『いつか、帰れるのなら…』
今年最初のスランプ。
二周目の受験生活に早くも閉口し始めた六月。
ふと息苦しさを感じて空を見上げた時、それは起こった。
「!?」
気配も、前触れも、警告もなく、
「え!?」
見上げた真上にその顔があった。
(女の子?)
そこまでしか認識が間に合わない。
弾丸であったなら、それは着弾寸前であったから。
そして、旋律は流れ始める…。
とっさに彼女を抱き留めて道に転がらなければ、二人は投身自殺少女と巻き
添え一名と言う事で片付けられたのだろうか。
「…何とかなった、かな?」
見たところ、傷一つない。ショックは全部こっち持ちで済んだらしい。こっ
ちの打撃を吸収したパッド入りの革ジャンは、ライダーのたしなみだ。
「あ、あの…」
そこまで確かめたところで、腕の中の女の子に気付く。中学生ぐらいだろう
か、困ったような目でこっちを見ている。そう言えば抱き抱えたままだった。
「立てる?」
腕を解きながら聞いてみる。仰向けになっていたのはこっちの方。
「あ、はいっ!」
だから彼女は肯くと、ぴょこっと身を起こした。
ちょっと変わった和服にピンクのリボン、何やら柔らかい雰囲気の女の子。
「んっ…」
それを追う様に立ち上がる。
いつまでも道端に転がってる訳にもいかないからだ。
「ふぅ、危うくバイク以外で死ぬトコだったわ;」
「も、申し訳ございませんっ!何とお詫びしてよいか;」
何となくぼやいたところへ、その女の子は慌てて謝罪に入る。どうやら投身
自殺という訳ではなさそうだ。そうすると…よし。
「なんか訳ありみたいね。良かったら話してくれない?」
「え…はいっ!」
うん、いい返事だ。
バイクに乗るまでもない。予備校から少し歩いた喫茶店に席を取った。
「珈琲を二つ」
適当に注文すると、彼女の向かいに座る。それでやっと落ち着いた。
「さて…」
「あ、申し遅れましたっ!わたくし、紅若葉と申します;」
「くれない、わかば…あ、名前か;」
そう言えば、ロクに自己紹介もしていなかった事を思い出す。
「っと、あたしは天月勇名。勇名でいいよ」
久し振りだ、名乗るなんて。
「あまつき、ゆうな…さん、ですね?」
「そ。勇ましい名前と書いて『ゆーな』。何でもじーさんがそんな意味で付
けようって言ったのを、親がそのまんま字にしたんだって。笑っちゃうけど」
「わたくしは…生まれた時、ちょうど庭の木が芽吹いていたとか」
「それで『若葉』か…なるほどね」
何となく判る。『くれない』も『紅』だろうか。きれいな字だなと思った。
「で、何でまたあんな所に?」
「はい、それがわたくしにもよくわからないのですが…あっ、思い出しまし
た!母からお使いを頼まれて…途中で道に迷っていたのですわ」
「迷って…あそこに?」
「いえ、それで困り果てていたところ、道端に何やら黒いものが」
「はぺ?」
何やら黒いもの?妙な展開ね。
「何でしょうと覗き込んだ途端、後ろからどんと押されたようで…気がつい
たら目の前に勇名さんが;」
どうやら判っているのはそこまでらしい。話し終えた若葉は不安そうな上目
遣いでこっちを見上げた。
「つまり、その黒い所から落ちてきてあそこにって訳よね?うーん;」
問題なのは、どう考えてもその位置に道なんてなかった事だ。渡り廊下や歩
道橋すらない。ただの空中…だったと思う。
論理的に身動き取れなくなったあたしは、珍しく話題を変える事にした。
「ところで、お使いってどこに?」
「はい、母が地図を描いてくれたのですが…」
そう差し出された地図を、あたしはとりあえず手に取った。
「ふむふむ…え?」
そこには丁寧な線と矢印で道順が記されていた…が、
「どこ、これ;」
“パーリア北門”とか、“青い小鳩亭”とか、どう見ても日本のコンクリー
トジャングルとは思えない地名が並んでいる。挙句の果てにゴールは“花畑”
の彼方、“魔女のババロンばあさん”だ。これでお城の一つもあった日には、
