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育児、子育て - Sketch in Saigon の日記

フーンさんの子育て日記(前半)
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これは日本人と結婚して、昨年初めて赤ちゃん
   を産んだベトナム人女性・フーンさんの半年間
  の子育てを、日記ふうに綴ったものです。
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* 初めての赤ちゃん誕生!*

 2002年11月4日、深夜1時40分に女の子が生まれました。身長が49cm・体重が2,800グラムでした。ここベトナムでは女性は、(雪のように白い肌)が理想とされていますので、日本の名前を「雪」と付けました。そしてベトナム名ではAi(愛)と付けました。

 「予定では11月20日くらいですよ」とお医者さんは言っていたのですが、想像していたよりもかなり早く生まれました。11月3日の夕方に少し痛みを感じたので、まだだろうなとは思いながらも、念のために夕方ころに病院に入ることにしました。私の母が病院には春さんと一緒に付き添ってくれました。

 病院に着いてしばらくしたら痛みも収まって来たので、春さんは一旦家に帰りました。しかし夜の11時過ぎから、だんだん痛みが増して来ました。激しくなる痛みと、その痛みが収まることの繰り返しが続き、そして12時過ぎからだんだん痛みがさらに増して来て、ついに待望の赤ちゃんが1時40分に生まれました。

 春さんもまさか今日のこの日に生まれるとは思っていなかったようで、2時すぎに電話したら寝ていたらしく、「今先ほど生まれたわよ!」と言うと「えっ…」と言って、しばらく黙っていました。その後「本当かい!?で2人とも元気かい?」と聞いて来たので、「ええ、元気よ」と答えました。

「すぐ今から行くよ!」と春さんが言ったけれど夜も遅いし、同室の人が大勢いて迷惑を掛けてもいけないので、朝早く来てもらうことにしました。そしてあらためて私の腕枕の横に寝ている赤ちゃんをじっと見つめました。

 まだ目は閉じたままで、ずっと眠ったままの状態です。今このとき何を思っているのだろうか?(あなたは今この世界に、今日生まれたのよ)と、こころの中で赤ちゃんに語りかけました。

 そしてそのまだ小さな・壊れそうな鼻や唇をそっと触って見ました。この子が9ヶ月以上も私のお腹の中にいて、こうして生を受けてこの世界に現われて来たことが、今赤ちゃんを目の前にしても信じられません。じっと見ていると涙が出て来てしまいました。

 私が入院した病院は、Tu Du(トウー ユー)病院という名前で、日本でもあの「ベトちゃん・ドクちゃん」が入院していた病院としても有名です。ホーチミン市内では一番大きく、毎日多くの赤ちゃんがここで生まれています。市内だけでも毎日多くの赤ちゃんが生まれますので、部屋が足りなくて狭い一つの部屋に4人くらいの人たちがベツドに寝ています。

 しかしまだそういう部屋に入れる人は良いほうで、部屋に入れない人たちも多く、そういう人たちは通路の廊下にベツドを置いてそこで休んでいます。個室一人の部屋というのもありますが、病院関係の知り合いか、特別に高い料金を払わないと入れませんので、普通は入院しても相部屋か廊下で寝るしかありません。私も相部屋に入ることになりました。

 それで相部屋や廊下であれば料金が安いので、ベトナム人の多くがここの病院を利用します。そして見舞いに来た家族や親戚の人たちは、病院の中にある中庭にゴザを敷いて、ついでにお昼ご飯も食べながら時間を過ごしています。

 翌日の朝早く春さんが来てくれて、すやすやと寝ている赤ちゃんの顔をじっと見つめていました。そして「大変だったろうけど、よく頑張ったね。ありがとう…」と言ってくれました。赤ちゃんに顔を近づけて見ていましたが、まだこの時には赤ちゃんも目を開けることも出来ずにただ寝ているだけです。そしてこの部屋には他にも大勢の人たちが出入りして、ゆっくり座る場所もないので、春さんは病院の中にある中庭に出て行きました。

 午後からは私の父や弟や妹たちも来てくれて、「お姉さん、おめでとう!」と言ってくれました。家族みんなが揃って来ていろいろ祝福してくれることに対して答えている時に今までのことを思い出し、やっと永い出産までの道のりを終えることが出来たのだな〜と思ったことでした。

