名流考                                                                トップページへ戻る

〔 いわきが登場するものがたり 〕
小説などに地名を特定されているものをとりあえず収載・・・
題名 本文 著者 ・発行 注釈
  山椒太夫   「わたくしは陸奥椽正氏というものの子・・・・・」
 「筑紫へ左遷された平正氏が嫡子に相違あるまい。・・・・・」
森 鴎外
1915年
(大正4年)
 「平正氏」を岩城判官、岩城氏、石城國、磐城國と関連のようにしているが、現いわきとの証はない。
 ぼくらの
   クリーン計画
 「磐城街道は国道三九九号線のことで、いわき市を起点に・・・」、「夏井川に平橋・・・」、「常磐線平駅・・・」、「ここから行くと小名浜で・・・」 宗田 理
1990年5月25日(平成2年)
「いわき市と小名浜の間・・・」という表現のところは間違いだ。小名浜はいわき市内だから、《平と小名浜の間》が正しかった。
 いじめられて、
    さようなら
  プロローグ「その市の面積は千二百三十平方キロ。静岡、札幌市よりも広い。しかし、人口ははるかに少なくて約三十五万四千人。・・・・・」   佐瀬 実
1992年2月5日(平成4年)
  「その市」と地名は記されていないが、昭和60年、いわき市小川町が舞台のものとわかる。
 北の黙示録  磐城七浦

 「磐城小名浜まで歩行(かち)できて,そこから船で出る。小名浜からならば,・・・」

 この附近には,磐城七浦と呼ぶ七つの入り江がある。小名浜がいちばん南に位置し,北へむかって永崎,中之作,江名,豊間,薄磯,沼の内といった浦が点々とつづいている。

南原 幹雄

1996年5月10日

野望に燃える奥州六藩と幕府軍の天下を揺るがす壮絶な闘い

武家諸法度参勤交代を江戸参勤と帰国を一年交代のところ江戸屋敷留め置きとなる。伊達藩主(斉村)帰国後,人質(奥方お鶴と母公天祥院)回収作戦 

       
       
       
                               
題名 本文 著者・発行 注釈

《2003年11月25日記》

 
調

 

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