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前回の問題できましたでしょうか。 「文書(文字)起源のについての説明が三つあります。どれが正しいと思いますか。」というのが問題です。 ここでは、単に文章が読めるだけが語学の学習ではないという重要なテーマが見えますね。文章を読んで、それが正しいかどうかを判断する。それも語学の学習になるということでしょうか。この『The New Cambridge English Course』のテキストからは、いろんなことが教えられます。私が結構お薦めする理由です。 さて、どれが正解かということですが、普通一般には、書かれた文書の起源は5000年前ぐらいにまでさかのぼると言われています。シュメール文明です。それは日干し煉瓦に書かれた神官達の絵文字でした。そう考えますと、答えは自ずから分かりますね。1番です。ただし、最近の考古学の成果はめざましいものがあります。いつ書き換えられるかわからないというのも事実です。
「此れ伏羲(フッキ)・神農(シンノウ)・黄帝(コウテイ)・堯(ギョウ)・舜(シュン)の天を継(ツ)ぎ極(キョク)を立てし所以(ユエン)にして、司徒(シト)の職、典学(テンガク)の官の、由(ヨ)りて設(モウ)けられし所なり。」 「三代の隆(サカン)なるや、其の法□(うかんむりに浸)(ヨウヤ)く備(ソナ)われり。然(シカ)して後(ノ)ち王宮国都(オウキュウコクト)より、以て閭巷(リョコウ)に及ぶまで、学あらざるは莫(ナ)し。」 今回は、我慢できるぐらいの長さでしょうか。注目の漢字は「伏羲(フッキ)」「神農(シンノウ)」「黄帝(コウテイ)」「堯(ギョウ)」「舜(シュン)」「閭巷(リョコウ)」ですね。人名は有名な人ばかりですので覚えてください。 それでは、今回も島田虔次著「大学・中庸」(朝日新聞社)の「大学章句序」からです。 「人生八歳。則自王公以下。至於庶人之子弟。皆入小学。而教之以灑掃応対進退之節。礼楽射御書数之文。」
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さて、今回はインドです。 以前にも書いたと思いますが、インドは、イスラムの侵入(7世紀)以前には、信憑性のある記録はありません。ヴェーダ文学や仏教の聖典、英雄叙事詩、その他の碑文があるだけです。 シュルヴァスートラ(Sulvasutra)の大まかな年代を、様々な学者の意見を参考にして探ってみますと、儀礼規則は紀元前5世紀頃になるということです。其の規則の中に、寺院の祭壇の長さの比率に間接的に言及していたり、ピタゴラスの数、xx + yy = zzの関係を満たす数に触れていたりするものがあります。しかし、ヒンディーの人々が、数学的証明という考えをほんの少しでも抱いていたという証拠は全くありません。 また、無理数の知識とグノモンの知っていた証拠もあります。シュルバスートラには、無理数の知識とグノモンの使用法を知っていた証拠もあります。また、一辺が1の正方形の対角線は、1 + 1/3*4 + 1/3*4*34、すなわち、1.4142156と述べていたりします。 シュルヴァスートラは、アパスタンバ(Apastamba)、バウダーヤナ(Baudhayana)、カーティヤーヤナ(Katyayana)のような注釈者によって、多かれ少なかれ書き換えられたと思われます。バウダーヤナ版は、次のようなスタイルで書かれています。
「正方形の対角線上に張られた綱は、その正方形の二倍の大きさの面積を生む。」 これらの中に、明確なものはありませんが、インドでは、数学は、交易に必要なためだけではなく、思想的なより高い生活と関連していたことを示すのには十分でしょう。
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