* 退院*

 病院には2日だけ泊まり、家にはタクシーで帰りました。二階から昇り降りすると食事や、赤ちゃんの行水や、人が来た時に応接することなどが大変なので、実家から20年以上は経つ昔の大きい木のベツドを持ち込んで、一階に据えて寝ることにしました。

 すべてが木で出来た昔のベツドですので柔らかいマツトなどはなく、木の板の上にゴザを一枚敷いて寝ます。さすがに十日もすると背中や腰が痛くなって来たので、後では薄いマツトを敷きました。しかも一階にはクーラーなどはなく、天井でクルクルと回る大きな羽根の扇風機だけですが、慣れているのでさほどさほど暑くは感じません。

 私の母は寝る時には、固いタイルの床の上に薄いゴザを一枚敷いて寝ています。体の上には薄い一枚の生地の毛布を掛けているだけです。結局私が元気になるまで一ヶ月半は、そういう生活をして炊事や洗濯などをいろいろ助けてくれました。母には本当に感謝しています。

 退院してもまだ私は体が完全には回復していないので、ずっとベツドに寝た状態でした。毎朝母が近くの市場に出掛けて、その日の食事の材料を買い、一日の食事を作ってくれます。そして一週間だけ病院の看護婦さんが家に出張して、赤ちゃんの行水の仕方を教えに来てくれました。

 左手に赤ちゃんを水平に抱え、耳に水が入らないように右手で頭や顔を洗い、最後に体を洗います。そしてヘソの尾に薬を塗って帰って行きます。全部で30分も掛らないのですが、やはり慣れているのでしょうか、赤ちゃんは頭を洗っている時には、目をじっと閉じて気持良さそうにしています。これで一日30,000ドン(約230円)を払うことになりました。

 それで私の母が、「毎日来てお金を払うのはもったいないから、洗い方を見
て覚えたら一週間で断って、その後はあんたが自分で洗って上げなさい」と言うのでそうしました。そして自分で頭を洗って上げたのですが、やはりまだ慣れていないので、最初の日は気持良さそうにはしてくれませんでした。

 私の手の上で動いて、あの看護婦さんのようにじっとしていてはくれませ ん。でも2・3日すると私も慣れて来て、赤ちゃんも気持ち良さそうにじっと目を閉じてくれるようになったので安心しました。

* 一ヶ月目、子育てのはじまり*

 退院していよいよ本格的な子育てが、これから始まりました。ところでベトナムでは産後一ヶ月までは、シャワーを浴びると体が冷えて良くないと言われていて、どんなに暑くて汗が出てもみんな我慢しています。せいぜい濡れたタオルで体を軽く拭くだけです。

 私もみんなが言うようにそれが当たり前と思い(私の姉も産後一ヶ月は、やはりシャワーは全然浴びなかったそうです)、一週間・十日と我慢していましたが、ついに二週間目になってどうにも我慢しきれなくなり、シャワーを浴びてしまいました。

 でもシャワーを浴びた後は気分もすっきりして、やはりこのほうがいいわと思い、それからは毎日シャワーを浴びるようになりました。その後も体を洗って気持良くしていたほうが、やはり赤ちゃんにも気持良く接することが出来ました。

 こういう考え方は、温かいお湯が出ないシャワーの設備のない田舎などでは直接そのまま冷たい水を浴びるしかなく、体の弱った産後間もない女性にとってはあまり体に良くないことなので、そういう考えが広まったのだろうと思います。

 さらにまたこれも昔ながらの方法ですが、母は毎朝七輪に炭を熾して、私のベツドの下にそれを置き、私の体を温めてくれます。七輪の炭の熱でベツドの一番下の板とマツトが熱いくらいになったころに、背中とお腹を交互に温めますので、私は毎朝汗だらけになります。これをしないと後々、体が弱くなって支障が出て来ると昔の人は言いますが、その効果のほどはしばらく経ってみないと良く分かりません。

 次に私の母はその炭火の熱に手をかざして、しばらく温めた手を今度は赤ちゃんの頭とお腹に当てて何度も繰り返していきます。この動作は赤ちゃんにとっても気持が良いようで、その間はじっと目をつむって寝ています。12月のベトナムも朝はやはり少し涼しいので、温かいものが体を気持良くしてくれるからでしょう。

