技術士試験奮闘記

受験の動機

去年のちょうど今頃、学生時代の同期生の集まりがあり、そこで某コンサルに勤めるKと話していたとき、技術士の話がでた。彼は先日、技術士の筆記試験を受験して来たのだが、実務に追われ勉強する時間がなかったので全問に解答が書けなかったとのことだった。

「技術士とりたいけど、経験論文のテーマがないからナア」との私の呟きに

「でも、君たちには 勉強する時間が十分あるじゃないか」という返答が帰ってきた

去年は6月頃から仕事が切れてしまい、その後の受注の見込みもなかったため、今まで取引のなかった彼の会社にも繋がりを持とうと彼に仕事を出してくれるようお願いしてあった。コンサル業界も最近は業務量が減り、売り上げも減少している状況で、経営者側からは外注を減らし極力内部で処理するよう言われているとのことだったが、大手コンサルなので少しぐらいは何とかなるだろうと期待をしていた。しかし、この一言で今後の十分な自由時間が保証されてしまった。

この時まで、有り余る自由時間はネットサーフで費やしてきたが、こんな事ばかり続けていられる訳がない。といって、仕事の当てはない。どうせ遊んでしまうのなら、技術士試験にでも挑戦してみようか。彼も「これからは、外注業務は少なくなるけど登録されている協力業者は沢山ある。この中から外注先を選ぶとなると、会社側への説明上、技術士であるとか何かの特徴が必要になってくる」と言っていたことも思い出して、早速、本屋に出かけた。

私がコンサルマンだった頃、私のいた会社に技術士は何人もいたが、殆ど営業をやっていた。少なくとも私のいた本社技術部に技術士はいなかったと思う。もっとも、これは技術士を持っていたのが役人時代に技術士を取った○○省のOBさまで、このOBさまの仕事が会社にとって最も重要な営業であったからであろうが、技術士の価値がそれほど重視されていなかったのも事実だった思う。しかし、最近では、技術力を重視する風潮から会社も社員に対して技術士取得を奨励しており、当時の上司や同僚、そして、あの人が?と思う人まで技術士になっている。技術士なると資格手当もかなり付くらしい。このような傾向は何処のコンサルも同じらしく、本屋にはこんな傾向を反映してか技術士の受験対策本がたくさんあった。しかし、建設と水道が殆どで、私が受験しようとした農業土木(農学)に関するものは見あたらず、半分諦めかけていたとき目に入ったのが

  「技術者の生き残りは、技術士資格しかない!!」

と表紙に書かれた受験対策本だった。この表紙に「刺激」され中を開いてみると、農業土木の過去の問題と経験論文の模範文例が載っていた。この経験論文を走り読みしてみると通常の業務を設計報告書のような感じでまとめたもので、別段、特別な業務実績を取り扱ったものではなかった。これなら、自分も何とかなるかも知れない、かすかな「可能性」を感じた。そして、さらにページをめくって行くと、技術士事務所(機械関係)として独立した人の体験談が書かれていた。その文章からは、技術士となっても経済的な安定が保証されない旨が感じられた。この受験対策本に、このような文章を載せることに疑問を感じたが、よく考えると、このことは逆に技術士の本来的な意味を説明しているのではないかと思われた。「「人様の役に立つ」だけをただひたすら思ってコンサルタント業に専念したいと考えている」こう結んだ筆者の、技術者としてのプライドに「感動」を覚えた。

この「刺激」と「可能性」そして「感動」を与えてくれた受験対策本を携えて、私は技術士試験に向かって第一歩を踏みだすことになった。

 

受験対策

本屋で感じた「可能性」は、やくざ映画を見た直後の観客の心情に近いものがあり、いざ、実際に受験対策を始めようとしたとき、忘れていた大事な問題の存在に気が付いた。

経験論文のテーマが無い!!

確かに、本に載っている経験論文の業務内容は、それほど特殊なものでは無かったが、「技術士としての専門知識および応用能力」を示すのに、それなりの意義のある内容だった。受験対策本によると、経験論文の内容は出来るだけ最新のもについて書くのが良いとされていたので、過去10年間の業務実績を振り返って見たところ、「仕事師として効率的に業務を処理する能力」について論ずるための実例や、「採算を考慮せず、技術営業として対処したが、その効果はなかった」とのテーマを掲げるのに好適な業務なら幾つもあったが、「技術士として…」となると皆無であった。

