、これをローマ教会に見たという。

 ローマカトリックは、なぜ1500年以上も世界最大の宗派たりえるのか。それは、ローマ教会が絶対に教義の過ちを認めないからだそうである(頑固だね)。これが世界最大の教団であり得た理由であるとヒットラーは説明した。

 かくて、急性アノミー理論は、別名「ヒットラー・フロイトの定理」とも言う。

 さて、これまで述べてきたことはなにを示唆するのか?そう、カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならないということだ。ましてや傷つけてもならない。もし、カリスマが傷つけば集団に絶大な影響が及ぶ。もし、カリスマを失えば集団は崩壊する。ソ連邦解体の兆しはフルシチョフのスターリン批判であるとも言われている。そこで日本だが、それは次回と言うことで・・・。

 参考文献は最終回に言います。

[その2でーす] /welcome:

 日本のカリスマに行く前に「60年安保」の頃に遡りたい。

 アノミーの特徴は、最も正常な人が狂者より狂的になる。新左翼という急性アノミーを生んだ根は大学紛争だった。かつて、左翼運動に身を投じた若者の中には「安保条約に反対したとき、実は安保条約など全然読んでいなかった」と告白するものが多かったそうである。このことはなにを意味するか?

 暴れること自体が目的で、反対する理由などどうでもよかったということだ。同様に、大学紛争も何の目的も掲げなかったと言われる。同時期、ヨーロッパでもアメリカでも大学紛争が吹き荒れた。日本と根本的に違う点は学生が幾つかの要求を掲げて戦ったということだ。ところが、日本ではあれほどの大学紛争をやりながら大学改革は何もなされなかったのだ。本当なのだろうか?

 もしそうであるなら、暴れること自体が目的であって、他の目的がなかったということだ。これは明らかにアノミーである。

 大学紛争の末に誕生したのが、いわゆる新左翼である。彼等がやったのは無差別の殺し合いだ。論理的に考えれば、革マル派と中核派が同盟して、日本共産党と戦う。あるいは、共産党とさえ同盟して自民党政府と戦うのが目的を達成する合理的な戦略であるのだが、それはいっさいやらないで似たもの同士で戦っている。革マル、中核、連合赤軍ほどアノミーの症状を明確に表しているものはない。カルト教団と酷似している。

 しかも、それらの人間は、すべてではないだろうが実はまじめな学生だったり普通のサラリーマンだったりする。当時も、あんなまじめな人がなぜ、と人々は驚いたが、これが新左翼、そしてカルト教団の原型があるのだ。

 新左翼が若者にとって魅力がなくなった結果、生まれたのが家庭内暴力だと言われている。さらにそれが昂進したのがいわゆる「いじめ」。今やいじめは大問題だ。でも、いじめは昔からあったと思うのだが、今の日本のいじめはそれと全然違うという。どこが違うのだろう?

 昔のいじめは、いじめる主体がいた。そして、いじめられる客体がいた。ガキ大将は「お前、俺の子分になれ」。「はい子分になります」と言うと、いじめるのをやめる(そうなんです、わしも子供の頃はなるべく強いやつと仲良くなってガードしていた。それが子供の世界でのいきる術なのだ)。

 しかし、「なりません」と言うと、さんざんやられる。そう言ういじめは世界中にどこにもある。いじめられたくなかったらわしみたいにうまく立ち回るか、それともガキ大将以上に強くなることだ。ディズレイリー英国首相(1804〜1881)は「ユダヤ人の子だ」といじめられたから、ボクシングのけいこをして相手を張り倒した。これがベストで、セカンドベストは忠実な子分になることだ。取り合えずそれでいじめはなくなる。いずれにしろ自殺するほどのことではない。

 ところが、平成の”いじめ”はいじめる主体がなくて客体もない。いじめる主体は「空気」だ。あいつは汚いだとか、臭いだとか、いじめの空気ができる。非常に陰湿だ。いじめをやる子供達の間には連帯がないからよけい怖い。主体も客体もない「空気」が犯人だから矛先がどこに向かうかわからない。誰かが誰かをいじめる空気をつくる。すると関係のない生徒までその空気に乗る。乗らないといじめが自分に来る。

 しかも、アノミーだからいっさいの規範がない。空気によるいじめは、特異な怖さがある。「空気」が犯人だから、文部省がいくらお金をつぎ込んでも、いくら調査をしても解決策がわからない。

 新左翼、親子殺し合いの家庭内暴力、いじめ、オウム教団、これ全部アノミーだ。新左翼は没落したが、アノミーは家庭内暴力がいじめに吸収されていった。それをカルト教団が結集したというのが真相なのだ。そして、「進歩的文化人」と呼ばれる人々が今の世を動かしていると言われる。本当なのだろうか?その事についてはいずれ探ると言うことで・・さて、とうとう渡らなければいけない橋のたもとまでやってきた。そう、我々日本人のカリスマ(じゃあーん)「この国のカリスマ」。

 てなわけで、次回は日本のカリスマのルーツを探りたいと思います。

 

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