|
ACHILLES HEEL
アキレス(アキレウス)のかかと ステュクスの川に、幼いアキレスを浸すときに、母親が彼のかかとをつかんでいたためにかかとだけが水に浸されず、そこが唯一の弱点となり、トロイの城壁の前で、パリスによって毒矢でかかとを射られて死んでしまう話はよくご存じでしょう。つまり唯一の「弱点」と言う意味で使用されます。 さて今回は、これです。
AEGIS
「所謂(イワユル)る天下を平らかにするは其の国を治むるに在りとは、上(カミ)老(ロウ)を老(ロウ)として、民(タミ)孝に興(オコ)る。上(カミ)長を長として、民弟(テイ)に興る。上孤(コ)を恤(アワレ)みて民倍(ソム)かず。是(ココ)を以て君子は給驕iケック)の道有り。」 「給驍フ道」ですが、朱子によれば、「汲ヘ度であり、矩は定規である。己の心を定規として人の心の度を度(はか)り、人の悪(にく)むところも己のそれに異ならない、ぴたりと一致するということを知れば、己の悪むところを人に施そうなどとはしないであろう。」と言うことだそうです。(「論語」、「中庸」第十三章) さて、今回も、島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第十章」から続きです。 「所悪於上。毋以使下。所悪於下。毋以事上。所悪於前。毋以先後。所悪於後。毋以従前。所悪於右。毋以交於左。所悪於左。毋以交於右。此之謂給髞V道。」
|
850年と 930年の間、エジプトにアブ・カミル(Abu Kamil)がいました。その当時、方程式の扱いにおいて、また幾何学的問題の解法への応用において、彼ほど才能を示した人はいませんでした。 同じ頃、アブル・ファラドシュ・モハメド・イブン(ビン)・イシャク(Abul-Faradsh Mohammed ibn Ishaq)がいました。彼は、イブン(ビン)・アビ・ヤクブ・アルナディム(Ibn Abi Yaqub al-Nadim)として知られ、987年頃に書かれたキタブ・アルフィフリスト(Kitab al-Fihrist)(一覧の書?)は、ギリシア人及びイスラム教徒の様々な優れた数学者たちの簡潔な伝記を集めたものです。 アラビア数学の黄金時代は、広く9世紀と10世紀に限られますが、世界は、ギリシア数学の古典を保存し、後世に伝えるのにアラビアの学者たちに大きく依存しています。代数では、インドとの繋がりがあったこともあるでしょうが、かなりの独創性も見られ、三角法に関しては天才的な輝きが見られることもあるのですが、彼らの著作は、主として後世に伝えるためのものであったと言ってよいでしょう。 ギリシア古典のアラビアでの受容には、面白い現象が見られます。数学・哲学・音楽理論などは、多くアラビア語に翻訳されているのですが、文学の翻訳はほとんど見られません。ギリシアの多神教世界は、イスラムの一神教世界では受け入れられなかったというこどでしょうか。
|
|