Charles Mingus(b,p,comp,ldr)

1922/4/22アリゾナ州ノガルスの生まれ。子供時代をロスアンゼルスのゲットー、ワッツで育ち、チェロに熱中する。後にジャズ・ベース、クラッシク・ベースを共に学び、ハイ・スクール時代音楽活動に入る。40年代をルイ・アームストロング、ライオネル・ハンプトン楽団で過ごし、50年代バイブのレッド・ノーボのトリオに参加、ベース・ワークが注目される。52年、マックス・ローチと共にデビュー、自己のレーベル「デビュー」を設立、数々の貴重なアルバムを発表。その後解散。一方、映画出演、ジャズ・ワークショップを設立。自己のコンボから若手育成に力を注ぎ世に送り出すなど多方面で活躍。アトランティク、CBS等で話題作を発表、その多くは主張の強いまたはユーモア、人生の悲哀についての作品である。60年代に一時活動を中断。70年代に入り活動を再開、コンボ、オーケストラを手がける。晩年は病を押してスタジオ入りするなど、音楽に自己の全てを賭けたジャズメンである。1979/1/5メ キシコ・シティーで死去。死因はハーゲーリック病、56歳の生涯だった。

これほど音楽に対して熱中し、また妥協を許さなかった人もいないのではないかと思えるほど、ミンガスの生涯は音楽への闘いでもあった。その病的なまでの怒りや暴力は一重に音楽に傾ける情熱に他ならなかったとも言える。彼の組織したジャズ・ワークショップはそうしたオリジナル・コンポジションを演奏する場であり、若手達へのJazz修練の場でもあった。また、当時非差別運動が盛んな時期でミンガスは政治的な発言も活発に行っている。実際、それら人間の本質としての真の自由を音楽を通して表現し、更にミンガスの怒りはイデオロギーを超えて彼自身の表現として貫かれて行った。

幼い頃からクラシックが好きだったミンガスは生涯オーケストラへの関心を失わなかったと言われている。実験的なバンドには現代音楽を用い、小編成のバンドではオーケストラに匹敵するダイナミズムを生み出している。尤も、クラシックのオーケストラそのものに関心があった訳ではなく、あくまでも彼の最大のアイドルはデューク・エリントンであった。そんな彼ではあったが結果的に多くのミュージシャンに愛された。実際、ミンガスほど包容力のある心優しい正義感はいなかったし、面倒みの良い側面も持っていたからである。単に正統派のベーシストというだけでなく、バンド・リーダーとして、また作曲家、ピアニストとして活躍したミンガスをトータルで理解してこそ彼の桁はずれのスケールや、偉大さが浮かび上がって来るのかも知れない。

参考アルバム

Haitian Fight Song」「Pithecanthropus Electus」「Fables of Faubus

その他の参考アルバム

Mingus Plays Piano」「Money Jungle」「The Black Saint And The Sinner Lady」「Blues and Roots」「Tujuana Moods」「Charles Mingus and Friends in Concert」「Town Hall Concert」「Mingus At Carnegie」「Mingus at Monterey


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