音楽史[ネーデルランド人の相互関係][技法の巧みさ] |
ネーデルランド人の相互関係 ネーデルランド人が同じテーマを扱って互いに競っていたことより、主に限られた地域で皆が働いていたネーデルランド人たちの緊密な接触関係を生き生きとした印象で与えるものはないだろう。「ロム・アルメ(L'homme arme)」は、孤立したケースなどでは決してない。例えば、「ただ死を(Fors seulement)」は、なめらかで折衷的なオブレヒト(1)と厳格で学識あるピエール・ド・ラリューのミサ両方の基盤となっている。また、ミサだけでなく、シャンソンもオケゲムの作品に基づいている。オブレヒト(オリジナルのスペリウスを2番目に高いパートに入れ、他の3つのパートはオリジナルを非常に模倣ししたテノールで)(2)やラリュー(上声部にオリジナルのスペリウス、5度でカノンにテノール、そして2つの自由なパートのあるすばらしい5声の曲に)(3)そして彼らすべての中で最も偉大な巨匠ジョスカン・デ・プレによるシャンソンも(4)。--これは別の資料では、ヨハネス・ギスラン(別名ヴェルボネ)のものとされているが--そして、また、ブルメル、アレクサンダー・アグリコラ、マッタエウス・ピペラーレ(Matthaeus Pipelare)、マルブリアーノ・デ・オルト、そして同じくギスラン/ヴェルボネ(両方の彼の名で異なる曲が)のようなそれほど知られていないマイナーな作曲家によって、他に様々な歌が同様の扱いを受けている。「ただ死を(Fors seulement)」ほど知られているものは1つもないのだが。「ロム・アルメ」は、ラリューとジョスカンだけを歌の作曲に駆り立てたようだ。
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技法的巧みさ 確かに2人とも「ロム・アルメ」のミサを作曲した。実は、ラリューの2つ目のミサが本物であるとすると、それぞれ2曲ずつ。ジョスカンのミサは、「Sexti toni」と「Super voces musicales」(5)と題されていて、後者の意味は「ヘクサコードの音」に基づくという意味である。これは本質的にはテノールミサであるが、テノールは、それぞれ続く楽曲で一音高く始まっている。キリエはCで、グロリアはDで、クレドはEで、サンクトゥスはFで、アニュスはGとAで -- 一方、それを包み込むテクスチャーは、常にDモードのままである。定量カノンのような多くの工夫がなされた。その中で最も素直なのは、1パートしか記譜されていないが、3つの異なる定量で読まなければならない2つ目のアニュスである。ラリューは、文字通り、彼が間違いなく作曲した「ロム・アルメ」(6)の1つから派生した4パートの最もよいものを、3つ目のアニュスに入れている。(ラリューは、完全な6パートのミサ、3パートでそれぞれ別にカノンが付いている「Ave sanctissima Maria」(7)を書くことができた。)これらの他に、この時代、私たちはオブレヒト(非常に重くビュスノワに寄りかかっている)、ブルメル、コンペール、ピペラーレ、デ・オルト、理論家のティンクトリス(Tinctoris(c.1436-1511)や彼のライバルガフリウス(Gafurius)、--そして完全な一覧を作成したいのなら、その他の人々によって作曲された「ロム・アルメ」ミサを持っている。 そうした巧みな工夫は、決して「ロム・アルメ」ミサに限られたものでも、ピエール・ド・ラリューやジョスカン・デ・プレの地位にある巨匠たちに限られたものでもなかった。これらの作曲家の中で最もクリアで最も複雑でないガスパール・ヴァン・ウェールベケ(Gaspar van Weerbeke)でさえ、彼のミサ「O Venus banth」(8)のテノールで定量の複雑さにふけっている。(ペトルッチがオデカトンでジョスカンのものとしているフランドルの歌に基づくミサ)しかし、この局面は、中世のスコラ煩瑣哲学の遺物と見なされるべきであろう。デュファイの最初の上声部の一連の二重唱はそうではない。それは生き残り、ラリューやジョスカンの中に新しい形式として現れた。実際、この時代のネーデルランド人の幾人かは、イタリアでかなりの間過ごした者たち--ジョスカン、ブルメル、ウェールベケ、ギスラン/ヴェルボネは、精神では、オケゲムよりデュファイにより近い--技法的にはそうではないのだが--ように思える。技法的には、その様式の多様さが、気質や環境によって何をもたらそうとも、すべてのネーデルランド人は、全般にシンメトリを避け、和声的カデンツァを旋律で隠し、それほど偶然にではなくより頻繁に模倣のエントリを導入すること(長く伸びたカノンとは別の)で、彼らの「師でありよき父(maistre et bon pere)」に従っている。このように、全面的な模倣のことを話すには、未熟だけれども、その方法はそれを十分準備しているものであった。 真のブルグンド(ブルゴーニュ)様式とより新しい技法との間の違いは、ロワゼ・コンペールのハイネ・ヴァン・ギゼゲム(Hayne van Ghizeghem)の非常に人気のある「Alles regrets」の編曲の初めとオリジナルとの比較をすると、視覚的に描くことができるだろう。彼は、ハイネのコントラ(テノール)を削除し、テノールの下にスペリウスを置き、カデンツァの上に橋渡す新たな模倣のエントリを入れている。 譜例 44 コンペールのミサ「Alles regrets」の4声のキリエの初めは、両方のヴァージョンの奇妙な融合である。(9)
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