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さて、今回からインドに入ります。 この時代(AD500-AD1000年)には、インドには4〜5人の優れた数学者がいました。二人のアーリヤバタ(Aryabhata)、天文学者のヴァラーハミヒラ(Varahamihira)、ブラフマグプタ(Brahmagupta)とマハーヴィーラーカーリヤ(Mahaviracarya)です。彼らの著作は余りにも玉石混淆で、彼らの数学的資質についての判断は、研究者の個人的な好みとか共感に大きく依存され、その評価は大きく分かれるところです。 こうした彼らの著作の特異性について、アラビアの歴史家のアルベルニ(Alberuni)(AD1000年頃)は、こう語っています。 「私は、彼らの数学的及び天文学的文献を、真珠貝と酸っぱいナツメヤシ、あるいは真珠と動物の糞、あるいは高価な水晶とただ道ばたの小石にたとえることができるだけだ。どちらも、彼らの眼には同じように見えていた。なぜなら、彼らは厳密な科学的演繹法に高めることができなかったから。」 アーリヤバタという名は二人知られていますが、若い方のアーリヤバタの年代はよく分かっていません。実は、その二人の著作を明確に区別することもまだできていないようです。年上の方のアーリヤバタについては、比較的よく知られていますので、次回はその話をしましょう。
「(此を知の本と謂い)、此を知の至りと謂うなり」 この伝第五章はこれだけです。この章は「格物・致知」を釈する箇所のはずですが、最後の結びの一句を残してあとはすべてなくなっているというのが、朱子の見解です。 しかし、「格物致知」は「大学」においてもっとも中心的な教説に他なりませんから、朱子は程子の意見を参照しつつこの失われた伝の文章を補い再現しようと試みたわけです。それが有名な格物致知に対する朱子の「捕伝」(「格物捕伝」)です。 上の話は、この「捕伝」の前書きに書かれていますので、それを書いておきましょう。 「右は伝の五章、蓋(ケダ)し格物致知の義を釈す、而(シコウ)して今は亡べり。間(コノゴロ)嘗(ココロ)みに竊(ヒソ)かに程子の意を取りて、以て之を補いて曰く、」 というわけで、今回からは、島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第五章捕伝」からです。 「所謂致知在格物者。言欲致吾之知。在即物而窮其理也。蓋人心之霊。莫不有知。而天下之物。莫不有理。惟於理有未窮。故其知有不尽也。」
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「一方、単一の(完全に統制された)労働組織(組合)を形成するには、恐ろしく力を結集させる必要があるだろう。」 monolithicというのは、もともとは「一個の石でできた」と言う意味ですね。それから「一枚岩のような」とか「統制のとれた」という意味が派生したのでしょう。 さて、今回の問題をいきましょう。
PROTOCOL 最近はネットワーク関係の本を読むことが多いので、protocolと言いますと「データ通信を行うために必要な通信規約」といった意味でそのまま「プロトコル」と訳すことが多いのですが、今回の二つの文はそうではありません。同じ単語でも分野が違うと違った意味になるよい例かも知れません。 prot(o)-は、ギリシア語のπρωτοs(最初の、原初の)から来ていますね。ラテン語では Primusで prim-も同じような意味で使われます。
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