19世紀初期

[ロマン主義][В.Аジュコフスキー(1783-1853)の作品][バッラーダ][「ズヴェトラーナ」][ジュコフスキーの意義]


ロマン主義

 18世紀と19世紀の境目に、西洋で、そしてロシアでは少し遅れて文学に(また他の芸術分野でも)ロマン主義と呼ばれる傾向が生ずる。
 この文学傾向は、封建主義とブルジョワジーとの闘争、1789年フランスのブルジョワ革命に最も鮮烈な表現を見いだした闘争の特別の先鋭化によって引き起こされた。様々な国で、この文学傾向は、その独自性を持っている。ロシアでは、それは革命解放運動を起こした代表者と封建農奴制の擁護者との戦いと結びつけられた。こうした階級闘争の先鋭化の時には、当時の真の現実への不満が、特に鋭く感じられる。この不満は、義務について願望について夢想を生じた。ロマン主義の作家たちは、現実から離れ過去や未来へと向かった。あるいは、彼が現実を描こうとするなら、それに望むべき理想的現実を描写して対比させた。しかし、この望むべきことは、すなわち人生に見ようと願うことは、ロマン主義の作家たちによって様々に描写された。それ故に、私たちはロマン主義の中に何よりも二つの根本的な流れ--保守的(反動的)な流れと進歩的な流れとを見分ける。
 進歩的なロマン主義は、未来へと向かい、解放の理念に満ち、民衆の自由と幸福のための戦いと結びついているという点で価値がある。その代表者は、イギリスではバイロン、フランスでは V.ユーゴー(В.Гюго)、ドイツではシラー(Шиллер)とハイネ(Гейне)であった。
私たちのところ(ロシア)では、進歩的ロマン主義の思想的内容は、デカブリストの詩人たち(К.ルィレーエフ、А.ベストゥジェフ(Бестужев)、А.オドエフスキー(Одоевский)など)やプーシキンの初期の詩、そしてレールモントフにおいて、最も十分に表現されている。
 保守的なロマン主義の代表者たちは、自らの作品の主題を主として過去から取り、その生活と伝説の古の時代へと、殊に中世(人々があらゆる奇蹟を信じていた時代)へと目を向けたり、何らかの来世(死後の世界)の夢にひたったりした。保守的なロマン主義者たちは、読者を社会的闘争から空想夢想の世界へと連れ出した。私たちの国(ロシア)でのそうしたロマン主義の代表者は、ジュコフスキー(Жуковский)であった。
 ロマン主義の基本的特徴は、次のようなものである。
 1.古典主義、また作家の想像力を圧殺する規則との戦い、創造への自由の戦いは、すべてのロマン主義者たちを一つにした。しかし、古典主義の規則を排除しながら、進歩的ロマン主義者たちは、自らの価値ある特徴を獲得した。--民衆への傾向と思想の明晰さとである。反動的ロマン主義者たちは、古典主義の規則とその思想的側面を拒絶した。
 2.ロマン主義者たちの作品には、明らかに詩人の個性とその心的体験がにじみ出ていた。作品の重要な主人公は、特に精神的に自らの性格と人生への関連とにおいて、詩人と同系統のものである。
 3.彼らを満足させない同時代人や平凡な散文から目をそらし、ロマン主義者たちはあらゆる稀な明らかに謎めいたものへの関心を見せている。通常でない特別な人間が、ロマン主義の作品の主人公とし、また、これらの主人公のおかれている状況から彼らの人生の出来事が現れる。非常にしばしば、活動の場所は、見知らぬ国に移され外国の自然が描かれる。
 4.ロマン主義者にとって、民衆の作品への関心が特徴的である。民衆詩の中に、彼らは独自の自由な民衆の詩作品、民衆の国民的性格の特徴が反映されているのを見る。かつて、これらの特徴を理解するのは様々であった。それは著者の観点によっている。進歩的ロマン主義者たちは、自由を愛する民衆、彼らの圧制に対する抗議、戦いへの能力を強調し、一方、反対に、反動的ロマン主義者たちは教会や専制農奴制の圧制の下、取り残された農民層を構成している特徴--温順、忍耐、従順、迷信などを美化した。
 5.作家の作品の自由を主張しながら、ロマン主義者たちは、当時までに創られたあらゆるジャンルを利用するだけでなく、自らの個人の気分の表現で人生現象の評価するために、よりよい形式を見い出そうと志しながら、新しいものを作り上げ古いものを改善していく。こうして、例えば、詩は、古典主義者においては、叙事詩的な作品であったが、ロマン主義者においては、詩の中に作者の精神の心的体験が反映され、それは抒情叙事詩的作品となる。抒情詩的劇、譚詩(バッラーダ)(中世の詩では、踊りの歌の特別な形式)が現れ、今や、民衆の伝説や迷信を利用して新しい外貌を獲得する。
 6.ロマン主義の作品は、言葉の絵画性を特色としている。その中には、広く形容語句や鮮やかな比較、比喩が用いられている。ロマン主義者の言葉のトーンは、常に、昂揚し興奮している。
 ロマン主義は、ロシアでは、農奴擁護者と専制政治と農奴法に反対して立った貴族革命家たちの最初の世代との闘争が、殊に先鋭化した時代に現れた。進歩的ロマン主義の代表者たちは、彼らの時代の現実に鋭い批判を向け、個人を勇気づけ、精神的力の成長を促す理想を描いた。反乱、抗議の気分に満ちあふれて、彼らの作品の主人公たちは、力強い独立の性格が賦与され、社会悪と妥協はしない。彼らは社会と関係を絶ったり、社会に対して立ち上がったり、闘争へと呼びかけたりする。
 保守的なロマン主義者たちは、当時の現実に満足せず、階級の矛盾の癒しがたさに驚き、現実から自ら目をそらし、夢や民衆の伝説や民衆信仰の世界に閉じこもろうとする。彼らは、自らの作品を人生の希望の叶わぬ不完全さへの不平で満たした。彼らは、よりよい未来のために戦うという考えからは、遠く離れていた。

