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アルクィンの最も有名な弟子が「ゲルマニア第一の教師(Primus praeceptor Germaniae)」、フルダ(Fulda)の大修道院長で、マインツの大司教であったマグネンティウス・フラバヌス・マウルス(Magnentius Hrabanus Maurus)です。彼は、若い頃広く旅し、ビード(Beda)の著作に基づいて暦に関する価値ある論文を書き、当時の数学のほとんどを含む学問であった天文学についてかなりの知識のあったことを示しています。 アルクィンの第二の弟子は、フランスで教会が恵み深い影響を及ぼした証人でもありますが、オセールのレミギウス(Remigius of Auxerre)です。彼は、ベネディクト会の修道士で、ランス(Rheims)で学校のために尽くし、パリには学校を設立しました。その学校から大学が発展したと考えている人もいます。彼は、カッペラ(Cappela)の算術の注釈を書いていますが、何ら価値のあるものではありません。 ザクセンのガンテルスハイム(Gandersheim)のベネディクト会修道院の学識ある尼僧ロスヴィータ(Hrotsvitha)の書いた戯曲には、この数学の不毛の時代にあって、ギリシアの算術かあるいはボエティウスの算術のいずれかの知識があったことを示すものがわずかにあります。 しかし、10世紀は数学に関しては不毛の時代でした。
「秦誓(シンセイ)に曰く。若し一个(イッカ)の臣有りて、断断として他技(タギ)無く、其の心休休焉(エン)として、其れ容(イ)るること有るが如し。人の技有る、己れ之を有するが若(ゴト)く、人の彦聖(ゲンセイ)なる、其の心之を好(ヨ)みす。啻(タダ)に其の口より出だす若きのみならず、寔(マコト)に能く之を容れ、以て能く我が子孫黎民(レイミン)を保(ヤス)んず。尚(ネガワク)は亦た利あらんかな。」 秦誓は「書経」の周書の最後の一篇です。後は次回に少し解説をします。 島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第十章」からです。 「人之有技。娼疾以悪之。人之彦聖。而違之俾不通。寔不能容。以不能保我子孫黎民。亦日殆哉。」
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「パンドラの箱 ギリシア神話では、最初の女性がパンドラです。ミルトンは「失楽園」の中に彼女がどうしてその名を得たのか書いています。
「・・・パンドラ、神々が ギリシア語で、パンというのは「すべて」、ドラは「贈り物」の意味です。ゼウスは人類を怒って人の呪いとなるよう彼女を送り込んだのです。神々は彼女に一つの箱を与え、決して開けてはいけないと警告します。しかし、ある日好奇心の誘惑に負けそれを開けてしまいます。その時、地上に厄難が広まったのです。人の身体や精神を悩ませる病気が広まったのです。ただ希望だけが残されます。 この話は女性差別的です。それは女性と女性の好奇心が男の苦しむ厄難の原因だという伝説を生みました。「パンドラの箱」というのは、邪悪の元、しっかりとフタをしておかなければならない煮えたぎった大釜(騒乱状態)のことです。 さて、今回はこれ。
PROMETHEAN
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