ゲームでおなじみの舞台…いや、やった事はないけど。
「本格的に迷っちゃってるわね、あなた…」
眉をひそめてそう言うと、冷めた珈琲に手を伸ばす。
「とりあえず、うちに来る?」
救えもしないが、放っても置けない。
来た道を戻って、一回上空を確かめてから駐車場に向かう。消えてしまった
のかもしれないけど、そこはただの空だった。パーリアも黒い何かもなく、た
だの空。泣き出しそうな雨雲が少しだけ見える。
「何も…ないですね」
確かにそこを通った筈なのに。沈んだ表情の若葉の肩を、あたしはポンと叩
いて振り向かせた。
「大丈夫だって、何とかなるから」
「ほ、本当ですか!?」
「…うん;」
結局帰れなくてこの世界で暮らす事になるかも知れないけれど、それだって
『何とか』だ。嘘はついてないし、その時には責任だって取る。料理はバイク
の次に自信があるんだ。
「じゃ、とりあえず帰ろ」
バイクは交通手段じゃないけど、とりあえずこの先で待っていてくれる。
「?」
ネイキッド系…カウル無しの無骨なスタイルをしたあたしの愛機を、彼女は
首を傾げながら眺めた。乗り物だと言う事は理解してくれたらしい。
「…ひょっとして、若葉ちゃんの街にはない?」
一縷の望みをかけて聞いてみる。が、
「ええ。馬の方ならいらっしゃるのですが…魔法馬車とか」
敢え無く玉砕。その上、魔法馬車?いよいよもってRPGだ。あたしもやっ
とけば良かった;
とりあえず、彼女が別の世界から落ちてきたのは否定できそうにない。
「…しっかりつかまっててね」
予備のメットを彼女にかぶせ、あたしは帰途についた。
駐車場に到着したあたしは、相棒にロックを掛け、暫しの別れを告げる。
「今夜もいいコにしてるんだよ…あれ、どうしたの若葉ちゃん?」
振り返ると彼女は、ふらふらとあらぬ方向へ歩き出していた。視線を追って
みると、どうやら近所の三毛猫を追い掛けているらしい。
「おーい;」
「あっ…勇名さん;」
猫が逃げてしまったのでちょっと眉をひそめたまま振り向いた彼女に、
「近所の猫だからその辺にいるわよ」「あ、はい☆」
大丈夫だと頷くと、返してほにゃっと微笑んだ。
「それでは、探してみましょうか?」「…;」
目の前のアパートへ戻るまでに、二時間かかった。
翌日。
目を開けると…腕の中に女の子がいた。確か、若葉ちゃんて言ったっけ。
(ん〜、そういう趣味はないんだけどな;)
でも、柔らかくって暖かくってなんかよろしい。ここ数日、妙に冷え込んで
寒い思いをしていたものだ。
(ま、いっか)
昔、人を抱き締めた記憶が、あたしにそれを再現させる。
「…」
腕の中で吐息が変わった。腕を緩めてやると…彼女はぽ〜っとした顔を持ち
上げ、自分の位置を確かめる。と、
「…ぉ、おはようございます;」
一気に血行がよくなった様だ。ゆうべ低血圧だと言っていたのが嘘の様に。
「おはよ☆」
そうして髪を撫でてやり、そこに頬擦りなんてしたのは…人恋しかったから
だろうか。少なくとも、そう言う趣味はない筈だ。
「もうしばらく寝てていいわよ?とりあえず何か作るから」
「い、いえ;わざわざ泊めて頂いた上に朝ご飯まで…今度はわたくしが」
などと言いつつ起き上がった二人は、お揃いの…じゃないけど縞々のパジャ
マに身を包んでいる。縞々なのはあたしの趣味だ。若葉より頭一つ程背の高い
あたしのパジャマは、彼女には少し大きかったらしい。だぶだぶの袖から覗く
指先を見て、可愛いなと思う。
「そのカッコじゃ料理もムズいでしょ?ちょっと待っててね☆」
先手必勝。ゆうべと同じタイミング。
狭い台所に飛び込んだあたしは、寸胴鍋に水を満たして火にかけた。
「…ふぅ」
それにしても。自分以外の誰かを部屋に入れるなんて久し振りである。おか
げで危うく錆付く所だった料理の腕も多少は回復してくれた。予想外の客人に
ちょっと感謝しつつ、何を作ろか考える。
