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キリスト教ヨーロッパにとって、12世紀は、9世紀東方イスラム教世界がそうであったように、翻訳の世紀でした。 バグダードの場合はギリシア語からアラビア語への翻訳でしたが、キリスト教ヨーロッパはアラビア語からラテン語への翻訳でした。 その理由は明らかです。ムーア人によるスペインでの学問芸術の発展は、フランスやイタリア、イギリスの教会の学校の知識階級の人々に非常な不安をかき立てていたのです。 それ故に、多くの学生がスペインに流入し、学者たちの間では、アラビアからの知識の獲得し、東方の学問を知り知らしめたいという強い欲求となって現れたのです。 バグダードが決してギリシアの文学を翻訳せず、ギリシアの学問科学を熱心に知ろうとしたように、ヨーロッパもアラビア文学にはほとんど目を向けず、カリフの都で名声を博していた天文学、算術、三角法、光学、占星術、幾何学、そして医学に関する著作に非常な関心が向けられていました。 ラテン教会の学者たちには、ユークリッドの「幾何学原論」でさえ、オリジナルのギリシア語ではなく、主にアラビア語の翻訳を通じて知られていたのです。
「アウゲイアース王の牛舎を掃除する ということです。これ以上何も説明することはありませんね。 では続いて今回はこれです。
「THE BURDEN OF SISYPHUS
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「孟献子(モウケンシ)曰く「馬乗(バジョウ)を畜(ヤシナ)えば、□(奚+隹)豚(ケイトン)を察せず。伐冰(バツピョウ)の家は、牛羊(ギュウヨウ)を畜(ヤシナ)わず。百乗の家は、聚斂(シュウレン)の臣を畜(ヤシナ)わず。其の聚斂の臣有らんよりは、寧(ムシロ)ろ盗臣有れ」と。此れを國(クニ)利を以て利と為さず、義を以て利と為す、と謂うなり。」 孟献子の話ですが、「聚斂之臣は民の膏血を搾り取って上にたてまつるので人民はその害を受ける。盗臣は主君の倉庫から盗み出して自分の懐に入れるがその禍は下に及ぶわけではない。仁者の心は至誠仁愛惻怛であって、自分の財貨を失っても民力を傷つけるには忍びない。」それを「聚斂之臣有らんよりは、盗臣有れ」と言っているのですね。 つまり、国にとっての利益とは、単なる利益が利益なのではなく、義こそがそうなのだと言うことです。 今回も、島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第十章」からです。 これで「大学」も終わりです。 「長国家而務財用者。必自小人矣。彼為善之。小人之使為国家。□(くさかんむり+巛+田)害並至。雖有善者。亦無如之何矣。此謂国不以利為利。以義為利也。」
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