「☆新天性人後」

 20世紀終わりごろより始めました「天性人後」随分と休んでいました。

自分自身の勉強のつもりでいろんな本を漁り、引用文など活用しながら自分の言葉も交えながら歴史を知りたいと懸命にキーボードを叩いてきました。

 それで自分のものになったかというと、それほどでもなくて何となく概要がわかった程度で、それほど甘くはありません。

 歴史を深く知る、ということに関してはもうすでにあきらめはありますが、歴史に対する興味は決して失うことはありません。

 そんなわけで、歴史を深く知ることは到底無理と悟りはしましたが、今一度初心に帰り、戦国時代、幕末と、30代に(おそいぞ)興味を持ち始めた歴史の時代から、わたくしの本棚にほこりがかぶっている本を改めて読み直したいと思います。

 わたくしの歴史事始は「司馬遼太郎」さんから出発しました。「竜馬が行く」が最初に読んだかもしれません。「花神」では、それまで知らなかった大村益次郎(村田蔵六)をしりました。

 今回はその「花神」から数ヶ月前から読み始め現在松本良順の「胡蝶の夢」の4巻目に差し掛かっています。

 というわけで、幕末に至る蘭学を中心とした歴史を今回は勉強したいと思います。さて、どこまで続けていけるでしょうか??(とにかく、何か書かなければ始まらないと感じましたので、まずはです)2009/10/20

「☆新天性人後・一回目」

 幕末に至る我が国の歴史において、鎖国の扉をこじ開けたのは確かにペリーの「黒船」かもしれない。しかし、徳川幕府が瓦解したのは歴史の必然かと思う。我が国のみが眠りをむさぼる時代はとっくに過ぎていた。と言うより、300年近くもよくも国を閉ざしていたと思う。

 もちろん、オランダや中国・朝鮮とは交易をしていたのだが、洋書を国内に持ち込むと言うことはとく徳川幕府はある時期まで徹頭徹尾、阻止したのである。そのヨーロッパの学問が我が国にかすかな隙間を通して入り込んだことによって、徳川幕府の存在を崩壊せしめるに至る過程を、それに至る物語を知るためにも、相当時代を遡らなくてはいけない。

 時代を13世紀まで遡ろう。13世紀末、元の国へきたベネチア商人マルコポーロは、「東方見聞録」を書いて、黄金の国「日本」を紹介した。それ以来、ヨーロッパ人のアジアに対する関心が深まったと言われている。ことに、東インドのこしょうや中国の絹などをヨーロッパへ運べば莫大な利益を上げることができたので、アジアに行きたいという望みはいっそう強くなります。

 その先頭に立って、アジアへの進出をはかったのが、ポルトガルとイスパニア(スペイン)です。このころコロンブスのアメリカ発見、パスコダガマのインド航路発見、マゼランの世界一周など行われましたが、いずれも両国の後押しで、アジアの道を開こうとしたのであります。

 その結果、ポルトガルは1510年(永正7年)頃にはインド、マラッカ、モルッカ諸島など東南アジアの各地に進出していきました。1543年に初めて日本にポルトガル人が来たというのも、偶然ではなく、いずれは当然起こることだったと思われます。なお、1542年にポルトガル人が種子島についたと書かれています。ちなみに、慶長11年(1606)に文子という僧が書いた「鉄砲記」の中に種子島氏の手柄話をみることができます。

 さて、ザビエルは、1542年(天文11)耶蘇会(やそかい)の宣教師として、初めてインドへ渡ります。それから6年、インド各地を巡り歩き、1547年マラッカへ帰ったとき、日本人青年マンジロー(薩摩人)と出会い、日本にキリスト教をひろめることを決心します。

 ポルトガルと日本の貿易は16世紀終わりごろ50年間が黄金時代です。

 日本人は、スペイン人がフイリッピンに住み着く前(1567年以前)から、毎年のようにフイリッピンへいって、貿易をしたと言われています。

 天正11年(1583・ガリレイ振り子の等時性を発見、天正12年日本少年使節フィリッペ王に謁見))カガセン川の河口で、スペイン船隊と日本の商船隊が戦ったようです。このとき川上には日本の砦があり、おそらくここを根城の倭寇とよばれる人々が、堺の商人などと結びついて貿易をしていたのだろうと言われています。2009/10/21

 「☆新天性人後・二回目」

 天文12年(1543・コペルニクス地動説を主張)ポルトガル船が鉄砲を日本に伝えた頃から、ヨーロッパとのつながりが深くなったのですが、一方、日本の貿易船が南方各地へ出かけることも多く、そこには日本人町もできるほどでした。そして、家康の頃になると、さらにオランダ、イギリスとの国交もはじめられます。

 1564年(永禄7)ロンドンで生まれたウイリアム・アダムスは家康から深く信頼され、日本人と結婚して小田原町に住んでいたようです。アダムスはイギリスがスペインの無敵艦隊と戦って勝利した時(1588)船長として参加しています。

 16世紀の頃、ヨーロッパではポルトガルとスペインが強い勢力をふるい、海外貿易を独占していましたが、ポルトガルは主にインド洋から東インド方面に力をのばし、スペインは南アフリカ大陸からフイリッピンにわたる広い地域に植民地をもち、それぞれの植民地から集まってくる富によって国力を支えていました。

 しかし、スペインの無敵艦隊は1588年、イギリス艦隊によって破られます。またそれより少し前1566年にはスペインの植民地であったオランダに独立戦争がおこり、ついに1581年には、ネーデルランド共和国として独立します。こうしてスペインの勢力が弱ってくるとともに、これに替わって、イギリスとオランダが東洋に進出してくるのです。

  ホームに戻る