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今回は、12世紀のスペインです。 この時代になりますと前世紀より遙かに数学の研究に好ましい環境になります。 アラビアの著述家たちの中で、第一の者と言えば、アヴェロエス(Averroes)(1126年頃-1198/9年)です。彼は天文学と三角法について著述しています。彼の同時代人で、最も優れた学者はアヴェンパセ(Avenpace)で、セヴィリヤとグラナダに 1140年頃生きていて、幾何学について著述しています。 しかし、先の世紀同様、数学の発展に最大の寄与をしたのはヘブライの学者でした。ベン・エズラ(ben Ezra)を別にしても、二人の学者が特に注目に値します。マイモニデス(Maimonides)(1135年-1204年)、コルドバ生まれで、スルタンお抱えの医師、優れた天文学者でもあった人物と、ヨハネス・ヒスパレンシス(Johannes Hispalensis)(1140年頃活躍)です。ヒスパレンシスは、キリスト教の信仰を告白し、算術と占星術について著述し、様々なアラビアの数学に関する著作をラテン語に翻訳しました。 それほど著名ではありませんが、他に様々なユダヤの学者たちがいました。例えば、サムエル・ベン・アッバス(Samuel ben Abbas)がいて、算術、ヒンドゥーの数詞とその用法、代数そして幾何学について著述しています。
「龍の歯を蒔く と言うことです。説明はいらないでしょう。そのままです。(前回のテキストではSOWING THE DRAGON'S TEETHの TEETHが TEEYHになっていました。お詫びします。) で、今回はこれ。
「BETWEEN SCYLLA AND CHARYBDIS
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「夫(ソ)れ禮(レイ)は未然の前に禁じ、法は已然(イゼン)の後に施す。」 これも大体の意味は分かるでしょう。
未然の前 = まだそうなっていないさき 今日は、二つ目の文に用いられている「於」の字について書いてみましょう。 これは、場所・場合・目的・対象などいろいろなときに用いられる助辞で、英語では前置詞にあたり中国の文法学者は「介詞」と名付けているものです。日本語では、その意味によって「に・へ・から・より・を」など様々に変化します。特徴的なのは、この「助辞」というのは、外国語のように存在するところに必ず存在するというものではなくて、文章のリズム次第で用いたり用いなかったりするところです。 ついでに同じ文にある「而」は、英語の接続詞にあたり、中国では「連詞」「連接詞」等と呼ばれます。 では次回はこれです。
「人無遠慮必有近憂」
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