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В.Аジュコフスキー(1783-1853)の作品

 センチメンタリストの詩人として自らの創作の道を歩み始めたジュコフスキーは、さらに、保守的ロマン主義の創始者となった。「一体、このロマン主義とは何ぞや(Что такое этот романтизм?)」--ベリンスキーは問うている。それに彼はこう答える。「それは、願望、志向、衝動、感情、嘆息、うめき、満たされぬ名のない希望への不満、失われた幸福への憂愁・・・もちろん、魅惑的で愛しいが、それにもかかわらず、捕らえようのない影や幻の住みついた・・・この世界。これは、陰鬱なゆったりとした流れの決して完了することのない現在。それは、過ぎ去った過去は愉しむが、自らの前の未来は見ない。結局、それは憂愁を糧として得た、憂愁がなければ自らを保持できないような愛である。(Это -- желание, стремление, порыв, чувcтво, вздох, стон, жалода, на несоверщенные надежды, которым не было имени, грусть по утраченном счастьи ... вто мир ... населённый тенями и призраками, конечно, очаровательными и милыми, но тем не менее неуловимыми; это -- унылое, медленно текущее, никогда не оканчивающееся настоящее, которое оплакивает прошедшее и не видит перед собой будущего; наконец, это -- любовь, которая питается грустью и которая без грусти не имела бы чем поддержать своё существование.)」

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バッラーダ

 ジュコフスキー独特のロマン主義は、特に、1808年から書き始めたバッラーダの中に鮮明に現れている。「ズヴェトラーナ(Светлана)」と「黄金の竪琴(Золотая арфа)」を除いて、それらはすべて西ヨーロッパの詩人、シラー(Шиллер)(「Поликратов перстень」「大コップ(Кубок)」「手袋(Перчатка)」「ハプスブルク伯爵(Граф Габсбургский)」やゲーテ(Гёте)(「森の皇帝(Лесной царь)」その他の詩人たちのバッラーダの自由な翻訳翻案である。
 ジュコフスキーは、自らの視点や気分と親しいものだけを翻訳した。翻訳を通して、彼は、あるものは捨て、あるものは和らげ、あるものは展開して、結局、自らの個性と傾向とを刻印した別の作品を作り上げた。ジュコフスキーのおかげで、ロシアの作家たちは、西洋や東洋の極めて多くの詩人たちを知ることになった。
 「ジュコフスキーと同時代の若者たちは、」-- とベリンスキーは語る。--「彼の中にバッラーダの作者として優れたものを見いだしていた。・・・バッラーダといえば、当時は大部分、不幸な短い愛の物語だと理解されていた。墓、十字架、幻影、夜、月、そして時折、屋敷に住む霊や魔女、それらをこれらの種類の詩の特質と見なしていた。(Современники юности Жуковского, смотрели на него преимущественно как на автора баллад ... Под балладою тогда разумели краткий рассказ о любви, большею, частью несчаcтной; могилу, крест, привидение, ночь, луну, а иногда домовых и ведьм считали принаддежностью этого рода поэзии.) ジュコフスキーのバッラーダは、そうしたものであった。主題は様々であった。その根底には、普通、何か民衆の言い伝えや伝説が横たわっている。しかし、ジュコフスキーは、どんなバッラードも書いた。そのすべてに、彼の根本的テーマが鳴り響いている。--不幸な愛、絶望的な幸福への苦悩、憂愁と悲哀、宗教的気分が。

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ズヴェトラーナ(Светлана)

