漢文入門 45
さて、前回の問題文を読み下しておきましょう。
「而(シカウ)して火を上(ノボ)し、卒(ツヒニ)に權(きへんでなく
りっしんべん)(カン)を盡(ツ)くして罷(ヤ)む。居(ヲ)ること二
年にして、晋(シン)楚と戦ふ。一臣有り常に前に在り、五合(ゴゴウ)
五たび首を獲(エ)敵を却(シリゾ)け、卒(ツイ)に之に勝つを得たり。」
語句をいきましょう。
上火=火をとぼす
卒=最後まで 罷=宴会を終わる
五合=五たび合戦する 卒=結局
訳もつけてしまいましょうか。
「そうしてから火をとぼし、最後まで愉快に宴会は終わった。二年たって、
晋と楚が戦争になった。一人の家臣が常に前にいて、五たび合戦したがそ
の度に敵の首を獲、敵を退け結局勝利を得た。」
さて本文続きです。
「荘王恠而問曰、寡人徳薄、又未嘗異子、子何故出死不疑如是、對曰、臣
當死、往者酔失禮、王隠忍、不暴而誅也、臣終不敢以陰蔽之徳而不顕報王
也、常願肝脳塗地、用頸血□(さんずいに前)敵久矣、臣乃夜絶纓者也」
やさしくない英語199
さて前回の訳をしておきましょう。
LILLIPUTIAN(リリパット人の)
「ガリバー旅行記」の主人公は、船が難破し、身長ががわずか6イン
チしかない人々の住む国の海岸に漂着する。Lilliputianというのは、当
然、「小さい」「小型の」という意味である。我慢強い国リリパットの小
さな人々の末裔は、T.H.ホワイトの愉快なファンタジー小説「ミストレス
・マシャムの休憩(Mistress Masham's Repose)」の中で再び生命を取り戻
している。
MALAPROPISM(マラプロピズム)
1770年代の観衆は、シェリダンの劇「恋敵」の中で、Malaprop(マラ
プロップ)が言葉を取り違えるのを見て笑った。彼女の名前から、
malapropism(マラプロピズム)という言葉が生まれた。それは、多くの
コメディアンたちが笑いを取るために英語の言葉ですることである。マラ
プロピズムは、グロテスク(奇怪な)言葉の取り違えであり、言い間違い
である。フランス語のmal a' propos(不適切な)から来ている。
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初等数学史184
1267年に、モンゴル人は、様々な火器の使用できるアラビア人将校を
採用したことが知られています。それは、つまり軍を通してアラビア人と
の接触があったことを示しています。しかし、この接触は、アラビア人の
天文学に十分精通した人、郭守敬(Kou Shou-king)(1231-1316)の学問的業
績において一層明らかになります。
彼は、河北省の生まれで、幼い子供時代でさえ、学識は著しいものがあり、
それは、彼の祖父、名声ある数学者、郭榮の学者としての資質を受け継い
だように思えます。青年時代に、郭守敬(Kou Shou-king)は、中国で最も
偉大な技師の一人に成長します。
彼は、フビライ・ハーンによって暦を改革するよう命じられました。この
ために、彼は、もともと首都北京にあったアーミラリー円球儀(渾天儀)
を元に戻しました。彼によって作られた観測器具は、夜だけでなく、昼間
も観測できるように工夫されたものがいくつかあり、球面三角法のかなり
の知識があったことを示しています。
彼の器具のうち、二つだけが現存するように思われます。これらはマテオ
・リッチが17世紀初めに北京を訪れた時に、彼によって見出され描かれ
ました。リッチは、また、南京にも同じような器具を見たと語っています。
郭守敬(Kou Shou-king)で、アラビアの学派ではすでにかなり進歩して
いたテーマである球面三角法の中国での研究が始まったと言えるかも知れ
ません。
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