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インドは前回だけで終わりです。今回から時代を下がってAD500年-AD1000年に入りたいのですが、その前にメソポタミアがどうなってしまったのかお話します。 メソポタミアは、シュメール、アッシリア、バビロニア、カルデアと世界の商業、学問、法律、芸術に大きな貢献をしてきました。それはすべて、チグリス・ユーフラテス川沿岸やその周辺に住む人々の天賦の才によるものでした。 ところが、BC6世紀が終わると、この地域の文明にとって壊滅的な変化が起こります。BC539年のペルシアによる征服から、パルティア人、ギリシア人、ローマ人の侵入です。これらはどれもメソポタミアの領土の一部あるいは全土を征服し、メソポタミアの古代の栄光をほとんど何も残さなかったのです。 ローマのトラヤヌス帝は、アレクサンドロス大王の征服を再び夢見て、AD2世紀の初めバビロンを訪れますが、そこは「そうした名声に値するものは何一つ見あたらず、ただ瓦礫と石の山の廃墟を見ただけだった」ということです。 これは、ギリシア勃興以前に存在して、世界の他のどこよりも世界に影響を及ぼした文明の衰退を象徴するものでした。カルデアの占星術だけは、その後も一般の人々の間にずっと生き続けていたようですが。(今日でも、まだ存在しますね。)
「詩に云う。「於戯(アア)、前王忘れられず」と。君子は其の賢を賢とし其の親を親とす。小人は其の樂しみを樂しみとし其の利を利とす。此を以て世を没するも忘れられざるなり。」 「詩経」周頌烈文の詩の引用ですね。先の淇澳の詩は明明徳が止まる所を得る点を述べて新民への展開を示し、烈文の詩は新民が止まる所を得る点を述べて、明明徳の効果を明示したということです。 さて、今回は、島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学 伝第四章」からです。この章は「物に本末有り、事に終始有り」の本末を釈するものですね。ただ、「終始」に関するものはありません。朱子によれば失われたのかも知れないと言うことです。 「子曰。聴訟吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辞。大畏民志。此謂知本。」
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「公の生活の中で、ジェファーソン、ジョン・クィンシー・アダムス、アンドリュー・ジャクソン、そしてヘンリー・クレーが受けたほど中傷された人はいなかったというのが、ブレインの結論であった。」 というわけで、(c)maligneが解答となります。 Jeffersonはアメリカ第3代大統領、John Quincy Adamsは第6代大統領、Andrew Jacksonは第7代大統領ですね。 さて今回の問題です。二ついきましょうか。
EXONERATE (a) praised (b) reinstated (c) freed from charges (d) pensioned off いつの時代、どこの国でもこうしたことは存在するようですね。政治的な何かが働いたのでしょうか。ところで、S.S.とは何でしょう。何らかの組織だとは思いますが。
INDURATE (a) encouraged (b) hardened (c) compelled (d) softened これも何の話か具体的なことは分かりませんが、ちょっと不安になる文章ではありませんか。
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