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前回の問題文を読み下してみましょう。
「楚の荘王陳を伐つ 前漢の劉向編の「説苑」からです。「説(ゼイ)」というのは、人に自分の考えを説くことで、そうした話を集めた書物です。 読み下せば、それでもう意味はほとんど分かるとは思いますが、少し言葉の説明でもしておきましょうか。
郭=城のまわりにある外城。 これぐらいですか。 さて、続きをいきます。 「王曰、陳可伐也、夫陳小国也、而蓄積多、蓄積多、則賦斂重、賦斂重、則民怨上矣、城郭高、溝壑深、則民力罷矣、興兵伐之、遂取陳」
「カンナエ さて今回はこれです。
「CROSSING THE RUBICON ルビコン川を渡るというのは、危険な結果をもたらすかも知れない最終的な取り消しのできない一歩を踏み出すという意味です。ルビコン川というのは、北イタリアにある小さな川で、カエサルが長官を務めていた属州とイタリアとの境界にありました。ローマの政治的宿敵が、カエサルに軍を解隊するよう命じる法を通したため、彼は、その川のほとりまで行軍し、堤に立ち、川を渡り戦争を始めるかどうか決めかねていましたが、プルタルコスによりますと、結局、思案をやめ、自ら運命に身を委ね、「賽は投げられた」という有名な言葉を口にして、一挙に川を渡ったということです。 |
13世紀、数学に触れる著作を書いた学者の中で最も優れているのは、賢王(el Sabio)として知られるカスティリア王、アルフォンソ10世(1223 - 1284年)です。彼の名は、アルフォンソ天文表(Alfonsine Tables)--プトレマイオスによって残された不完全な表を改良した惑星表(planetary tables)--として現れます。その仕事は、1248年に始まり、1254年に完成しています。 この時期のもう一人の優れた著述家は、アルノルド・デ・ヴィッラ・ノヴァ(Arnoldo de Villa Nova)(1235年-1313年頃)です。彼は、パリ、バルセロナ、そしてモンペリエで教えました。主として、医学と錬金術の20の著作で知られ、また、Computus Ecclesiasticus & Astronomicusも書いています。恐らく、それは、占星術との関連からその研究へと導かれたのでしょう。 ロジャー・ベーコンは、彼の同時代の人々のほとんどを非難して、「今は、たいそうな名声を得てはいるが、オリジナルのギリシア語での学問に無知なことはパリの知識人たちみんなによく知られている。」と語ったりしていますが、当時有名なウィリアム・フレミング(William Fleming)というフラマン(フランドル)人の著述家は、ヘロンの反射光学(catoptrics)や浮動物体に関するアルキメデスの著作を翻訳しています。このアルキメデスの翻訳をタルタリアが剽窃したと考えられていたりもしています。
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