寸胴鍋?迷ったのでとりあえずパスタを茹でようと思っただけ。
そんなこんなで朝食も終えたあたしはいつもの通り予備校へ…ぢゃない;
「…どうしよう?」
明日にするまでまだ14時間ほど残っている。
「どうしましょうか?」
予備校は自主休校。バイトも行ってる場合ぢゃなくて休みを取った。
「まずは帰る方法を探さなくちゃいけないのよね…;」
千客万来で通っている叔父の所になら専門家の一人もいそうな気がするけれ
ど、確実とは言えない。実家の父はバイクにも乗らぬ常人だ。打つ手なし。
「すみません、お手数をお掛けしてしまって…;」
だけど、そんな彼女の表情を見ていると、それでも何とかしたくなる。
「いーのいーの☆こっちが勝手にやってるんだから」
とは言え、手掛かりはわずか。その状態であたしの考えた事と言うと…。
「とりあえず、お出かけしよっか?」
バイクは交通機関じゃない。速度と風を感じる為の乗り物だ。
だから本当は小さな従妹のようにノーヘルで飛ばすのがいいのだけど、それ
は残念ながらあたしの目指すものと異なる。
そんな訳で首から上の風を我慢しつつ、あたし達がやってきたのは昨日の駐
車場。そこに相棒を停めて行く先は、とりあえず事件の現場だ。
「やっぱり…ないですね;」
「うん…」
どこぞの映画の様に揺り返しでも来ないかと思ったのだけど、そう簡単にい
く訳もない。手詰まりなのは最初から判ってる。だけど…
「いいお天気ですね…」
「うん…」
快晴と言う訳でもない。幾らか雲もあって、空は青いんだけど寂しくない。
探していた黒い穴の代わりにみつけたその空を、しばらく見上げている…と、
「!?」
その顔に微か、冷たいもの。雨だ。
「やばっ!」
これは予想してなかった。あたしは慌ててダッシュすると、駐車場へ直行。
「ど、どうしたんですか勇名さんっ!?」
背後で若葉ちゃんが履物をカラコロ言わせながら追っかけてくる。その音を
聞きながらあたしは目的地に辿り着いた。
「やっぱり;」
カバーを掛けてない。おかげでやや食らってしまった雨を、タオルで手早く
拭う。にわか雨なのだろう、止みかけた雫を避けてカバーを掛けた。
「ふぅ、これで大丈夫☆…あ;」
途端、もう一つ忘れ物を思い出した。置いてきぼりにしてしまったと焦りな
がら振り向くと、しかしそこに彼女がいる。
「ご、ごめんね;」
「いえ;」
若葉ちゃんは『大丈夫です』の形に首を振ると、濡れた髪のままで続けた。
「バイクが、好きなんですね☆」
それにだけは素直に答えられる。
「うん…」
それだけは、たしかな事。
昨日と同じ喫茶店で、雨宿りしてから家に帰った。
「そう言えば、若葉ちゃんの好きなものって何?」
夕飯を作ろうと思ったあたしは、ふと聞いてみる。
「え…好きなもの、ですか?」
「うん」
「そうですねえ…リボンとか、お花とか、お茶とか…」
う〜ん、女の子らしくて非常によろしい。あたしとは大違いだ。
「あっ、あとお料理も好きです!」
「それで今朝は作りたがってた訳ね」
「そ、そういう訳ではないのですが…;」
ちょっと困った顔になっている。ヤバい、別に虐めたい訳ぢゃないんだ。
「な、なんなら今夜作ってくれる?材料そんなにある訳じゃないけど;」
「えっ、よろしいんですかっ!?」
「うんっ、楽しみにするわね☆」
「はい、頑張りますっ!」
一時間後、台所と食卓がちょっとぢごくになったが…忘れよう。
もっと重大な事がある。カレンダーを見てふと思った事だ。
「もう、六月かぁ…」
あたしが呟くと、傍らにいた若葉ちゃんが
「…あ、今日は何日でしたっけ?」
「五日だけど?」
「まぁ;」
彼女は『しまった』のポーズで口を押さえた。
「どうしたの?」
「あ、いえ…実は明日がわたくしのお誕生日なんです;」
「あっちゃあ…;」
そんな時に行方不明とは、家族も心配してるだろうし…第一、一人で迎える
誕生日ほど哀しいものはない。
