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さて、今回はアリストテレスについてです。
アリストテレスは、アテネでプラトンの下で学びました。ご存じのように、アレクサンドロス大王の家庭教師の一人となり、後にアテネに戻って、哲学の学派、ペリパトス(逍遙)学派を創設しました。 アリストテレスは、数学の性質について二つの著作を書いています。私たちは、彼がピタゴラス学派の人々の教義に反対して、算術と幾何学との分離を擁護したことを知っています。彼は、論理学を体系化するなかで、間接的にユークリッドの偉大な著作に貢献しています。また、アリストテレスは、学問の歴史的発展にも興味がありました。これは、数学の歴史の資料を集める上で、彼の弟子達に影響を及ぼしたように思えます。 数学に関心のあったアリストテレスの弟子として、プラトンの弟子でもあったテオフラストゥス(Theophrastus)、ロードス島のエウデモス、シチリア島のシラクサのちょうど北にある都市、メッシナのディカエアルコス(Dicaearchus)を挙げることができるでしょう。前の二人は著作の断片が残っていますが、ディカエアルコスは、イアンブリコスが数学の歴史に貢献したと引用しているだけで、著作は残っていません。
「木菟(ミミヅク)」「杣(ソマ)」「虎落笛(モガリブエ)」「鼬罠(イタチワナ)」 今回も、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』(三省堂)から「冬、一月」です。 「白朮詣―元日、京都祇園の八坂神社で祇園削掛の神事が行われる。白朮祭りともいい、そこへ大晦日の深夜から元旦にかけてお詣りすることをいうのである。神事は檜から鑽り出した火を社殿に立てた削掛に移し、薬草の白朮を加え、その火で新年の供物を調えるのである。参詣人はその火を吉兆縄に移し、消えないように家に持ち帰り、雑煮を炊く火種とする。参詣帰りの人々が火縄をぐるぐると回しながら行き交う中に京の町は新年を迎える。 白朮火の風にみだれし焔かな 田村ふみよ 」
「左義長や降りつづきたる雪の上 鞭石 」 から「白朮詣」「左義長」「悴む」「皹」を取り上げます。
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『 At the hotel Jules and I were lying by the swimming pool when there was a telephone call from London for "Mr Lewis". It turned out to be another Mr Lewis who was also lying by the pool, and he turned out to be an old schoolfriend of Jules whom he had not seen for 30 years. They started reminiscing about their schooldays, and I was introduced to the other Mr Lewis's wife, another "Jules" Lewis(Juliet), whom I knew immediately was going to be very important in my life.』 今回も、『The New Cambridge English Course 4』からです。
人生には、いろいろな出会いがあるとはいえ、なかなかこんな出会いはないかも知れませんね。単語をいきましょう。 訳しておきましょう。 「ホテルでジュールと私はプールのそばに横になっていた。その時、ロンドンから「ルイス様」への電話があった。それは、彼もまたプールのそばに横たわっていたもう一人のルイスであり、しかも、30年間会ったことのなかったジュールの昔の学校の同窓生であることがわかった。彼らは学校時代の思い出に耽り始め、私は別のルイスの妻、もう一人のジュール・ルイス(ジュリエット)を紹介された。私はその時すぐに、彼女は私の人生においてとても大切な人であることを知った。」
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