技術士になる希望が、一時の夢となって消えようとしていたその時、進行中の仕事の資料を整理しているボックスの下の方に、昨年からやっていて、なかなか進まない小規模なファームポンドの実施設計業務の資料が目に付いた。この業務、当初から集落排水の処理水をファームポンドに取り入れる計画は聞いていたが、単にファームポンドの流入口にパイプでも取り付けるのだろう位に考えていた。ところが、仕事を始めて見ると、処理場放流水の水質の問題とその処理の仕方、それに絡む施設の構造等、本来、私の担当ではない範囲まで種々の検討書を作る必要が生じた。幸か不幸か、当時他にたいした仕事もなかったので、サービス業務として対処したが、技術的な問題以外にも種々の問題があり、作業はストップしたまま、半分忘れ去られていたものだった。結果的に役に立たなかったものも含め、種々の検討書を眺めていたら、

これだけの検討書が作れるのだから、自分は技術士としてふさわしい能力を持っているのではないか?

と、長い一匹狼生活で培われた、「思いこみと」と「自己満足」の能力が再び希望を与えてくれた。そこで、この煩わしくて金にならない最悪の業務に「下水処理水を取り込むファームポンドの設計について」とのタイトルを付け、経験論文として組み立てる構成を考えてみた。

まず、「まえがき」に最近の水不足の問題とそれに対する水資源開発の限界、水資源の有効かつ効率的な利用に対する現行の方策、循環型社会への取組の現状等を述べ、この業務が対象とする事業内容を単なる田舎の水合戦から、国民社会的に意義のある水問題への取組の一例として紹介する方向に持っていくこととした。そして「設計上の問題点とその解決策」としては、処理水の全窒素濃度(TN値)に対する明確な根拠のない不安から、本来的目的が薄れていく希釈工法の検討を行ったり、気休め的な効果しかないと思われた植物による浄化作用の利用についての提案を採用した経験を、誰も振り向かないような陰気な女性に一流女優のような華やかさを与えるカリスマ美容師のごとく、これまで実務を通して磨き上げてきた「技」を駆使して、立派な経験論文に仕上げていこうと考えた。試験問題として経験論文を書かせる趣旨は、専門分野についての知識の深さと総合力、応用力を問うものであり、実務経験そのものの優劣を評価するものでは無い、よって、多少のフィクションは技術力に包含される。そう自分勝手な定義を行うことで、経験論文についての対策は、ほぼ80%完了した。

経験論文にめどが立つと、技術士試験が現実的な存在として現れてきた。今まで、経験論文の陰に隠れて見えていなかったが、他に、専門の選択問題と農業一般の必須問題があった、受験対策本に載っていた過去の問題を見ると、業界の最末端で毎日コツコツとキーボードを叩いている技術屋には、別世界の内容とも思える問題だった。しかし、試験は来年だ、今から資料を準備していけば何とかなるだろう。今後の仕事量の減少に対する予感が、試験対策に費やす十分な時間の保証となって励ましてくれた。

専門選択問題と農業一般の問題に対する対策として、まず農林水産省のホームページを見てみた。ここにはその年制定された「食料農業・農村基本」が掲げられており、それに基づく政策方針もあった。農業一般の問題については的が絞りやすいかも知れない、ホームページの内容をハードディスクに取り込んだだけでこの問題の解答は出来上がったような気分になっていた。専門の選択問題のうち2問目は設計基準等を見れば対処できると思われたが、1問目については農業土木技術を上空から眺めるような視点に立たないと解答できないと思われたので、農業土木学会に入会して学会誌を読んでいくことにした。かくして受験体制が整った私は、一年後の技術士試験合格に向けて本格的な歩みを始めた。

 

願書提出

コンピューターの200年問題が緊迫してきた頃から次第に仕事が入り始め、ミレニアムの新語とともに年度末業務がどっと押し寄せた。去年のあまりにも長かった自由時間が仕事の断り方を忘れさせていたため、一時は4社8件の仕事を同時進行する羽目となり、催促の電話に現在奮闘中と答えておいたコンサルさんへ、他に催促されていたコンサルさんへ送るはずのFAXを送ってしまい、ご丁寧な電話連絡を頂くなどの失敗もしながら、腰の痛みをこらえてPCに向かい、頻繁に目薬を差しながらディスプレイを睨み付けて作業をこなしているうちに3月になってしまった。

この頃、いっしょに受験を約束していたY氏(一お連会員)から電話があり、既に願書の配布が始まっていることを知った、彼は既に配布先に出向いて入手してきたとのことだったので、私も、願書を取りに名古屋に出かけて、そのまま夜の街へ・・と考えたが、とてもそんな余裕はなかった。郵送でも取り寄せられるとの彼からのありがたい情報により、艶やかなネオンの下での☆や◇は我慢せざるを得なかった。