「…こりゃ、急がなくちゃいけないわね;」
あたしは今まで躊躇っていた、最後の手段を使う事に決めた。
その研究所はバイクで一時間ぐらいの、ちょっとした山奥に在る。
アポを入れていたせいとは思えないけど、守衛はすんなり通してくれた。
「広いところですねえ」
白い建物の立ち並ぶ、田舎ならではの風景に若葉ちゃんも嬉しそう。歩けば
更に一時間掛かりそうな道をバイクで辿り、駐車場へやってきた。
「ま、研究施設だしね;」
事故でも起きたら皆吹っ飛ぶ様な施設を、街の中に作る訳にもいかない。
「さてと…こっちだったかな?」
「そっちは放射線治療の研究をやってる。普段から危ないよ☆」
「え!?」
タイミングよく突っ込む、この声をあたしは憶えている。
「CAT!」「やっ☆」
振り向いた先に、あいつがいた。ここでは珍しくない、白衣の青年。
「ちなみに僕の所属はこっちの空間観測棟」
「空間…観測?」
「そ。空間の歪みを観測し、原因を探り、最終的には人工的にそれを発生さ
せる…それが僕の目的だ」
そして、それがあたしの切り札。
「…で、こっちがCATこと加藤明良。こっちが紅若葉ちゃん」
急いで来たものだから家で飲み損ねたモーニングコーヒーを片手に、あたし
は二人を紹介した。規模の大きい食堂が、今はあたしたちの貸し切り。
「よろしくお願いします(ぺこり)」
「あ、よろしく。で、早速だけど…」
あいつに促され、あたしたちは事の経緯を語り始めた。突拍子もないその話
を、あいつは真剣な表情で聞いている。問題の黒い穴の部分に差し掛かると、
こちら側の地図まで取り出して正確な場所を問い質し…
「やっぱり…成功していたんだな」
ポケットから取り出した携帯で何事か伝え、あいつは確かめる様に呟いた。
「成功ってどういう事、CAT?」
「知っての通りさ。一時的にしろ、パーリアとこっちに道が開き、生きた人
間が通り抜けた。これが成功でなくて何だい?」
「やっぱり、それか;」
あたしは頭を抱えながらも、正解へ辿り着いた事を悟った。
昔付き合ってたから多少はわかるが、やっぱりこいつが元凶だったのだ。
「もう一回出来るの?」「勿論。準備に時間もらうけどね」
胸倉掴み上げて問い質してやろうと思ったトコをあいつはあっさりかわし、
「昼イチには行けるから、それまでに食事でも済ましといて」
風の様にその場から消えてしまう。途端にそこは虚空。
(いつも、こうだったわね…」
「あの、勇名さん?」
「…え;」
声に振り向くと、若葉ちゃんが心配そうな顔でこちらを見ている。
「どうなさったのですか?先程からそんな哀しそうな顔で…」
「え?あ、その…うん、そ、そぉ!珈琲だけだと寂しいから何か頼みたいな
と思って;若葉ちゃんも何か食べ…」
慌てた心を何とか自分のペースに戻した時だった。
「ごまかさないで下さいっ!」
苦しそうなその声に、あたしは身を固くする。その言葉に怒りは、ない。
「ゆうべ、あの加藤さんにお電話していた時も、勇名さんはずっと苦しそう
な顔をなさっていましたね…わたくしでよろしければ話して頂けませんか?」
(話せないよ…
これはあたしの問題だから。今は若葉ちゃんを誕生日の今日中に家へ帰す、
それが最優先だから。その為には、別れた男だろうと何だろうと構うもんか。
全部使う。必要な事をやらなきゃ…」
「やらなくちゃ、どうなるんですか?」
「…あたしは、せっかく一緒にいてくれた若葉ちゃんに、何も出来ない…」
「そんな事、ないです」
ぼんやりと答えていたあたしの手に、あったかいものが触れた。手、だ。
「あの時、受け止めて頂けなかったら、助からなかったかもしれません。一
人でおろおろしていただけで、ここには辿り着けなかったと思います。見ず知
らずにも関わらず泊めて頂いて…何も出来ないなんて、そんな事、ないです」
その手に思わず縋ってしまいそうになるのを理性で押さえ、
