| YK.さんからのおすすめ作品 |
| Skellig by David Almond 何とも奇妙な印象を与える物語。 そう感じさせる理由の一つは、寓話の持つ単純さと曖昧さと自然科学的な記述が生み出す明快さと複雑さが混在しているところにあるように思われる。 物語の中で最もリアルなのは、主人公のMichael少年だ。名づけられぬままに死んでしまうかもしれぬ赤ん坊の妹に対する彼の感情の動きは非常に細やかに記述されていて、読むものの心の中にも深くしみこむ。 そのMichael少年が、新しく引っ越してきた家の崩れかけた倉庫の片隅でみつけた生き物。背中に羽根を持つその生き物を、いくつかの書評では天使と紹介している。けれども作者は、彼をそのようには扱わずあくまでも物理的な実体を持った、知られざる生き物として記述している。小動物やアオバエを食べて糞を残す。中華料理のテイクアウトの残り物と、ビールを「神々の食べ物」と賞賛する。明快な記述によって描き出される彼の姿は、しかし、彼がどのような生き物で、どうして倉庫の中で絶望に死にかけることになったのか、彼のような眷属は果たして他にも存在するのか、なぜこれまで人の目に触れることはなかったのか、、、といった数々の疑問に対しては、急に曖昧になる。 また、Michaelに手を貸してその不思議な生き物を助けようとする隣家の少女Mina。この少女は、寓話における賢人の役目を持つものとして存在するように思える。彼女はMichaelに様々な新しい世界の見方を教える。彼女の言葉は知恵に満ちているが、それだけにMichaelと同年代の少女としてのMinaの実体は抽象的になる(私には彼女が成人した姿を想像することが出来ない)。Minaは、なんども「Extraordinarily!」という言葉を使うが、実にExtraordinarilyなのは彼女自身だ。blackbirdの雛の巣立ちを、猫を抑えながら半日見守る一方で、フクロウが餌としてプレゼントしてくれた雛の死骸を、心乱すことなく受け取れる少女というのをわたしはどうしてもリアルには感じとれない。 もう一つわたしをぎょっとさせたエピソードがある。Minaの母親がおやつのザクロを食べながら語るシーン。このザクロの種の一つ一つが全て木になって、その木にまたザクロの実が生り、その実の種の全てがまた木になるなら、世界は全てザクロで覆い尽くされてしまうだろうと彼女は語る。全ての生き物は、淘汰されて死んでしまう個体があることを前提として存在している、、それも一つの知恵ではある。けれどもこのセリフは、今まさに心臓の手術を施されている赤ん坊の妹が、果たして生き延びることが出来るのか、不安と恐怖の中で待っているMichaelの前で語られるのだ。 うつくしいが、奇妙にかみ合わないモザイクのような作品。児童文学として書かれているが、子供がこの物語りを読んで実際にはどう感じるか、知りたいように思える。 ≫≫Y.Kさんへのお便りはこちらへ ≫≫このホームページ全体に関するご意見はこちらへ 投稿していただいた方のページにもどる ホームページにもどる | 書名タイトルリストへ | 著者名リストへ |