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「虹色に輝く、玉虫色に変化する
イリス(アイリス)(iris)というのは、神々から地上にメッセージを伝えるときに色の跡を残す可愛い乙女です。彼女は虹の女神でありました。 ただ、原子爆弾のキノコ雲の表現には用いて欲しくない感じはしますが。 さて今回はこれです。皆さん、よく耳にしてよくご存じだと思いますが。
PANDORA'S BOX
「楚書に曰く「楚國は以て寶と為すもの無し。惟だ善以て寶と為す」と。
「楚書」というのは、現在それに該当する書物は残っていないといいます。楚の国の古い年代記のようなものではないかということです。「善」は善人の意味で「金玉のようなものを宝としないで善人を宝としている」というような意味だということです。 続きをいきましょう。 島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第十章」からです。 「秦誓曰。若有一个臣。断断兮無他技。其心休休焉。其如有容焉。人之有技。若己有之。人之彦聖。其心好之。不啻若自其口出。寔能容之。以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。」
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数学史上、尊者ビード(Bede)に次ぐ偉大なヨーロッパの学者は、ヨークのアルクィン(Al'cuin)(735-804)です。ビードの没年に生まれ、ビードほどの学者ではありませんでしたが、活動家で教会だけでなく国家のためにも優れた才能を発揮しました。 彼は、イタリアで学び、ヨークで教え、シャルルマーニュによって国家の教育体制を支えるように招聘され、ツールの聖マルタン(マルティヌス)修道院長となっています。 彼は、「若者を高める問題集(Propositiones ad acuendos juvenes)」という 1000年もの間教科書の著者たちに影響を及ぼし続けた大問題集と関連づけられていますが、それはかなり疑わしいものです。その写本は、アデマール(Ademar)あるいはアイマール(Aymar)という修道士によって書かれたと考えられています。 フランスでは、10世紀から11世紀の間、小君主たちが個人的な戦争に明け暮れ、数学その他の知的な発展はなく、この2世紀は注目すべきものはほとんど生み出していません。 イギリスでも、アルクィンの死後、カンタベリーの聖アウグスティヌス(オーガスタン)(604年あるいは613年)と共にブリテン島で始まった輝かしい時代が、始まり同様に突然幕を閉じます。デーン人の侵入が知的発展を可能にした平和を終わらせたからです。 アルフレッド大王(848-900)が王位に就いた時(871年)、彼はこう嘆いています。「教えを求めて人々がこの島に来るという時代があったが、今や、私たちはそれを求めて海外へ渡らなければならない。」 しかし、彼の孫のアセルスタン(Aethelstan)の時代には学問の育成が図られ、この時代にユークリッド(エウクレイデス)がイングランドに伝えられたという詩が残っています。
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