やさしくない英語184

 さて前回の問題から、

 マゾヒズム(MASOCHISM)
  レオナルド・フォン・ザッハー-マゾッホは、オーストリアの小説家 で、人が愛する人から虐待されたり罰を与えられたりすることに快楽を得 る異常な精神状態を描いた。マゾヒズムという言葉は、しばしば、自分を 苦しめること(自己虐待)を意味するのに広く使われる。マゾヒストは、 自らを苦しめて楽しむ人のこと。

 特に何も言うことはありませんね。では、今回の問題はこれです。

 MAUSOLEUM
  Mausolus was the king of Caria, a country in Asia Minor. After his death his wife Artemisia erected an enormous and beautiful tomb which was ranked as one of the Seven Wonders of the ancient world. The word mausoleum is now used not only for a large tomb but for any large structure whose cheerless aspect suggests a tomb.

 

漢文入門 30

 さて、前回の問題文を読み下しておきましょう。

「師経(シケイ)君を諌(イサ)む
  師経琴(キン)を鼓(コ)す。魏の文侯起ちて舞ふ。賦(フ)して曰 く、「我をして言ひて違(タガ)はるること無からしめよ」と。師経、琴 を援(ト)りて文侯を撞(ウ)つ。中(アタ)らず。旒(リュウ)に中り て之を潰(ヤブ)る。文侯左右に謂ひて曰く、「人臣為(タ)りて其の君 を撞つ、其の罪如何せん」と。左右曰く、「罪は烹(ホウ)に当る」と。 師経を提(ヒッサ)げて堂(ドウ)を下ること一等なり。師経曰く、「臣 一言(イチゲン)して死すべきか」と。文侯曰く、「可なり」と」

 「師」というのは、ここでは、音楽を以て宮廷に仕えるものです。

 続きをいきましょう。

「師経曰、昔堯舜之為君也、唯恐言而人不違、桀紂之為君也、唯恐言而人 違之、臣撞桀紂、非撞吾君也、文侯曰、釈之、是寡人之過也、懸琴於城門、 以為寡人符、不補旒以為寡人戒」

 

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初等数学史169

  ルカ・パチオリ(Luca Pacioli)、生誕地のボルゴ(Borgo)のルカからそ う呼ばれますが、彼はそうした修道院の著述家でした。彼の著作から、彼 がかなりの資料を自由に使用しているのが見て取れます。20歳の頃に、 彼はヴェネチアに行って(1464年)、裕福な商人の三人の息子の家庭教師と なり、およそ6年後、彼は決して出版されることのなかった代数の書を書 いています。1471 年に、彼はローマへ行き、恐らく、聖フランシス兄弟 団にすでに入っていた二人の兄弟の影響を受けたのでしょう、フランシス コ修道会(Minorite order)に入っています。

1476年、私たちは、彼がペルージャで教え、生徒たちのために小さな書物 を書いているのを発見します。5年後、ザラ(ツァラ)(Zara)で、彼はさ らに「より繊細で厳密な」別の著作を書きます。しかし、これらの著作の いずれも出版されませんでした。彼は広くイタリアを、また、恐らくオリ エントを旅し、フランシスコ会士となった後でさえ、彼は流浪者のままで ありました。私たちは、彼が 1487年にペルージャに戻り、「スマ(Suma)」 について著述し、1494年にナポリに、1496年にミラノ、1500年にフィレン ツェとローマに、1508 年にヴェネチアにいたことを発見します。

 パチオリの偉大な著作、彼のそれまで出版されなかった著作だけでなく、 当時の全般的な数学的知識を要約したものは、1494年にヴェネチアに現れ ます。それは、彼がペルージャにいた7年前に書かれたものです。それは、 優れた編集でありますが、独創性はほとんど見られません。彼は、様々な 資料から自由に借用していますが、しばしば、ほんのわずかの引用許可も 得ていません。しかし、これは、単に当時の習慣に従っただけのことです。

 

  
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