 ジュコフスキーのバッラーダ「スヴェトラーナ」(1811)をさらに詳しく見てみよう。それは、独創的なロシア民衆のバッラーダを創造しようという詩人の試みである。しかし、19世紀初めには、センチメンタリズムは、民衆の生活を少し美化した描写という側面と、民衆の詩的ファンタジーによって創造された物語や伝説の世界といった別の側面とを緊密に結びつけた詩人によって高められた。そうした民衆性を、ジュコフスキーは理解した。
 バッラータは、少し美化された農民生活で描かれたロシアの生娘のクリスマス週間での占いの場面で始まる。こうした環境の描写の中に、スヴェトラーナの姿が与えられている。それは、センチメンタリズムの詩の雰囲気の中に描かれている。恋人から切り離された娘の寡黙と憂愁、彼女の温順な悲しみと物言わぬ哀しみとが強調されている。彼女は、不平も言わず、祈りと涙のうちに自らの悲哀を和らげようとする。このために詩人は彼女に褒美を与える。すべての恐怖に、彼女は夢の中に生き、一方、現実では、「摂理(провидением)1」によって、従順さと忍耐のために彼女には喜びが与えられる。彼女の求婚者が彼女のもとに戻ってくる。そして、バッラータは、陽気な婚礼の描写で終わる。バッラータの根本的思想は、ジュコフスキー自身が後書きで次のように説明している。

  1. ここでは、神(бок)の意味。

  これが、私のバッラータの意味だ。
  「この人生で、私たちにとって最良の友は
   神の信仰である。
   よき創造者の信条は、
   ここにある不幸は偽りの夢であり
   幸福は目覚めである。」
    (Вот баллады толк моей:
     ”Лучший друг нам в жизни сей
      Вера в провиденье.
      Благ зиждителя закон:
      Здесь несчастье - лживый сон;
      Счастье - пробужденье.”)

 .バッラータの思想的内容は、ジュコフスキーの宗教性と保守性について語る。ジュコフスキーは、ロシア民衆の典型的特徴としてズヴェトラーナの温和さと宗教性とを示そうとしている。
 「ズヴェトラーナ(Светлана)」の文体について言えば、センチメンタリズムとロマン主義の双方の特徴を備えた作品である。このバッラータのセンチメンタリズム的ロマン主義の様式は、ヒロインの人物像の中に、構成された主題の中に、作品の言葉の中にその表現を見いだす。
 センチメンタリズムの雰囲気で、ズヴェトラーナの女友達、婚約者、占いの場面、婚礼が描かれている。センチメンタリストの作家に特徴的な表愛形や指小形の名詞が多く使われている。вечерок(愛しき夕べ), башмачок(かわいい短靴), подруженьки(愛しい女友だち)などは、センチメンタリズムに独特で、問いかけるような感嘆の音調をもっている。
 しかし、これらの流れと並んで、別のロマン主義の流れもある。それは、恐ろしいぞっとする表象と結びついている。死んだ婚約者、夜の競馬、カーカー鳴くカラスといった形象、不幸な農家の棺桶、蘇る死人など。バッラータのこの部分の風景--死んだような雪の平原、青白い月の光、ほのかに照らされた唯一つの教会--は、ロマン主義に典型のものである。
 バッラータの構成は、均整がとれている特徴を持つ。軽妙でよどみのない詩は、口語のイントネーションで保たれている。節は、一風変わった韻を踏む14行でできており、初めの8行は十字韻を踏み、9行と10行とは隣接韻(?)(смежную)で、最後の4行は包摂韻(охватывающую)である。

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ジュコフスキーの意義

 ジュコフスキーの意義は、何よりも、彼がロシアの詩に新しいテーマを持ち込んだことである。彼の作品では、人間の内面世界、彼の精神の心的体験、感情、気分が根本的な内容となっている。
 ジュコフスキーのもう一つの功績は、彼が言葉と文体のそうした方法を見いだしたことである。それは、詩に最も微妙な精神的心的体験、感情のニュアンスを表現する可能性を与えた。彼は、詩の様々な大きさとリズムでロシアの詩を豊かにした。彼は、新しい方法、韻の踏み方、例えば、男性の揚抑抑格の韻交替を用いた。

  我らが歓びを奪い取る
  代わりのない寒き光が。
  燃えさかる青春の感奮は、
  生け贄の年の感情と共に消え失せる。
    (Отнимает наши радости
     Без замены хладный свет,
     Вдохновенье пылкой младости
     Гаснет с чувством жертвой лет.)

 ジュコフスキーの詩の音楽性は、彼の同時代の人たちに深い感銘を与えた。彼らの一人は、ジュコフスキーの詩についてこう書いている。「他のすべての詩とは異なる優れたところは、和声的な言葉、いわば言葉の音楽がジュコフスキーの詩を永遠に脳裏に刻み込むところである。彼は、自らの歌のあらゆる音を、その響きを、入念に忠実に言葉と同じくらい大切にする。ジュコフスキーを他のロシアの詩人すべてと区別するのは、彼の詩のこの音楽性、歌の骨髄(血液)、いわば、旋律のような表現、妙なる音である。
 プーシキンは次のようにジュコフスキーを評価している。--(ジュコフスキーは)私の言語と詩の分野での師である。

  彼の詩の魅惑に満ちた甘美さ
  それは、開闢以来羨むほどの遠きを通り
  それに耳を傾けながら、青春の華に嘆息をつく
  沈黙の悲しみが慰められ
  おてんば娘は歓びを沈思する。
    (Его стихов пленительная сладость
     Пройдёт веков завистливую даль
     И, внемя им, вздохнет о славе младость
     Утешится безмолвная печаль
     И резвая задумается радость.)

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