「だけどね、本当に大事な事が出来なきゃ同じよ。だから…」
「帰れませんっ」
「若葉ちゃん…」
「勇名さんのそんな苦しそうなお顔を見てしまって、そのまま帰るなんて、
わたくしには出来ません;」
負けたと、思った。あたしの中の自分は、とっくの昔に跪いていたのだ。
青空の隙間から落ちてきた、この小さな天使に。
「…CATとは昔、付き合ってた事があってね;」
席を替え、落ち着いた所であたしは話し始めた。
「男女のお付き合い、ですか?」
そう言う若葉ちゃんは両手で湯呑みを持ったまま、隣にいる。
「そ。叔父上のトコで知り合ってね。何かと会いに行くようになったの」
「それがどうして…」
「お互い、目指していたものが違ってたから。二人とも本当に夢らしい…う
うん、夢過ぎる夢を抱えてたから。一人で行かなきゃいけない道に寂しくて、
お互いに逢う事でその隙間を埋めていた。だけど、いつまでもそうしてる訳に
はいかなくて、実は寄り掛かってるだけに気がついて…別れたの」
納得はしてる。そうでなきゃあたしはこれ以上進めないと。
「…勇名さんの夢って、何ですか?」
気を取り直したらしい若葉ちゃんの問いに、あたしの反射神経が応える。
「バイクに厳しい神奈川の高校で、子供達にバイクを教える事。好きになっ
ても嫌いになってもいいけど、何も理解せずに喚いてるオバサン達の仲間には
させたくない…って、いきなり言っても判らないか;とにかく、あたしは教師
になりたいの。バイクと教師、これがあたしの夢」
「先生に、なるんですか?」
「うん…バイクの為、だけどね。その為にあいつを…切った。あたしはね、
あいつよりバイクを取ったんだ…」
「勇名さん…」
彼女が戸惑っているのが判る。だけどあたしは構わずに続けた。告白を。
「自分のやった事に気付いた時、実感したわ。あぁ、あたしも母さんの娘だ
ったんだなって。あたしのまだ小さい頃…あの人は、自分の夫とクルマの二択
を迫られて、迷わずクルマを取ったの。あたしと父さんを置いてきぼりに、そ
のまま行方を晦ました…それを知ってるあたしまで、同じ真似をしなくてもい
いのに;やっぱり、血は争えないのかな;それとも、これが…」
懺悔が、途切れた。天使が微笑んだから。
「大丈夫ですよ。勇名さんはちゃんと帰って来たじゃありませんか、加藤さ
んの目の前に。切ってなんかいないんです。ちょっと、離れていただけ…」
「帰って来たって今だけよ;若葉ちゃんを帰す方法が他になかっただけ;」
「…本当に捨ててしまったのなら、思い出す事もなかった筈です」
「…」
抵抗の言葉が尽きた。最後の一つを残して。
「だけどあたしはライダーで、あいつはやっぱり科学者で、どっちも夢は果
たしていない。こんな状態でやり直せるわけもないのに…?」
どうしろと言うのだ。そう言いかけたあたしの髪に、何かが触れる。手だ。
いつのまにか閉じていた目を見開くと、目の前に若葉ちゃんの顔がある。
「そんなに慌てなくてもいいと思いますよ?日曜日の今日ぐらい…」
夢にだって、お休みは必要です。耳元でそう囁いた。髪を撫でる手。目の前
にある彼女の肩口に、思わず額を預ける。
「また逢う約束とか、ただ顔を見に来るだけでもいいんですよ。加藤さんも
嫌だとは言わなかったでしょう?」
それは若葉ちゃんのおかげ。そんな言葉が口の中で溶けた。背中に掛かった
腕と、髪を撫でる手と、触れ合ってるほっぺの温度で。
我ながら、甘えんぼな女だね。こんな年下の女の子にまで寄り掛かって。
「…;」
だしぬけに若葉ちゃんが身を起こした。元の世界に戻ると、隣から身を乗り
出してあたしを抱いていた彼女が判る。態勢が苦しくなったのだろう。
「ご、ごめん;」
「わたくしこそ;こ、こうすれば勇名さん元気になってくれると思って;」
真っ赤になった彼女も結構可愛い…って、
「…あ;」
思い出した。彼女は憶えていたのだ。滅多な事はするもんじゃないね(笑)。