郵送により願書を取り寄せたものの、実務に追われそれを書く余裕もなく、提出期限が4月7日であることもあり、ほったらかしにしたまま年度末業務の仮納品成果の作成に追われたが、気が付いたときには、既に3月が終わろうとしていた。仮納品対策はまだ1本残っていたが、願書を出さないことには受験も出来ないため、仕事をおいてでも願書を書こうと、取り寄せてあった「受験の手引」をみると、個人業の場合、業務経歴証明書に官公庁もしくは取引先の証明が必要であった。業務経歴については昨年の暇な時期に拾い出しがしてあり、これを書き写すだけで良かったが、そのうちの殆どが某コンサルさんの仕事であったため、そのコンサルさんから証明を貰っておく必要があった。が、残っている1本の仕事は、このコンサルさんの仕事だった。この仕事を残したまま、証明書の印鑑を貰いに行けるほど強い心臓を持ち合わせていない私は、先に仕事を終わらせることにした。結局、この証明をもらえたのが締切の4日前、その後、写真を撮り、受験手数料を振り込み、年度始めのため地区活動の雑用で時間がとられる中、同じ事を何度も書かなくてはいけない面倒な受験申込書を書き上げて、やっと送ることの出来た簡易書留郵便の消印は、締切期限1日前の4月6日であった。

 

準備開始

仮納品を全て終えた後、本成果作成の作業が始まったが、6月末日までには全て完了する事が予想されたため、7月と8月は試験対策に当てる予定でいた。ところが、6月の終わり頃、まだ11年度業務をやっている最中、業務依頼の電話があり、新規の12年度業務を期待して打ち合わせに行ってみると、工期の終わってしまっている11年度業務だった。一匹狼の長い経験から、この仕事、期限も予算も残り少ないものと直感したが、何故か、予算の方は予想外にあった。金に目が眩み、受けてしまった業務は2本あり、最終期限は8月の第一週。予想どおり厳しい日程だった。手持ちの業務のうち1本を、仕事を整理しているボックスの奥にしまい込んでその存在を忘れ、他のものについては何とか片づけてこの仕事に着手したのが7月の初めの週、僅か1ヶ月で2ヶ月分の仕事をするのは、流石に楽ではなかった。肩凝り腰痛はマサージで癒すことが出来たが、連日連夜、休むことの出来ない目の疲れは、2,3時間おきに注し続けている目薬の効力も及ばず、酷い眼精疲労に悩まされ、立ち眩みさえ起こすこともあった。ともあれ、何とかこの仕事を完了し、一息つきながらカレンダーを見ると、試験まであと3週間を切っていた。

試験準備は去年の7月から始めていたが、所詮1年先のこと、そんなに力を入れていたわけではない。試験前の2ヶ月ぐらいはどうせ暇だろうからと高を括っていたのだが、幸か不幸か予想は裏切られ、試験日は目前に迫っていた。試験までに残された時間は全て試験準備に当てようと、試験に関する資料を納めたホルダーをクリックして昨年から準備してきた資料のファイル名を眺め、少しばかりの安心感を感じたとき、電話が鳴った。

「○○の件ですけど、そろそろ欲しいんですけど」

「はい、今やってます、今月中には何とかします」

ボックスの奥にしまい込んでいた仕事の催促だった。私はその仕事の資料をボックスの奥から取り出すことはせず、経験論文の作成に取り組んだ。

経験論文について大筋は出来ていたが、最終的な文章としては仕上げてなかった。実際に試験用の論文として仕上げようとすると、その題材のインパクトの弱が改めて感じられた。しかし、他に題材になるものはない。インターネットで調べた水処理関係の資料で随分な厚化粧をしながら800字×5枚分の経験論文を作り上げるのに5日ほどかかったが、仕上がったものを読み返すと、合格への期待が胸を躍らせた。若かりし頃、思いを寄せていた夜の蝶に太陽の光の下で会ったとき、低い照度と厚い化粧で客に満足した時間が与えられるなら、それはそれでいいのではないか。そう自分にいい聞かせた経験が、いま役に立ったように思われた。

必須科目の農業一般については、「我が国の食料・農業・農村のあるべき姿」について論じる設問が続いているようなので、去年の暇な時期に、新農基法の「食料の安定供給の確保」、「農業・農村の多面的機能の発揮」、「農業の持続的な発展」、「農村の振興」の 4つの基本理念のそれぞれについての意見をまとめた800字×4枚分の原稿が出来ていた。これを読み返す事により、必須科目クリヤーの自信を持った。

