その16・「公会議とは?」はここをクリックしてね!

その15・「人間か神か?」

 前回はイエス・キリストは神であるか人間にすぎないのか、と言う大論争が起きたところで終わったのだが、無神論者であるわしにとっては何とも奇妙奇天烈な論争に思えるのだが、キリスト教を信ずる者にとって、ことは重大なのだ。

 さて、アレクサンドリアの神学者アリオス(250?〜336?)は、イエスは神ににているが神ではないと主張した。それに対して、アレクサンドリアの主教アレクサンドロス(?〜328)は、イエスは神であるとした。つまり、イエスは神と同類か同一かを巡る論争である。たとえ同類であってもすばらしいことだと思うのだが、その同類(homoiousios)と同一(homoousios)”同じくホモウーシオスと呼ぶそうだが”、ただし同類の場合(i)の一字が多い。この「i」の一字の有無を巡って世界史を揺るがす大論争が起きたのだ。

 この、ほんの少しの違いが、時に決定的な意味を持つことの洞察こそ社会科学の極意であると、小室直樹先生は喝破されるのであるが、とにかく、イエス・キリストが神であるか否かで東方教会は分裂しそうであった。

 コンスタンティーヌス大帝(306〜337)は、みずから議長になって、300人の主教を召集してニケヤに公会議(これについては近々)を開いた。ニケヤ会議では、三位一体説を採択し、イエス・キリストは神と「同一」であると決議した。これがニケヤ信条である。アレクサンドリアの神学者アリオスの派は、異端として追放された。しかし、二ケア信条に反する説が多く唱えられたことは確かなようで、とにかく百家争鳴なのである。

 特に強く反対したのがネストリオス(景教の)である。彼は三位一体説を否定し、また、聖母マリアを「神の母」とは呼ばずに「キリストの母」と呼んだ。実は、この論理はイスラム教に通じるものがある(コーラン)。しかし、カトリックなどにおいてマリア信仰が重大な意味を持つことを考えると、ネストリオスの説は聞き捨てならないものがあった。

 さて、唐の時代に伝わったと言われる景教(ネストリオス)は聖母マリアをたんに「キリストの母」と言ったのであるが、それと同じくするのが先ほども少し触れたイスラム教である。コーランは「マリアはたんなる正直者にすぎない」とすげないのだが、とにかく神であるとも神の母であるとも認めないのである。神学上多くの難問を含む「マリア信仰」は、実はキリスト教の中にも反対する人が多く「マリア信仰」ほど難解なものはないと言われる。

 さて、二ケア信条によって「イエス・キリストは神である」と決まったものの、異論は続出し、いっこうに収まりそうにない。そこで、451年にカルケドン公会議で決着がつけられた。それにより、ネストリオス派は追放される。三位一体説は確認され、「イエス・キリストは完全な人であって、完全な神である」というカルケドン信条がめでたく採択された。

 ここでもう一度、三位一体説をおさらいしよう。

 三位一体説とは、神とイエス・キリストと聖霊は、三つの位格(ペルソナ)でありながら、一つの実体である、とする説だ。理論的に言ってもとても難解である。ヘレニズム世界でこの説により百家争鳴したのもむべなるかなである。ちなみに、コーランは三位一体説はストレートに否定している。

 さて、カルケドン信条によりめでたくイエス・キリストは神であると承認されたのであるが、その後の歴史に重大なことがある。歴史の教科書にも太文字で載っている4世紀から6世紀のゲルマン民族の大移動である。476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケル(433〜493)によって西ローマ帝国は滅ぼされる。

 このゲルマン人に公会議で追放された「イエスは神ににているが神でない」と言ったアリオス派の宣教師が布教しつつあった。410年、ローマに侵攻してこの永遠の都を灰燼(かいじん)にしたアラリクスもアリオス派だった。しかし、フランク族であるメロヴィング家のクローヴィス(在位481〜511)は、カトリック(二ケア信条=カルケドン信条)を信奉するアタナシオス派に改宗したのである。これは重大なことである。

 その後、メロヴィング家から実権は宮宰であったカロリング家に移る。そして、シャルルマーニュ(カール)大帝(800年に即位)が、ローマ法王とカトリック教会とを保護した。この経緯で、ヨーロッパの大半は、カルケドン信条と三位一体説を教義とするキリスト教によって占めるられることになる。

次回は、ローマ・カトリックで言う「公会議」について、一言。

参考文献・世紀末・戦争の構造(国際法知らずの日本人へ)小室直樹著より。

[その16でーす] /welcome:

 ローマ・カトリック教会で言う、ローマ法王(教皇)及び、公会議とは何だろう?

