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さて、今回は、中世の教会の学者の中で最も偉大な人の一人、一般に尊者ベーダ(Beda Venerabilis)、尊者ビード(the venerable Bede)として知られ、バーク(Burke)によって「イギリスの学問の父」と呼ばれたビーダ(Baeda)を取り上げます。 彼が生まれたのはイシドルスの100年ほど後のことです。 ハラム(Hallam)は、彼のことをこう述べています。「彼は他の古代の文学年代記の名のあらゆる人を凌いでいる。彼より古い著述家たちの勤勉な編集者以上のものではほとんどないけれども、恐らく、西洋だけでなく東洋でも学問が低迷していた当時にあって、他のどの人たちよりも優れていたと見なされるだろう。」 数学に関しては、彼の関心は、古代の数の理論、教会暦などにあり、著作にはこれ以外の数学的テーマも含まれています。彼のお陰で、私たちは暗黒時代に書かれた暦について最良の書を、彼の時代までの数の記数法について最良の著作を手にしています。 ある数学的な楽しみの書もずっと彼のものだとされてきましたが、その著作についての証拠は決定的なものではありません。
ヒュドラの頭をした ヒュドラというのは9つの頭を持つ水中の怪物(水蛇)です。ヘラクレスは、12の難題の一つとしてヒュドラを退治するよう命じられます。ヒュドラは著しい再生能力があり、一つ頭を切り落とされるとすぐに二つの頭が生じます。しかし、切り落としたすぐに根元を火で焼くと再生はしませんでした。そこで、ヘラクレスは、切り落とした首を焼灼する助手(甥のイオラーオス)の助けを借りて退治することができたのです。 そこで、「ヒュドラの頭をした」というのは、主として悪いことを「除去あるいは破壊するのが困難な」という意味で用いられます。 さて今回はこれです。
IRIDESCENT
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「是の故に財聚(アツ)まれば則ち民散ず、財散ずれば則ち民聚(アツ)まる。」 財がもっぱら上に聚められると、下の人民はバラバラに散らばってしまうし、財が人民の間に散らされれば、民は上に帰服する。道理に悖った言葉を吐けば、そのお返しとして道理に悖った言葉が人から自分に向かって吐かれ耳に入ってこざるを得ないように、道理に悖ってこちらの懐に貨財が入ってくるなら、逆にまた道理に悖った貨財流出があることをいかんともしがたい、と言うのですね。 ここでは財用にあまり努力をすると民を失うと強調していますが、道理を無視して利を貪ることを戒めたものでしょう。君主が道理に逆らった政令を下せば、人民の方でも君主に逆らう言葉を吐いて、君主を拒絶する。上の者が道理を無視して利を貪れば、下の者も上に叛き上を侵犯するであろう、というように。 さて、島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第十章」から続きです。
「楚書曰。楚國無以為寶。惟善以為寶。」
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