いわきの人物(探求)                                                                                                            トップページへ戻る  

星 一
(ほし はじめ)

郷土の偉人

「コマーシャルの元祖」

ほしはじめ【星 一】星製薬の創業者。錦町江栗生れ。コロンビア大学卒。衆議院議員、参議院議員。
 
「クスリのホシ」、「親切第一」のキャッチフレーズで宣伝王ともいわれた。
 
SF作家の星新一の父。野口英世と関わりがあった。
              
 「明治六年十二月二十五日いわき市錦町江栗に誕生、明治二十八年渡米コロンビア大学に入り苦学力行明治三十四年卒業、マスターオブ・アーツの称号を授与される。明治四十一年福島全県区の衆議院に当選三十五歳の青年政治家として活躍した。爾来、理想選挙実現のため選挙大学を開講し、昭和二十一年までの間四回衆議院議員に当選、また昭和二十二年第一回参議院議員選挙に際しては全国区から立候補最高点で当選し、国政の上に多大の貢献をした。明治四十四年東京に星製薬株式会社を設立し日本最初の製薬品製造とチェーンシステムの販売方式を取り入れ製薬業界に新天地を開拓した。昭和十六年に 星薬学専門学校を設立した。この学校は現在の星薬科大学である。毎年郷土から自費を投じ多数の青年を招き、時局講演会を開催し、健全な中堅青年の養成に尽力した。大正七年南米ペルーツルマヨに奈良県大の土地を購入開拓中であったが、更にこの地域を開発して日本人移住の地とする雄図を抱き昭和二十六年十一月渡米したが途中ロスアンゼルスにて客死した。享年七十九であった。」
                         《勿来市民会館前東南隅の胸像前の印度産石に刻まれている》
  
 星家は、錦村の代々の篤農家で知られ地主であった。
 父の星喜三太は、厳格剛直な人で、村長、石城郡会議員、福島県議会議員に選ばれた政治家であった。
 母は、やさしさにあふれ、だれにも親切で、村人に大変すかれた。実家は川部の加茂家で、京都で神に司える賀茂懸主といわれる。

 渡米中に知り合った医聖、野口英世とは、同県同士のよしみで、親密な仲となり、野口が帰国のとき、「カネオクレ、ハハニアイタシ」の電報を受け、送金している。

野口英世が、千円札の肖像になるが、その影に星一がいたことをいわき人は誇りにし、千円札の肖像の野口英世をみたら、星の一千円と数えてみたい

いわき南部人で、金成通氏とともに傑出した人物である。
 

加筆修正2003.11.20
 
 
 

磐城の人  広辞苑に収載の人物
         やつはしけんぎょう【八橋検校】近世筝曲の祖(1624〜1644)
         ゆうてん【祐天】僧侶(1637〜1718)
         あまだぐあん【天田愚庵】歌人(1854〜1904)
         おおすがおつじ【大須賀乙字】俳人(1881〜1920)
         くさのしんぺい【草野心平】詩人(1903〜1988)

  2003年11月11日    記      桃太郎

 

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