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さて、今回はローマの数学についてです。 ローマ時代の数学については、厳しい評価があります。軍事力を増大させ、その結果として、知的な理想が抑圧された時代で数学などの学問は低いレベルに沈んだというものです。唯一の例外が文学ですが、それでも、ベルギリウスはホメロスを模範とし、キケロはデモステネスの足跡に従ったというように、その理念は、ギリシアから受け継いだものです。 オリジナリティがなによりも重要視される数学ですから、ローマがそうした評価を受けるのは仕方がないかもしれません。 しかし、ローマ時代、その応用、建築とか土木工事などではかなりの成果を挙げていることは否定できません。ただ、それもローマの人々はお金を出しただけで、学者や文学者の多くはローマ以外の地方の出身者であったというのは、考えものですね。 キケロは、そのことを嘆いています。ギリシア人の間では、幾何学は高い評価を得ているのに、ローマ人の間ではそれに欠けていると。 日本でも、数学の重要性がいろいろと議論されています。数学的な考え方は、すべての学問の基礎になっているということを、多くの人に理解して欲しいと思っています。
「ロジスティックス(兵站学)の観点、すなわち物資や武器、財政的な援助といった観点から、内乱を全世界的なものと考えるのは近視眼的である」 少しわかりにくい文章であったかもしれませんが、だいたいこんな感じでしょう。というわけで、(d)と(b)が正解になります。 数学史には、logisticという単語がよくでてくるのですが、この場合は、計算法とか算術の意味を表します。一応、私は arithmetic(算術=古代の数論)と区別して、ロジスチックと訳しておりますが。 さて問題です。
MENDICANCY (a)bartering (b)the habit of begging (c)seif-improvement (d)repairing destruction
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「既に又た之が為に其の簡編(カンペン)を次(ジ)し、其の帰趣(キシュ)を発し、然して後に古者(イニシエ)の大学の人を教うるの法、聖経(セイケイ)・賢傳(ケンデン)の指(シ)、粲然(サンゼン)として復(マ)た世に明かなり。熹(キ)の不敏(フビン)を以てすと雖(イエドモ)も、亦た幸いに私淑(シシュク)して聞くこと有るに与(アズカ)る。」 二程子は、「礼記」の中の大学編の錯簡を正しテキストを整備し、その所説の要領を明白にし、古えの黄金時代における大学教育の方法、それを記述した「大学」の経、その経に対する曽子学派の学者たちの注釈が、燦然と再び輝きわたることになった。私(朱子)のようなふつつかものでも、二程子に傾倒し、二程子の学説を聞き得た一人となった。ということですね。 注目の漢字をいきましょう。 「簡編(カンペン)」「帰趣(キシュ)」「粲然(サンゼン)」「私淑(シシュク)」「与(アズカ)る」ぐらいですか。 それでは、今回も島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学章句序」からです。 「顧其為書。猶頗放失。是以忘其固陋。采而輯之。間亦竊附己意。補其闕略。以俟後之君子。」 (前回「表章」の読みが「ヒョウシン」になっていましたが、当然のことながら「ヒョショウ」です。お詫びして訂正します。)
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