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さて、14世紀ですが、イタリアでは、遂に古代文学の美に完全に目覚め、ダンテ(1265年-1321年)は、自らの師としてヴェルギリウスを語り、「中世(精神)の叙事詩(Epic of Medievalism)」である「神曲(Divina Comedia)」を生み出し、ペトラルカ(1304-1374年)は、古代古典の注目に値する写本集を作り、ギリシアとローマの文学の新しい評価へと導く運動を始めます。また、ボッカッチョ(1313-1375年)は、古代の著作を収集し研究する試みに非常な熱意を示しました。 コンスタンチノープルは、ギリシア語の写本の宝庫であり、イタリアの学者は、それによって、学問(科学)と文学の研究に関心をもったのです。 さらに、フィレンツェ共和国は、1282年と 1292年の間の制度改革によって、事実上、商人階級の政府となりました。--14世紀の学校においてフィレンツェの算術が非常に優れていたことと多いに関係があったに違いない事実です。全般的な富の蓄積もまた、それに続いて起こったに違いなく、芸術と学問(科学)を育むことになったでしょう。 こうしたことすべて約束されていて、その結果、イタリアは、ルネサンスとして広く知られている時代を早めることになったのでしょう。もし、それを阻止する要因がなかったなら。
今回は、文も長いですし、紙面も少ないので、読み下し文だけにします。説明は次回。 「齊(セイ)の景公子貢(シコウ)に謂(イ)いて曰く、「子は誰(タレ)をか師とする」と。曰く、「臣は仲尼(チュウジ)を師とする」と。公曰く、「仲尼は賢なるか」と。對(コタ)へて曰く、「賢なり」と。公曰く、「其の賢なること何若(イカン)」と。對へて曰く、「知らざるなり」と。公曰く、「子その賢なるを知り、而(シカ)もその奚若(イカ)なるを知らず、可なるか。」と。對へて曰く、「いま天を高しと謂はば、少長愚智(ショウチョウグチ)と無くみな高きを知る。高さ幾何(イクバク)かは、みな曰く、知らざるなりと。是(ココ)を以て仲尼の賢なるを知りて、而もその奚若なるを知らず」と。」
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「ゴルディアスの結び目を切る さて、今回の問題は、これです。
「CYNICAL Cynics(犬儒派)というのは、ギリシアの哲学学派の一つで、自制と独立の価値を教えました。安楽や富を軽蔑し、人間の行為の正しい動機を信じませんでした。犬儒派で最も有名なのは、ディオゲネスでしょう。彼は、普通の生活の快適さをも軽蔑し、市場で樽の中で生活していました。その市場を白昼、正直な人を求め、ランタンをもって歩きまわったと言われています。ディオゲネスは、人間の正直さを信じていなかったので、ある時など、神殿の役人が、神への供物を盗んだ泥棒を捕らえたとき、「大泥棒がこそ泥を捕まえた」と言ったと言われています。 Cynicはギリシア語の犬という言葉と関係があります。アテネの人々は、彼らのうなり(話し)方からそう呼んだということです。cynical(シニカル)な人というのは、常に人のあら探しをし、他の人の気持ちを信用せず、人間性の高貴な願望をほとんど信じられない人のことを言います。
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