でも、今日はいいか。
「サンクス☆」
もう一度抱き寄せて、昼食タイムはおしまい。
「…細かい事は省くけど、つまりこういう事だ。巨大なエネルギーの発生に
よって空間が歪み、『門』が発生する。『門』は二つの異世界を直結し、生命
体の通行さえ可能にするが、現在の技術ではわずか数分しか持続できない。準
備に掛かる時間は丸一日。どの道今日やろうと思ってた実験だ」
『昼イチ』は本当だった。あいつは13時きっかりにあたし達を呼びとめ、
研究室に引っ張り込むなりこの説明を始めたのである。
「つまり、『門』が出来たら素早く飛び込むべし…ってCAT、そこがパー
リアに続いてる可能性は確かなの?」
「前回の実験と同じデータを用いるから大丈夫。ただ、出現場所は同じに出
来ないらしいから…この部屋にしてみよう」
「はい…ありがとうございます」
緊張した面持ちで頷く若葉ちゃん。
「じゃ、そろそろ始めよう。準備はいいかい?」
「うん…若葉ちゃん?」
問われた彼女はこくり。
「はいっ、大丈夫です」
「それじゃ、始めるよ」
あいつは他のスタッフに合図すると、自らも傍らの装置を操作し始めた。
「…!」
それっぽい専門用語が飛び交い、室内が熱気を帯びてくる。
「…」「大丈夫ですよ、きっと」
心配してる様に見えたのだろうか?当事者である若葉ちゃんに、逆に励まさ
れてしまった。強いな、この子は…
「そろそろだぞ?」
あいつも振り返って告げる。
「『門』発生予定まであと20秒」
具体的な補足。大丈夫だ、いける。
そう思った時、カウントは10を切った。
「9、8、7、6、5、4…」
我知らずカウントに加わる。まるで新年の瞬間みたいに。
「…3、2、1、0!」
そして、魔法の呪文を唱え終わった時だ。
『門』は、そこになかった。
「…え;」
失敗?そう結論しようとしたあたしの耳に、研究員の一人らしい女性の声が
飛びこんでくる。
「『門』発見。衛星からのスキャン映像、出します」
壁にあるスクリーンに、上空から映したらしい映像が浮かぶ。この広々とし
た土地は…
「幸いながら当研究所の敷地内です。守衛所の脇…文字通り『門』ですね」
判った!それを聞くなり、あたしは反応する。
「何分保つの!?」
「精々10分。それ以上は…」
それだけあれば十分だ。
「勇名さん!?」
声の主を振り返り、両肩に手を置いて、あたしはにやりと笑った。
「まっかせなさいっ!」
あたし達は転がる様に駐車場へ飛び込んだ。歩いて一時間の距離も、バイク
で行けば楽勝だ。場合によってはバイクごと飛び込めばいい。
「で、でもそれじゃ勇名さんが;」
そう言っておろおろする若葉ちゃんに、半ば無理矢理メットをかぶせる。
「あたしは大丈夫!しっかりつかまっててね☆」
こうなるような気はしていたのだ。仮に目前で『門』が発生したとしても、
彼女が入っていけるとは思えない。誰かが必要だと思っていた。
エンジンは一発で掛かる。思い切りアクセルをふかした。
「勇名!」
そこへあいつが走って来る。
「CAT!」
だけど急がなくちゃ。そう思った時にはもう目の前で
「帰ろうと思ったら、イルム・ザーンにいる暁の女神を訪ねるといい!」
爆音の中で、それは確かに聞こえた。だけど、何故…?
「…僕は、そうして帰って来た!」
そうか、それであいつは異世界を目指してたんだ。
理解したあたしは一瞬振り向き、
「待ってて!」
それだけ告げて走り出した。
こっちには、まだ残ってるんだ。
夢も、あいつも。
そして、数分後。
「…さて、どうしましょうか?」
『門』即ち黒い穴の消えた空の下、彼女は困った顔をした。
でも、何とかなるんじゃない?パーリアには着いたんだし。
「とりあえず、誕生パーティに呼んでもらえる?」
メットを脱いだ彼女にそう笑みを浮かべると、
「もちろんですっ!」
彼女も最高の笑顔で返してくれた。
《劇終》
もどる