<ストリート・チルドレン施設訪問記2>
● 訪問日時:2000年10月24日(火)・am9:00~pm3:30
● 訪問者:多久春義(テイエラ)、真治謙一(日越会館)、廣瀬洋平(東北大)
Sagawa Mika(Wendy Tour)、Bich(F.F.S.Cのスタツフ)
Pham Thuy Ha Ly(Huflit 大学)
●訪問場所:ホーチミン市内3ヵ所
Tan Binh区:Tan Huong(タン フーン) 能力開発センター
Binh Chanh区:Le Minh Xuan(レー ミン スアン)能力開発センター
Binh Chanh区:Pham Van Hai(ファン バン ハイ)能力開発センター
2000年10月24日(火)、ホーチミン市内で日本人・吉井美知子さんと御主人のSoiさん夫妻で運営・維持しているストリート・チルドレンの施設、ストリート・チルドレン友の会(F.F.S.C)の施設3ヶ所を訪問。
ホーチミン市内にはF.F.S.Cが維持している施設は全部で7ヶ所。すでに3ヶ所の施設は訪問済みで、今回で残りの施設の見学を全部終了予定である。
●Tan Huong(タン フーン) 能力開発センター
朝9:00に日越会館前に全員集合。今回はWendy Tourが手配してくれた小型バスで施設を訪問する。F.F.S.CのBichさんとWendy TourのSagawaさんが案内役として同乗して頂く。Bich(ビッキ)さんは英語の大変達者な57才の男性である。車中では、今年の洪水による影響で「ストリート・チルドレンがホーチミン市内にさらに1,000人ほど増えてきました」と悲痛な表情で話される。こちらも悲痛な気持ちになる。
最初に訪れたのはタン ビン区にあるタン フーン能力開発センター。バスに乗って40分ほどで着く。バスから降りて細い路地の中を歩いて5分ほどで施設に着くが、途中の小道に雨水が溜まり大変歩きにくい。しかもこういう細い路地の中でもバイクが入って来るため、すれ違う時そのたびに壁にへばりつかないといけない。
目指す施設は普通の民家の建物と変わらない平屋建ての、約7〜8坪の広さの教室である。着いた時はちょうど授業中で全部で8本の机に3人掛けで23人が座っていた。われわれが入ったと同時に、子供たちが一斉に立ちあがり歌(内容は良く分からないが)を唄って歓迎してくれた。Trang(チャーン)さんとHa(ハアー)さんという2人の女性が授業をされていた。われわれの質問にはおもにTrangさんが答えて頂いた。Trangさんは2年間ずっとここだけで教えていて、学校の授業と掛け持ちはしていない。
ここに来ている生徒は、朝(9:00~11:00)か昼(11:00~1:00)のどちらかの授業を受けにやって来る。今現在朝が23人、昼には29人の生徒がいる。ほとんどの生徒はこの近くの子だが、中には遠く北部や中部の子もいる。ここではベトナム語や算数、社会やベトナムの文化を教えている。ここには1年生から5年生までのクラスがあり、基本的には子供たちは3年間通う。いちばん長い子で4年間いる子もいる。一人の生徒は週に5日間ここに通う。土曜日は絵の勉強の時間になっている。授業の後は宝くじを売ったり、道に落ちているビニールを集めて売ったりしている。このクラスの中には宝くじを売っている子が4人、ビニールを集めている子が8人いたので、半数の子達がそういう生活費を稼ぐ仕事をしていることになる。
このあといろいろ質問をこちらにしてくるが、これがまた全員元気が良い。「将来何になりたいですか」と言うこちらの質問には1人の子が「先生になりたいです!」と威勢よく答える。「将来日本に行きたいですか?」という質問には全員の子が一斉に「モチロン!」と元気よく、声を合わせたように答えるのが面白い。30分ほどそこにいて次ぎはビン チャン区にあるレー ミン スアン能力開発センターへ行く。
●Le Minh
Xuan (レー ミン スアン)能力開発センター