 そして私は練炭以外にも、生姜の根っこに良く似たウコンの根を粉々にして毎日顔や体全体に塗りました。これは産後すぐは皮膚が荒れているので元に戻すためですが、これは近所のおばあさんから教えてもらいました。これをするのとしないのでは、「一年後に皮膚のツヤがずいぶん違って来るよ」とそのおばあさんが言うのでそれを信じて塗っていますが、この粉自体が黄色いので手や体に触れるものも真っ黄色になってしまいました。

 そしてさらにその擦ったウコンの黄色い粉を、毎日小匙一杯ずつそのまま飲み込んでいます。これもお産で傷ついた体の回復を早めてくれるんだよと、そのおばあさんが言いました。ほかの人にも話しを聞くと、このウコンは肝臓や胃腸に効能があるそうです。しかしこれも本当にその効果が有るかどうかは、しばらく経たないと良く分かりません。

 さらにもっと体に良いのが烏骨鶏(うこっけい)のスープで、これは骨や肉が黒くなった鶏の一種で作ります。全身がカラスのように黒いので、このような名前が付いたのでしょう。

 この鳥は古来の中国では、薬膳料理に使われて来た高級食材ですが、このベトナムでは大変安いです。この鳥を材料にして出来たスープも全てが真っ黒で、見た目はあまり美味しくなさそうですが、そのスープを飲んで見ると想像以上に大変美味しく、体がポカポカと温かくなって来ます。

 こうして産後一ヶ月の間は私も安静に過ごし、赤ちゃんも毎日ミルクを飲み順調に育って来ました。病院では開かなかった目も、3日目を過ぎると大きい目を少しずつ開けて来るようになり、自分の回りの世界全てを見たいような顔でじっと見つめています。私もその目をじっと・じっと覗いてあげます。

 お医者さんの話ではまだこの時期の赤ちゃんの視力は0.01くらいしかなく、回りの景色や人の顔もボンヤリとしか見えないと言いましたが、それでも少しずつ母の顔は覚えていくのだろうと思います。その証拠に顔を近づけると「ニコ〜ツ」とした笑顔をしてくれます。

 生まれて一ヶ月目を迎えた時に、病院に身長と体重の測定と予防注射を打ちに行きました。身長が2cm伸びて51cm、体重が4,2kgになっていました。そして誕生一ヶ月目のお祝いと、これからみんなの親戚の一員になることの紹介と、赤ちゃんがこれからも無事に・順調に育ってくれることを神様に祈るために、親戚や友人を呼んで食事会をしました。

 赤ちゃん本人はただ乳母車の中で寝ていただけでしたが、私の父や母は大変喜んでくれました。春さんのお父さんやお母さんがここにいたら同じように喜んでくれたことでしょう。ただミルクを与えオムツを代えるだけの毎日なのに、オムツの交換などは最初は30分に1回はしないといけないので毎日がそれに追われ、この一ヶ月が過ぎるのも本当に早いものでした。

* 二ヶ月目*

 一ヶ月目を過ぎて少し経った頃から、赤ちゃんも大きな声で「アーー、ウーー」と叫ぶようになり、夜中の2時・3時にも起きるようになって来ました。それで私自身もお乳を与えるために起きないといけないので、この月からはだんだん睡眠不足の状態が始まりました。お腹が空いたらすぐ泣き出すので、そのたびにミルクを与えないといけません。やはり赤ちゃんが飲むミルクは固形物ではないので、すぐお腹が空くのでしょう。

 2ヶ月目に入っていつものように、病院に体重と身長の測定と予防注射を打ちに行きました。これは毎月のように行かないといけません。特に予防注射は月毎に打つ種類が決められていて、これを怠ると区の指定病院から電話が掛って来ます。2ヶ月目になって、体重が5kg、身長が54cmと順調に伸びていたので安心しました。この頃になると大きく開いた目も、以前のボンヤリした段階から、視界が少しずっはっきりして来たような目付きをします。

