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「なにか他の方策を語ることは実際的ではない。また、学究的な理論化の時は今ではとっくに過ぎ去っている。」 では、今回の問題文にいきましょう。 「AUGUR It is estimated there will soon be forty-five hours a week of quiz-game shows on the television networks, a prospect that augurs toil and moil for the network "police units" which are duty-bound to keep television antiseptic clean.」 ローマ人の間では、augursというのは、飛ぶ鳥や天気その他から未来を予言する卜占官のことでした。そこから、augurは、「予言をする、占う」 とか「予言者、占い師」の意味になります。 では、挑戦してみてください。
「人の己を知らざるを患(ウレ)へず、人を知らざるを患(ウレ)ふるなり。」 「身の不善をこれ患へよ、人の己を知る莫きを患ふる毋(ナ)かれ。」 語順の転倒に関する文例です。 普通「AをBする」というときは「BA」の語順になりますが、「A」にあたる語が「何」「誰」などの疑問代名詞のときは、一般的に「何B」になります。 介詞の場合も同じで、「以A(Aを以て)」「與A(Aと)」は「何以」「誰與」となります。 「A」にあたる語が代名詞で、かつ否定文のときは、一般的に「不AB」になります。「知人」に対して「不己知」のように。 「BA」の語順を修辞的理由でAを動詞の上に移すと「A之B」になります。「患身不善」が「身不善之患」となるように。この「之」は、ほとんど意味はあ りません。 では、今回はこれです。 「学而時習之」 「仁則榮不仁則辱」 「我欲仁斯仁至矣」 「項氏世世為楚将封於項故姓項氏」 |
1224年、オックスフォードにフランシスコ会の修道士たちが初めてやってきます。これらの人々は、博識な学者たちではありませんでしたが、南ヨーロッ パの知的中心から来たということで、アルプスやピレネーの彼方で学者たちがしている事を知っていたことでしょう。彼らが大学の中心にいることで、イギリス で研究している人々に影響を及ぼしたはずです。 先ずは、サクロボスコ(Sacrobosco)。彼は、オックスフォードで教育を受け、1230年頃、パリ大学に入学しています。後に、パリで数学と哲学 とを教え、1256年頃そこで没しました。 彼は、当時球面に関する最も広く用いられた著作を書き、「記数法論」や「アルゴリスムス(計算法)」という著作を通して、ヒンドゥー・アラビア算術を ヨーロッパの学者たちに知らしめるのに大きく寄与しました。これらの書物は、広く300年間用いられ、16世紀の終わりま用いられ続けました。 また、ロバート・グロステステ(Robert Grosseteste)がいました。一時、パリの学生でしたが、後にオックスフォードの学生そして教師となり、最後には、ロンドンの司教となっていま す。彼の関心は、主に数学の物理学と天文学への応用にありましたが、また「幾何学の実践(Praxis geometriae)」という著作やユークリッド(エウクレイデス)のオプティカ(光学)についての著作も書いています。
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