選択問題の1問目、この設問は、農業土木技術の役割について、その年の社会情勢を踏まえた3問程度の設問から1問を選んで解答するものらしい。今年の話題といえば、なんと言ってもWTOでも盛んに叫ばれた「農業の多面的機能」である。これについてまとめておけば絶対に間違いは無い。と、設問に対する確信の割には、800字×2枚の字数がなかなか埋められなかったが、学会誌の新年号の特集文や農水省のホームページから拾い集めたフレーズを寄せ集めて、それなりに通用しそうな解答原稿を作ることが出来た。

選択問題の2問目は、受験申込書に記入した「専門とする事項」以外の分野について、技術上の留意点を述べる問題である。これは毎年同じらしい。「専門とする事項」は経験論文をファームポンドに関するものとしたため、「かんがい排水」としたが、実務的には「ため池」が多かったので、農地防災の内のため池について書くことにした。これについては日頃、係わっている事なので800字×3枚は容易に埋めることが出来た。

解答の原稿を仕上げると次第に合格への自身がわいてきたが、受験対策本の記述や過去の受験者の体験談から、試験会場で制限時間内に答案を書き上げることの難しさを知らされていたので、受験対策本に付いていた練習用の答案用紙を使って実際に書く練習を始めた。そこで、大きな障害があることに気が付いた。

漢字が書けない!

思い起こせば、随分前から手書きで文字を書くことが無くなっている。設計報告書はもちろん、業務内容の問い合わせのFAXや、ちょっとした覚え書きまでもキーボードを叩いていた。当然、解答原稿はワープロソフトで作っていたので、漢字について何の躊躇いも無かったのだが、鉛筆を持って実際に書いてみると、漢字は難しかった。知っていたつもりの漢字が書けない。書けたとしても、書くのが煩わしい。「NOUGYOU」とキーボードを7回押せば表示される「農業」という漢字を書くために28本もの線を引かなければならないのであ。ラスターな漢字をベクター変換するには訓練しかなかったが、なんせ時間がない。書けない漢字はひらがなかカタカナでいこう、文系の論文ではないから、それほどの減点にはならないだろう。そう、思い込むしかなかった。

そして、さらに筆記速度についても聞きしにまさる困難さを思い知らされた。受験対策本に「2秒/字」の速度が要求されていたが、CAD用のプロッターのように筆記速度の設定が出来るはずもなく、実際、「農業」という28本の線を2文字分の4秒で書くには,まともな字を書いていたのではとても無理だった。しかしながら、本には続け字、略字を使用しないで、楷書できれいな文字をかけ、と書いてある。元々、人の言うことを聞かない偏屈な性格のため、試験官が何とか読める程度の字であれば大丈夫だと、勝手な判断をして自分を勇気付けた。

とにかく書かなければ!

試験5日まえから高性能人間プロッターになるべく特訓が始まった。解答の原稿は全て頭に入っていたわけではないので原稿を見ながらも「書く」ことに徹した。手で文字を書くことがあらためて面倒に思えた。コピー、貼り付けが出来ないから、同じ文字を何度も書かなければならない。答案用紙の全てに受験番号、問題番号、技術部門、選択科目、専門とする事項を記入するのも苦痛だった。経験論文を書き始めるのにも、この5項目を5回も書かないと始まらないのである。これに要する時間も試験時間に含まれるのだから、なおさら煩わしい。しかし

この右手で書くしかない!

と思いつつ、ひたすら書く訓練を続けると、漢字も殆ど書けるようになったし書くスピードもかなり上がってきた。しかし、肉体的障害が生じ始めた。肩こりから始まり、右腕の筋肉痛が激化してきた。しかし、休むわけには行かない、もう時間が無い!。経皮鎮痛消炎剤(サ○ン○ス)を右肩右腕に貼り付けて、痛みをこらえながら特訓に挑む姿は、昔の根性モノにでも出てきそうなスポーツ選手のようであった。

予行練習

試験の2日前、予行練習を行った。本番と同じ午前9時から始め、昼1時間の休憩を取り、午後5時まで、練習用の答案用紙を使って書いてみることにした。この間、事務所の只一人の従業員である妻にも事務所内の入室を禁止し、毎日とっている10時と3時のティータイムも無しにした。

午前の部の経験論文、内容はほぼ頭に入っていたので書くことに徹して書き進んだ。3枚ほど書くと右肩に痛みを感じるようになったが手を大きく回して痛みを和らげた。本番ではこんなこと出来ないだろう、何とかしなければ。そう思いつつ書き進んでいくと制限時間の30分前、11時30分には書き上げることが出来た。よし、いける! 自信が湧いてきた。