 まだ生まれて一ヶ月の間は子供も私も、体が弱っているのでどこにも出掛けずに家にいただけでした。ベトナムの習慣では、この一ヶ月間は親戚や友人も赤ちゃんやそのお母さんの家を訪ねないことになっています。まだ虚弱な赤ちゃんに病気などを移さないようにするためです。誰かが訪ねて来た後で、もし赤ちゃんが風邪を引いたり、病気に掛ったとしたら「あの人が来たから、うちの子は病気になったのだ」と思われないようにしているからのようです。

 ですから生まれてすぐの子供やその母親と会えるのは、実の両親やその身近な兄弟だけで、私の場合も親戚や友人はしばらくの間全く訪ねて来ませんでした。人が訪ねて来るとやはりいろいろ話さないといけなくなるし、産後の体には毎日何人もそういう人が続けて来ると確かに大変辛いので、その点は大変助かりました。

 子供が生まれてようやく二ヶ月が過ぎ、一月がそろそろ終ります。そしてもうすぐするとベトナムはテト(旧正月)を迎えます。赤ちゃんにとっても、生まれて初めて迎える正月です。来年も良い年でありますように…。

* 3ヶ月目*

 今年2003年は2月1日がテト(旧正月)になります。朝からみんなで実家に集まり、いつものようにテト特有の食べ物を揃えて食事会をしました。兄弟のそれぞれが私の赤ちゃんを抱いて頬擦りをしてくれて、さらにその後来た親戚のみんなも、自分の子供のように抱き上げて笑顔を浮かべて喜んでくれました。

 その後ホーチミン市内にあるヒンズー教のお寺に、家族全員でお参りに行くことにしました。私は普通の日本の人と同じように仏教徒です。ベトナムではテトの時にお参りするお寺は宗教の違いは関係なく、大きくて・有名で・多くの人が集まるお寺であれば良いので、家からも近いしそこにしました。

 門の外で2,000ドン(約15円)の線香を買い、みんなでそれを分けて自分の好きな場所でお祈りして、線香を挿していけば良いのです。門の中をくぐるとモウモウとした煙で目が開けられないほどです。でも回りのみんなを見ると、必死になってお祈りしています。

 中には壁に手や頭を当てて、何かをつぶやきながら祈っている人たちもいます。私もいろんなお願いを神様にしました。子供を持ったお母さんはみなさん同じだと思いますが、私も子供のためにいっぱい祈りました。

 この頃になると赤ちゃんも元気になって来て、春さんの日本から来た友人も、服などのお土産を持って来て訪ねてくれました。最初に子供と顔を合わせた時に、私の赤ちゃんがもうすでに耳にピアスをしていたので驚いたと言っていました。

 そう言えば私の赤ちゃんの場合は生まれてすぐに、病院に入院している時にそこで耳に穴を空けてくれました。そのまま穴が塞がらないように、空けた痕には釣り糸のような透明のヒモを通していました。ただこれはみんながそうではなく、親の希望によってすぐ空ける場合もあるし、そうでない場合もあるようです。空ける場合はお金を払わないといけません。

 またこの頃には、自分の指を口に入れて盛んにしゃぶっています。生後まもないころから約一ヶ月目までは、親指だけをしゃぶっていました。それで両手に袋をかぶせていました。二ヶ月目を過ぎたころは自分のゲンコツを口に入れて噛んでいました。そしてこの三ヶ月目には片手の指を全部口の中に入れて遊んでいます。でもこのころには両手の指が発達して来る時期なので、袋は外して自由にさせていました。

 また赤ちゃんをうつむきにさせると、首を自分で持ち上げて右や左にゆっくりと回して、辺りの景色をじっと見ています。以前は首がまだしっかりと座っていませんでしたが、もうこの頃になるとずいぶんと首が座って来たようです。さらに足を思いきりバタバタさせるのが好きなようで、両手に力を込めて両足を必死に動かし始めました。

 そしてまた三ヶ月目に体重・身長をいつものように測ったら、身長が54cmで体重が5kgまで増えていましたので、お医者さんも「順調に大きくなっているよ」と言ってくれました。今までは主に母乳が中心で、それ以外に毎日120cc入りの哺乳瓶を3本は飲んでいます。来月からは離乳食を少しずつ与えるようにと言われました。

つづく