惣田正明のホームページ

[あいさつ] [自己紹介]
(wav)

[目次] [English]

last updated 98/06/26
毎月25日頃更新の予定

目次


mailto:m-souda@ma3.justnet.ne.jp

初めての方に

惣田正明のホームページへようこそ


 これまでほんの少数の人に「落書き帖」なるものを送付してきたのですが、今回、ホームページを作って一般の人にも読んでもらおうと思いました。不特定多数の人に読んでもらうのには、若干の抵抗もあったのですが、中には興味を持っていただける人もいるのではないかと期待しています。私の関心の赴くままに書いていきますので、興味を持たれた方は、是非メールをください。
 ブラウザは、できれば『Netscape Navigator 3.01』をお使いください。アニメGIF版では、動きの速度が違います。MIDI版は『Netscape Navigator 2.02』以前の版、『Internet Explorer 3.01』以前(3.02はOK)では再生されませんので、MIDPLUGのような plug-in をインストールしてください。

目次へ


落書き帖

第85号

[初等数学史] [やさしくない英語] [難読漢字][その他]
[ホームページ]


初等数学史64

 ピタゴラスの生涯について分かっていることは限られています。ピタゴラスはターレスを見いだしその弟子になったように思えます。しかし、初期の著述家たちは、競って様々な作り話を作ったようにも思えます。紀元150年頃のローマの著述家アップレイウス(Appuleius)は、ピタゴラスはペルシア王カンビセスに捕らえられ Magi(ゾロアスターさえ)から学んだと主張しています。ピタゴラスから一世紀後の著述家イソクラテスと三世紀のアレクサンドリア図書館の司書、カッリマクス(Callim'achus)は、エジプトで数年過ごしたと主張しています。プリニウスは、プサムメティクス(Psammetichus)の時代エジプトにいたと言っています。ストラボンはバビロンで勉強したと述べています。他にもインドまで行ったというものもいます。しかし、そのどれも確かな証拠はありません。

 しかし彼の哲学からは東洋と接触のあったことが見てとれます。彼の数の神秘主義は、それ以前にバビロンで発見されたものとよく似ています。彼の哲学全体がギリシア文明のものというより、はるかにインド文明的なのです。有名な彼の幾何学の定理は、すでに述べたようにインド、中国、エジプト(?)ではすでに知られていました。彼のために主張しうるのは、その一般的証明を最初にしたということでしょう。

mailto:m-souda@ma3.justnet.ne.jp

[落書き帖] [目次へ]

やさしくない英語80

『 Yar is a small agricultural village on the edge of the jungle, about twenty miles from a market town. The village is very poor, no one can read or write. You are a tribal people, with a chief for the village.』

 今回も『The New Cambridge English Course 4』からです。
 単語いきましょう。agricultural=農業の、tribal=部族の、それぐらいですか。訳をつけましょう。

「 Yarはシャングルのはずれにある小さな農耕生活を行っている村です。市の立つ場所からおよそ20マイル離れています。村はとても貧しく、読み書きのできる者は一人もいません。あなた方はある部族民でその村の村長もいます。」

 これは、この Yarという村に二年間のプロジェクトのため、各年1500crowns(crownというのは現地通貨)の予算がおりました。その一年目に実行するプロジェクトを後の九つのプロジェクトの中から選んで計画を作成しなさいというものです。次回からは、どんな計画案があるのか見てみましょう。

mailto:m-souda@ma3.justnet.ne.jp

[落書き帖] [目次へ]

難読漢字83

 前回の解答からです。「直さ(タダシサ)」「奢侈(シャタ)」「元和偃武(ゲンナエンブ)」です。

 今回も今井淳・小澤富夫編『日本思想論争史』(ぺりかん社)からです。

「されば士の本意にかなはんとならば、常に学に志して古今の義を博覧細評し、其の聖人の道を規矩準縄として、心にはづる処なきを以てせば、千載に其の行跡をのこして人の口にのるべからず。」
「旧いタイプの武士においては、武士はあくまでも戦闘能力を保持すべき存在として捉えられており、その背後には、泰平の世にあってもつねに死の覚悟がひかえていた。このような武士道に生きる武士にとって、「士道」の担い手である新しいタイプの武士が唾棄すべき存在に見えたのも当然のことであろう。」
「譜代の衆である忠教が「他国衆」とか「上方衆」とよぶこのようなタイプの武士は、彼にとっては、「他国の衆は、公儀はよし、口は上手なり。」というように、座敷の上での礼儀作法ばかりの得意な「武辺もなき者」であり、口舌の徒であるとして否定される存在であった。」

から「規矩準縄」「唾棄」「口舌の徒」を取り上げます。

mailto:m-souda@ma3.justnet.ne.jp

[落書き帖] [目次へ]

その他

「落書き帖」バックナンバー

[第62号] [第63号] [第64号] [第65号] [第66号] [第67号] [第68号] [第69号] [第70号] [第71号] [第72号] [第73号] [第74号] [第75号] [第76号] [第77号] [第78号] [第79号] [第80号] [第81号] [第82号] [第83号] [第84号]

mailto:m-souda@ma3.justnet.ne.jp

[落書き帖] [目次へ]

ご意見・ご感想をお寄せください。


(Netscape Navigator2.0以降をお使いの方。JustView, Internet Explorerをお使いの方はメールを使ってください。)

お名前:
メールアドレス:

ご意見・ご感想:

 フォーム内容をクリアーするとき押してください。


[落書き帖] [目次へ] [ホームページ]