やさしくない英語208
さて、前回の問題からです。
「RODOMONTADE
Rodomont あるいは Rodomonte (イタリア語で「山を転がす」の意味)
というのは、アリオストの叙事詩「狂えるオルランド(Orlando Furioso)」
に出てくるムーア人の王の名で、勇敢であるが高慢である。その名前から、
高慢で威張り散らし自慢ばかりするという意味の rodomontade という言
葉ができた。こうした性質は、braggadocio という言葉にも見られる。ス
ペンサーの「妖精の女王(Faerie Queene)」の登場人物 Braggadocio から
来ている。」
では、今回の問題はこれです。
「THRASONICAL
The Romans had their idea of a Braggadocio and Rodomont, too.
He was Thraso, a blustering soldier in Terence's play, 'The Eunuch,'
who was full of what Dr. Watson called "brag and bounce." In
Shakespeare's 'As You Like It,' Rosalind refers to "Caesar's
thrasonical brag of 'I came, I saw, I overcame.'"」
漢文入門 54
さて読み下しておきましょう。
「人(ヒト)徐先生の為に上書する有りて曰く、臣聞く客(カク)に主人
を過(ヨギ)る者有り。竈(ソウ)直□(つちへんに突)(チョクトツ)
にして、傍(カタハラ)に積薪(セキシン)有るを見、客主人に謂ひて曰
く、「其の□(つちへんに突)(トツ)を曲げ、その積薪(セキシン)を
遠ざけよ。不(シカラズ)んば将(マサ)に火患(カカン)有らんとす」
と。主人黙然として應ぜず。居(オ)ること幾何(イクバク)も無くして、
家(イエ)果して火を失(シツ)す。郷聚(キョウシュウ)里中(リチュ
ウ)の人、哀(アワレ)んで之を救ひ、火(ヒ)幸(サイワイ)に息(ヤ)
む。是(ココ)に於(オイ)て牛を殺し酒を置くに、燔髪(ハンハツ)灼
爛(シャクラン)の者は上行(ジョウコウ)に在り、餘(ヨ)各々功次
(コウジ)を用(モツ)て坐す。而(シカル)に反(カエ)つて□(つち
へんに突)(トツ)を曲げるを言ひし者を録(ロク)せず。向(サキ)に
主人をして客の言(ゲン)を聴かしめば、牛酒(ギュウシュ)を費(ツイ
ヤ)さずして、終(ツイ)に火の患(ワザワイ)無かりしならん。」
次回から語句をいきます。
初等数学史193
11・12世紀は、セルジュク・トルコが不寛容であって、知的生活
を送ることを困難にしていたというのなら、1206年と1227年との間は、チ
ンギス・カーンによって導かれた大モンゴルの襲来によって、そうした生
活は不可能なものになりました。
彼、そして彼の息子による征服は、中国北部からトルキスタン、ペルシ
アを通ってインダス川のほとりに至るまで、かなりの部分が文明社会でし
た。息子のオゴタイ(Oktai)(1241年没)は、父親同様、極めて残忍で、ヨ
ーロッパのほとんど半分を略奪、征服した結果、かつて中央アジアや西ア
ジアの栄光であった知的中心すべてを不毛の地としてしまいました。
これらの暴君の後継者のうち、フビライ・ハン(1216-1294年)とチムール、
すなわち、タメルラン(Tamerlane)(1336-1405年) は、確かによりよい生
活のために貢献しましたが、2世紀に及ぶモンゴルの侵入の記録は、歴史
すべての中で最も暗いものの一つです。
13世紀では、ペルシアの一人の著述家だけが特別に名を挙げるに値し
ます。彼は、晩年をバグダッドで過ごしていました。この著述家は、ナシ
ル・エッディン(Nasir ed-din)といって、ホラサン(Khorasan)のトゥス
(Tus)の生まれでした。彼はオールラウンドな学者で、三角法、天文学、
計算法、幾何学そしてアストロラーベの制作と使用について著述していま
す。
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