11:00にレー ミン スアン 能力開発センターに着く。この施設は2つの建物から出来ている。聞けば一つは1年前に出来て、2つ目はほんのわずか1ヶ月前に出来たのだという。この付近の土地は家々の周りをクリークが囲み、この施設も回りは水びたしである。建物に近づくには水の中に据えてあるレンガや石の上を飛び石伝いに歩いて行かないといけない。夜はまず歩けそうもないような道である。
われわれが着いた時は、ちょうど授業が終わって子供たちが帰る寸前の時間帯であった。この日はたまたま子供たちにF.F.S.Cから学校の制服を上げている場面だった。みんな今日着てきた服を着替えて嬉しい表情をしている。ここでも子供たちは大変礼儀正しい。突然訪れた我々にもキチンと挨拶をしてくる。時々このようにして、外から訪問者がやって来ているようなので、先生たちが指導もしているのだろう。
ここの担当者はPhung(フン)さんという方で、彼女にいろいろ話しを伺う。Phungさんはもともとホーチミン市内の出身だが、1975年にここに移って来て、今の仕事を続けて7年になるという。それまでは学校の先生をしていた。こちらのいろんな質問には彼女が答えてくれた。以下彼女の話をまとめると、ここに通って来ている子はみんな地元の子達ばかりである。ここには全部で1年生〜5年生までのクラスがある。
1年生が30人、2年生が27人、3年生が25人、4年生が21人、5年生が15人で全部で118人いる。ここではベトナム語やその文法、算数、社会科や体育などを教えている。ここも朝と昼の2部制で、朝は7:30~11:30、昼は12:00~4:30まで。さらにこの後夕方の5:00~8:00までは、他の生徒たちに英語を教えているという。
ここにもいろんな日本人の団体が訪れているらしく、日本の紙芝居があった。さらに1ヶ月ほど前に出来た新しい教室は2階建てで、全部で4部屋あり、日本人のタカギさんという年配の女性が17,000ドルの寄付をして完成したのだという。壁にはそのタカギさんが建物の落成式の時、子供たちと一緒に写っている記念写真がある。
昼近くになりそろそろここを去ろうかという時に、ここの人が昼食をここで食べて行かないかと誘う。われわれ訪問者のために準備をして頂くのも心苦しく、有りがたく断る。それでは何か飲んでいって下さいというので、飲み物をご馳走になることにした。ジュースを飲みながら、Phungさんにいろいろ質問する。
彼女の話によると、ここに今のような施設が出来て1年になるが、それまでは屋外で授業をしていたという。ここにいる子の年齢は上は15才から下は6才までで、一番長い子は5年間ここに通って来ている。この施設に子供を連れてくる時は、子供に勉強したいか聞いて、本人が「勉強したい」と言うのを確認して連れて来る。ここには10数人の親のいない子がいる。
彼女は、ここにいる子達が普通の学校に行けない理由を2つ挙げる。
@ 貧乏だから
普通の学校に行くには半年で40万ドン(約3,500円)くらい掛かるが、そのお金が無い。
A 住民票が無いから
地方から出て来た子達は、学校に行く権利を享受出来るための住民票がここに無い。従って上記の金があっても学校に行けない。
11月20日の先生の日には、本来は先生が子供たちから花などをもらうのだが、ここの子供はお金が無いので逆に一人一人に500ドンずつあげるのだという。「この仕事は楽しいですか?」という質問には、明るい笑顔で「大変楽しいです」と答えられたのが印象的であった。
昼近くになってきたのでPhungさんの案内で近くの食堂へ案内してもらう。連れていかれたところは普通の指差し食堂。みな好きなのを自分で選んで摂るパターン。指差し食堂で食べる前の儀式として、いつもの如くトイレツトペーパー(テイツシュではない)でスプーンとフォークを拭いていると、Phungさんが熱湯消毒をするからそのスプーンを貸せという。ベトナムの指差し食堂でスプーンを熱湯消毒するなどは初めての体験だが、「そこまでしなくてもいいですよ」と言っても、実際に奥から熱湯を持って来て全員のスプーンとフォークをそれに突っ込んだ。おそらくはここに来た日本人の訪問者がそういうことをしているのを見て、Phungさんもそれに倣っているのだろうと推測したが…・・。
