難読漢字87
「手水鉢(チョウズバチ)」「密庵席(ミツタン)」「忘筌の間(ボウセンノマ)」「長押(ナゲシ)」です。
今回も今井淳・小澤富夫編『日本思想論争
史』(ぺりかん社)からです。
「藩の財政的危機にもかかわらず、茶道に熱中する若き藩主に対して、国家老朝日丹波は「国の大難至極」と諷諫したという。不昧の「贅言」は、この諫めに対する彼の茶道観を要約した随筆である。」
「水戸藩七代藩主徳川斉昭(1800-60)は、光圀(1628-1700)以来の念願だった藩校を設立した。天保十二(1841)年のことである。水戸学は天保学ともよばれ、この藩校弘道館によって啓培された学風である。」
「同書(新論)には、「近世、陋儒・俗儒は大体に達せず」という用例もある。この場合の「大体」は聖賢の根本精神の意味であり、したがって「体」は、本質・根本精神とみていい。」
「彼は和漢の書を渉猟して、国初からそなわっている日本独自の根本精神を探り出す。まず日本には易姓革命が起こった事実がなく、皇統が連綿としている。これは他国に類のないことで、漢土にもまさっている。」
から、「諷諫」「贅言」「啓培」「陋儒」「渉猟」「易姓革命」を取り上げます。
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