 文献をひもとけば、ローマ・カトリック教会には、司教_司祭_信徒と言う、「ヒエラルキア」と呼ばれる制度があり、司教は12使徒の後継者とみなされている。その司教の中で、特別にイタリアのローマ市の司教を「ローマ法王」あるいは「ローマ教皇」と呼んで、教会の最高の指導者の地位を与え、イエスの死後原始的キリスト教団を指導した「ペテロ」という人物の後継者とみなしているわけである。

 そこで、公会議(プロテスタント教会では総会議と呼んでいる)というのは、全世界の司教及び正規の教会代表者が教会の教義に関して審議し決定するために集まる会議のこことを言う。しかし、イエスの説いた教えになにか新しいものを付加するというようなものではなく「新約聖書」に記されているイエスの教えを、さらに詳しく説明しているだけである。

 第一回は325年に、ときのローマ皇帝コンスタンチヌスのお声掛かりで、「ニケヤ」と言うところで開かれたので、これを「ニケヤ公会議」という。第二回は381年にコンスタンチノープルで、第三回は431年にエペソで、そして第四回目は451年に「カルケドン」で開かれた。この四回目の公会議は、キリスト教で教義確定の上できわめて重要な役割を占めたのは以前話したとおりなのであるが、あらためて言うなら、これらの会議で三位一体・キリスト論(イエスは人間でありながら神だという事、もしくは神聖を宿している人間と言えばすっきりするかなあ)等について正統的教義の基礎が確立されていったということだ。

 カトリック教会は、つい30年ほど前、1962に開かれた「第二回バチカン公会議」を含めて21回の公会議を認めているが、プロテスタント及び東方正教会ははじめの7回だけしか公会議を認めていない。現在カトリックでは、ローマ教皇のみが公会議を召集する権利を持っている。

 参考文献、PHP文庫・井上洋治著「キリストがよくわかる本より」

 さて、公会議についてはわかったと思うが、カルケドン信条による人間であるイエス・キリストは神であるという、キリスト信者以外には誠に奇妙奇天烈な教義(ドグマ)を垣間見たわけであるが、それはとりもなおさず、神が全知全能、広く存在するところの偏在の絶対者であるという事でもある。

 これは無神論者にとってカルケドン信条の意義は想像を絶するものである。それであるなら、キリスト教の神は法も法則(自然法則・社会法則)をも変更可能ではないか??

 さて、神としての人間イエスを共有することによって、ヨーロッパは一体化した。共同体としての普遍世界・キリスト共同体が作られたのである。それにより、カルケドン信条を根本ドグマ(教義)とすることによりキリスト教共同体は、宗教改革のときでさえ揺るぎないものであった。

 ルター、カルヴァン(商売は好いもんだと言った人??)をはじめとする宗教改革の指導者達はすべてカルケドン信条を信奉していた。このカルケドン信条においては、カトリックもプロテスタントもギリシア正教(ロシア正教)も同じであった。ちなみに、教義(ドグマ)とは、公会議で決定された権威を与えられた教条のことである。

 聖書、啓示(神からの指示)、伝承については三者(カトリック、プロテスタント、ギリシア正教)にはそれぞれの考えがあるにしても、いずれにせよヨーロッパのキリスト教共同体は三位一体説と「人間イエスは神である」との信仰を共有する。これに反対するものはとてつもない仕打ちを受ける。たとえ現在この世の中に生き残っているとしても、ヨーロッパの辺地とアメリカに、わずかに虫の息(余喘)を保っているだけであろう。

参考文献、「世紀末・戦争の構造」小室直樹著より。

次回は、父と子と聖霊「三位一体」についてもう少し具体的に。

   

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