しかしこの辺りの食堂の多さはどういうことなのだろう。ベトナムはどんな田舎に行っても至る所に路上の食堂やCafeがあり、食事に困ることはないが、この田舎でも指差し食堂だけではなく、普通のいわゆるレストランが道路沿いに数多く並んでいるのであった。しかし観光客がわざわざここまで食べに来るはずもなし。とすると地元の人たちということになるが…・。彼らもふだんは家で食べることが多いはずだろうし、どうもよく分からない。
まあそれはいいとして、困ったことに乗って来たバスの調子が悪いらしく、運転手がボンネツトを開けて直している。こういうことは良くあることなので、あわてず食後のコーヒーを飲んでしばらく待つ。30分待ったが直らず、結局次の施設ファン バン ハーイ能力開発センターへは歩いて行くことになる。
●Pham Van Hai (ファン バン ハーイ)能力開発センター
食事をしたところから1キロくらいなので、Phungさんが「歩いて行きますよ」と言うのでみんな後から付いていく。しかしこれがまた暑い。食後すぐの時間ということもあり、ギラギラと照りつける太陽でうだるような暑さである。炎天下の中を歩くこと20分ほどで着く。
その施設は普通の民家の敷地内の道路から近い場所に建てられていて、広さは5坪くらいで3人掛けの机が5本入っていたので、普通に座れば15人で一杯である。教室には誰もいないので、民家のほうに行くとおばあちゃんが昼寝をしている所。そのおばあちゃんがPhungさんのお母さんだという。
Phungさんの話では、このお母さんはなんと14人の子供を産んだという。ベトナムの田舎に行くと、時々こういうギネスブツクものの多産の人に出会うが、ここにも一人いたのだ。しばらくするとこの施設の責任者のThanh
Yen(タン イエン)さん(40才)が外から帰って来た。良く聞いてみると何のことはない。YenさんはPhungさんの妹だと言う。軒先の土間で、彼女から話しを聞くことにした。
彼女は18年間ここで働いている。ふだんは学校の先生の仕事を午前中している。吉井さん夫妻と出会ったのは1993年で、それ以来施設の維持・運営費用を援助してもらっている。ここには今35人の生徒が通って来ている。朝の授業は自分の仕事があるのでなく、ここでは午後3:00〜6:00まで授業をしている。1年生から5年生までのクラスがあるが、1年生と2年生は一クラス、3年生から5年生までが一クラスの2クラス制でやっている。年齢は6才から16才までの子が来ていて、子供たちは週に5日ここに通って来る。一番長い子で5年間通っている生徒がいる。
「途中で怠けて辞めたりする子はいませんか?」と言う質問には、そういう子はいないという。8才から10才までの子で、普通の学校に行ける条件が整ったらそちらへ代わって行く子もいるという。見たところ小さな教室でもあり、「教室が足りないでしょう。その時はどうしているのですか?」という質問には、今我々が座って話している土間を指差して「ここがそうです」と言う答え。良く見ると確かに、机兼食卓のようなのもある。椅子も5・6脚置いてあるので、生徒が多い時はここが臨時の教室になるのだろう。彼女もこの仕事は大変楽しいと言う。普通の子供たちではない生徒を預かるのは大変でないはずがない。そのことをこの2人の姉妹は少しも言わず、別れる最後まで明るく、さわやかに笑っていたのが大変印象的であった。
*結局、残りの一つの施設見学は、車の調子が悪く今日はこれで切り上げて帰ることにした。
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