英語学習で使う変な日本語 数学史 レポート問題

7.英語学習で使う変な日本語


 My mother made me a bag.
  私の母は、私に鞄を作りました。
 He wants to do something, too.
  彼も何かしたいです。

 テーマは、「英語学習で使う変な日本語」です。上の訳文を読んで、何も感じませんか。感じた人は、正常だと思うのですが、一体どこが変なのでしょう。普通にテストで間違いとされることはないと思いますが、普通、日本語で「私の母は、私に鞄を作りました。」と表現するでしょうか。恐らく、しないでしょう。多くの人は「私の母は、私に鞄を作ってくれました。」と言うでしょう。

 もし、My mother made him a bag. だとすると、「私の母は、彼に鞄を作ってあげました。」になるでしょう。「私の母は、私に鞄を作りました。」あるいは「私の母は、彼に鞄を作りました。」は、どうしても、私の中では、落ち着かない日本語なのです。(ある人の表現を借りますと「すわりが悪い」のです。)

 二番目の文はどうでしょう。これも、何か落ち着きが悪い。I want to do something, too. を「私も何かしたいです。」と訳してもなんら違和感はありませんよね。でも、「彼も何かしたいです。」とやるとやはり落ち着きが悪い。では、何と訳せばいいのでしょう。「彼も何かしたがっています。」「彼も何かしたいと思っています。」とするのがいいと私は思っています。

 want to を「...したいと思う」とすれば、当然何ら問題はなくなるのですが、もう十年以上前の話ですか、「want to のどれが「思う」の意味なの」と質問されたことがありました。まあ、今ではそんな人はいないと思いますが。(「思う」は、think だと思っていたのですよ、その人は。)

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8.数学史 レポート問題


   数学史 レポート問題

「数学史を見ると飛躍的に発展する時期がいくつかある。このような進歩はいかなる原因によるものか?例を挙げて説明せよ。」

 古代ギリシアの場合

 古代ギリシア人が、南下して地中海沿岸に到達したとき、彼らが優れた文明を有していたわけではなかった。彼らは、どちらかと言えば野蛮な民族であったことが、ツキュディデスによって語られている。

 彼らが、如何にエーゲ文明を吸収し東地中海での交易の覇権を握るようになったのかは、定かではない。しかし、ミレトスやアテネは、商業交易の中心地として莫大な富を築くことになる。

 その富を背景に、ギリシア文明は栄える。美術、演劇、音楽、建築など、今日西洋のあらゆる芸術文化の基礎といえるものが高い水準で栄えた。

 数学の発展は、そうした背景の中で考察されなければならない。商業算術に関しては、ギリシア人はフェニキア人から学んだだろうと言われている。ギリシアが東地中海の交易の覇権を握るようになる過程で、商業算術は多いに発達したに違いない。ただ、このことに関しては、十分な資料があるとは言えず、あくまでも推測に過ぎない。数の学問である算術や幾何学は、祭司階級やピュタゴラス教団のような宗教的な集団によって発展させられ、秘儀として伝えられる。

 やがて、ペロポネソス戦争後、アテネの繁栄もかげりを見せる。その不安な時期にあって、知への欲求が高まる。そこで登場するのが、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者たちである。特にプラトンは、ピ ュタゴラスの影響から数学的論理、数学的論証を学問の基礎に据えた。これは、数学の発展にも大きな影響を与えただろう。

 近代以降の概念から考えると、数学と哲学とは別の学問のように思えるかもしれない。しかし、古代ギリシアにあっては、その区別はそれほど大きくなかっただろう。彼らにとっては、数学を学ぶことは哲学を学ぶことであり、哲学を学ぶことは、また、数学をも学ぶことであったはずである。当時は、数を表す記号(文字)はあったが、数式のような記号はなかった。論理(あるいは数学)は、言葉で表現された。

 しかし、古代ギリシア世界で、数学が最も発達したのは、他の諸芸術や学問が高度に発達したアテネ周辺ではなかった。このことは、単にギリシアの風土とかギリシア(アテネ)人だけが古代ギリシア数学の発展に寄与したのではないことを示している。確かに、ギリシア哲学の数学的論証は、その発展に寄与したことは間違いないのだが。

 古代ギリシア数学の最高点は、ヘレニズム世界のアレクサンドリアで達せられた。一体、数学の発展に、なにがどのような影響を及ぼしたのだろうか。

 まず、第一に、アレクサンドロス大王の東方遠征が考えられる。この遠征によって、ギリシアの学問は、エジプト、バビロニア、ペルシア、さらに遠くインドの学問と触れることになった。こうしたギリシアとは異なる広い 世界との交流融合があったことがあるだろう。また、アレクサンドリアの繁栄も見逃してはならない。その繁栄の中で、多くの人々がアレクサンドリアに集まり、ギリシア哲学の伝統を基に、エジプトやバビロニアの数学を統合した独自の体系的数学が完成されたと考えていいだろう。  

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