やさしくない英語190
さて、前回の問題です。
頭音転換(SPOONERISM)
ウィリアム・A・スプーナー牧師 (1844-1930)は、偶然なのか洗練さ
れているのか、語句の単語の最初の文字を言い間違える習慣がありました。
会話で、彼はthe well known two-wheeled vehicle(有名な二輪車)のこ
とを "a well boiled icicle"(十分沸騰したつらら)と言ったり、
friend's new cottage(友人の新しい小屋)のことを "nosey little
cook."(おせっかいな小さなコック)と言ったりしたと報告されています。
また、彼は説教で、"tearful chidings"(涙ながらに叱る)と言ったり、
何かが for "a camel to go through the knee of an idol."(ラクダが
偶像の膝を通り抜ける)ほど簡単だと言ったりして聞いている人々を驚か
せたと言うことです。
そして今回はこれです。
THESPIAN
Thespian is an overworked word meaning an actor. Thespis is
often called the Father of Greek tragedy. Until his time (about
535 B.C.), dramatic presentations in Greece consisted of singing
by a chorus. He is supposed to have invented the role of the first
actor by having a member of the chorus step out and carry on a
dialogue with the rest of the chorus.
漢文入門 36
さて、「于公決獄、未嘗有所冤」の続きをいきましょう。先は、まだま
だ長いですが。
「母女告吏曰、孝婦殺我母、吏捕孝婦、孝婦辞不殺姑、吏欲毒治、孝婦自
誣服、具獄以上府、于公以為養姑十年、以孝聞、此不殺姑也、太守不聴、
数争不能得、於是于公辞疾去吏」
とりあえずは、読み下しておきましょう。おおよその意味はわかるでし
ょう。
「母の女(ムスメ)吏(リ)に告げて曰く、「孝婦我が母を殺せり」と。
吏孝婦を捕う。孝婦姑(コ)を殺さずと辞(ジ)す。吏毒治(ドクチ)せ
んと欲す。孝婦自ら誣服(フフク)す。獄(ゴク)を具(ソナ)へて以て
府(フ)に上(タテマツ)る。于公(ウコウ)以為(オモ)へらく姑を養
うこと十年、孝を以て聞(キコ)ゆ、此(コレ)姑を殺さざるなりと。太
守(タイシュ)聴かず。数ゝ(シバシバ)争ヘども得る能(アタ)はず。
是(ココ)に於て于公疾(ヤマイ)と辞し吏を去る」
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初等数学史175
さて15世紀のフランスですが、フランスは血縁の言語を話す姉妹国と
しての精神で、イタリアのヒューマニズム(人文学)を受け入れましたが、
グレゴリー・ティフェルナス(Gregory Tifernas)(1458年)がギリシア語を
教えるためにパリへ行ってから何十年もの間、知識階級の好みは科学と言
うより文学の方にありました。
15世紀に、フランスがドイツやオーストリアほどには著名な数学者を
生み出さなかったのは、恐らくこの事実によるのでしょう。しかし、パリ
大学がこの時期自ら見いだしていた絶えざる混迷による可能性の方が高い
かも知れません。教会と国家とのフランスの統治を巡る絶えざる抗争と、
その城壁内からの絶えざる抗議で、フランスは科学も文学も育むといった
雰囲気は全くありませんでした。
この時期のフランスの教育制度の最も優れた産物の一つの型が、極めて
平凡でほとんど知られていない学者、ロランドゥス(Rollandus)(1424年頃)
という人物の中に見られます。彼は恐らくリスボンの生まれでしょうが、
パリで生涯を送っています。
この時期のフランスの数学者の中で最も輝かしいのは、ニコラ・シュケ
(Nicolas Chuquet)でした。彼はパリの生まれですが、リヨンに住んでい
ました。彼は、算術の3つの分野に触れる著作である「数の学の三部
(Triparty en la Science des Nombres)」を書いています。第一部は有理
数の計算、第二部は無理数、第三部は方程式の理論に関するものです。シ
ュケ(Chuquet)については、彼が医学士でリヨンで著作したこと以外何も
知られていません。
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