初等数学史185
燕山(Yen-shan)生まれの朱世傑(Chu Shi-Kie) の注目すべき著作で、中
国の13世紀は幕が閉じられます。彼の個人的な生活について、私たちは、
彼は20年以上放浪の教師であったということだけしか知りません。
彼は、二つの著作「算学啓蒙(the Introduction to Mathematical
Studies)」(1299年)と「四元玉鑑(The Precious Mirror of the Four
Elements)」(1303年)を書いています。彼によって、古い算盤の代数、係
数(coefficients)がチェック模様の板の上に置かれた棒で示されるもので
すが、それが初めて一定の水準に達しました。
彼の最初の著作では、記号の代数的規則と、全般に代数過程の導入につ
いて書かれています。しかし、二つ目の論文では、彼はより高度な代数の
様々な新しい問題を考えています。彼は、いわゆる現在のパスカルの三角
形を使って二項式の係数の数値を求め、古い方法としてその図式に言及し
ています。彼は、未知の量が二つ以上の高次方程式を考えていて、彼の扱
いは、行列式の表記によって消去できるという知識がいくらかあることを
示しています。
彼は、すでに秦九韶(Ch'in Kiu-shao)によって用いられていた方法で
の数の高次方程式の解法に多くの才能を示しています。それは、ホーナー
法(Horner's Method)と似ているものです。
漢文入門 46
さて、前回の読み下しからですね。
「荘王恠(アヤ)しみて問うて曰く、「寡人(カジン)徳薄く、又未だ嘗
(カツ)て子(シ)を異(コト)にせず。子(シ)何の故に死を出(イダ)
して疑はざること是(カク)の如き」と。對(コタ)へて曰く、「臣死に
當(トウ)せり、往者(サキ)に酔ひて禮(レイ)を失(シッ)せしが、
王隠忍し、暴(アラワ)して誅(チュウ)せざりしなり。臣終(ツイ)に
敢(アヘ)て陰蔽(インペイ)の徳を以てして顕(アラ)はに王に報いず
んばあらざるなり。常に肝脳(カンノウ)地に塗(マミ)れ、頸血(ケイ
ケツ)を用(モツ)て敵に□(さんずいに前)(ソソ)がんと願うこと久
しかりき。臣は乃(スナワチ)ち夜纓(エイ)を絶(タ)ちし者なり」と。」
こういう話なのですが、実は、最後のまとめの部分がここにはありませ
んので、それを足しておくことにします。
「遂斥晋軍、楚得以強、此有陰徳者、必有陽報也」
「遂に晋軍を斥(シリゾ)け、楚は以て強きを得たり。此れ陰徳有る者は、
必ず陽報有るなり。」
さて、語句をいきましょうか。
恠=「怪」と同じ
未嘗異子=そなたを特別扱いしたことがいまだなかった
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やさしくない英語200
さて今回は、これを取り上げましょう。
PANJANDRUM
In 1775, to test the boasted memory of Charles Macklin, who
asserted that he could repeat anything he had heard or read once,
Samuel Foote made up some nonsense lines, of which the concluding
section follows:
"So he died, and she very imprudently married the barber; and
there were present the Picninnies, and the Joblillies, and the
Garyulies, and the great Panjandrum himself, with the little
red button at top, and they all fell to playing the game of
catch as catch can, till the gunpowder ran out at the heels of
their boots."
Samuel Foote's coinage, panjandrum (pan, Greek, meaning all, plus
a Latin-sounding ending), has proved a sturdy one. Today
panjandrum is used humorously or mockingly of any exalted or
powerful person.
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