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桃太郎のももがたり

                                        栗胡桃太郎

栗胡家の松男さんとウメさんには,竹馬という一人息子がおりました。

その息子竹馬が二歳になったとき,どういうわけか,東京都から引っ越して,福島県の福島市に住んでいました。

福島市には,有名な阿武隈川が流れております。

この川は,福島県を東西に分けて,南端から縦断するように北上し,宮城県に流れます。

源流は,那須連峰の甲子山で,下流は岩沼といいますが,沼ではなく海である太平洋へそそいでおります。

福島市のあたりを流れるときは,ゆっくり流れているので,見ていても,どっちが上流か,下流かと,気がつく人は余程暇な人でした。

上流の那須甲子高原の観光地からはナスとか菓子が流れ,ナジカワシラネド 白河付近で無名のいくつかの支流が合流,また途中の安積の人里とか,ビールの本宮のあたりからは,あぶくとくまのぬいぐるみが流れてくるので,それを見ると,上流は,あちらと分かるのでした。

福島市の近郊は,桃の産地で,息子竹馬は,乳離れするころから,桃が大好きでした。

息子竹馬は桃ばかり食べて,野鳥のメジロの糞のような便をするようになっていましたが母親のウメは,喜んで食べる息子竹馬を見て,もっと食べさせようと,近くの果樹園から乳母車にいっぱいの桃を買ってきて食べさせていました。

しかし,ある日に買った,乳母車にいっぱいの桃は,ひとつ食べてみると硬くて,甘みもなく,とても食べられなく,そのままほっておきました。

ほっておかれた乳母車には,やがて,朝顔のつるがからまってしまいました。

ますます乳母車は動かせなくなり,朝顔は花のつぼみをつけてしまいました。

朝顔のつるにとられた乳母車で,その後あの大好きな桃を買いにいけませんでした。

ある朝,ウメさんが朝顔を見ようとすると,なんと,乳母車には,猿の顔がありました。

赤ん坊猿でした。

松男さんとウメさんは,息子竹馬の遊び相手にと,この赤ん坊猿を竹馬の友としようとしましたが,友より弟とすることにし,桃太郎と名付け,育てることにしました。

百日過ぎたころから,桃太郎は人間のように進化しました。

近所の噂がたたないうちにと松男さんとウメさんの郷里のいわきに移り住みました。

近所には,長男の竹馬と次男の桃太郎と紹介していたようでした。

移り先の庭のど真ん中には,偶然にも桃の木が1本ありました。

桃太郎は,この世で一番先に見た木は桃の木でした。

千日過ぎたころから,桃太郎は木のぼりが大好きとみえ,桃の木にのぼっては桃の実をとり,イチジクの木にのぼっては無花果をとり,桜の木をのぼってはセミをとって修行に励み,日本一の木のぼりをめざしておりました。

二千日過ぎ,三千日過ぎ,そのうち,ウメさんの言うことをきかなくなるほど,きかんぼうになり,もうもうあきらめられておりました。

ウメさんは,いうことをきかない度に「この子は桃の木の下から拾ってきたから」といってはなげきました。

四千日過ぎた日,きび団子をもって出発したのは,有名なはなしです。

栗胡桃太郎の家には,キジの剥製が置かれ,いまでも犬のリリーとの生活で,そのなごりを残しております。

                                桃太郎のももがたり・おしまい

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