午後の部は1時に開始。午後4時間の時間配分は解答用紙枚数の比率で、農業一般に100分、選択1に60分、選択2に80分とした。まず、農業一般から書き始めたが、記憶が十分でなかった所もあり予定時間内に書けなかった。オーバーした時間は15分ほどだったので、選択1で遅れを取り戻そうと、腕の先まで及んできた痛みをこらえて筆記速度を上げて書き出したとき、電話が鳴った。

条件反射的に受話器を取ってしまたら、電話の相手は一緒に受験をする事になっているY氏であった。「どうだ?調子は」の問いかけに「今、予行練習やってるんだ」と答えたのに、昨日、建設で受験した友人のことや、試験会場のこと、弁当のことなど長電話を続けてしまた。電話を終えたあと、時計を見ると30分ほど経過していた。終了時間を30分延長する事にし、再び書き始めると喉が乾いてきた。本番では出来ないであろうと思いつつ、冷蔵庫にあったペットボトルのお茶を飲んでしまったが、午後の4時間の間、水分補給の出来ないのも辛いであろうと想像していた。

後半、かなり字は乱れたが、何とか時間内に書き上げることは出来た。右腕の筋肉疲労に耐えられれば、いける!。予行練習は自信を与えてくれた。

 

試験前日

 試験会場の集合時間は8時40分、朝の弱い私は最良の体調で試験に臨むため前日から名古屋に出かけ、名古屋に泊まる事にした。出かける前、普段なら妻の用意したバックをそのまま持ってでる私だが、今回は中身を一つ一つ点検した。その姿は遠足のオヤツを点検する子供の様であったが、その中身は頭痛薬、胃薬、サ○ン○ス、ピッ○エレ○バン、等々、オヤツでなくオヤジの必需品であった。

名古屋には4時頃着いて、呑み会のあったときよく泊まるカプセルサウナにチェックインした。辺りはまだ明るく(ネオンがまだ点いて無く)夕食にはまだ早かったため、付近を散歩(○○店の下見)していたら、名古屋に来たとき時々利用しているクイックマサージのあるビルが見えたので、ここでマッサージ(本当の)を受ける事にした。ビルに入り、他に誰も載っていないエレベーターの扉を閉めようとしたら、どこからか白衣をきた女性が飛び込んできた。階数ボタンを押そうとした彼女は自分の押そうとした3階がすでに押されているのを見て私を思いだしたらしく、「ああ、こんにちは 今日は何分にします?」と、突然の彼女の質問に「はあ、じゃあ30分でお願いします」と答え、次の会話を交わす間もなく、エレベーターのドアがあいて、受付のおねえちゃんの「いらっしゃいませ」が聞こえてきた(各階1フロアーの小さなビルであった)。受付のおねえちゃんに「受付は済ませてきました」というと、キョトンとしていたが、先ほどのおねえさんが私の背後から「30分です」と伝え、マッサージルームへはいった。

「今日は、どこが悪いですか?」

「右の腕と肩をお願いします」

「手の疲れるようなことされたのですか?」

「ええ、鉛筆で字を書いたモノですから」

「ああ そうですか」

彼女がどう理解したのか解らなかったが、会話の好きでない私は、その後黙ってマッサージを受けた。ここはアロマティラフィーを併用したマッサージで心身共にリラックスできるのだが、特にこのおねえさんのマッサージは上手で、人間プロター目指した特訓で疲れ切った右腕がとても楽になった。

翌日の最大の武器である右腕に力がよみがえってきたきた私は…☆△◇/(^_^)□・(~o~)〈▽●(*_*)()? (電波障害のため一部省略)カプセルサウナに帰り、サウナで体の疲れを絞り出し、薬草風呂に入って明日への鋭気を体に吸収した。風呂上がりにビールを飲んでレストルームでテレビを眺めていたとき、ドラマのなかで菅野美穂がぎこちなく歌っていた歌が何故か耳に残ったが、これがその後ヒットチャートを飾る「愛をください」であり。思い出の曲になるとは、思いも寄らなかった。

レストルームにいたら眠くなったので、カプセルに入って寝ることにした。いつもならカプセル内のテレビで特別チャンネルを見るのだが、その日は、早く寝ることにした。大きな勘違いに気づく明日のために…・。  

 

当日の朝

6時30分、携帯にセットした目覚ましに起こされて、3分後にセットしてあったカプセル備え付けの目覚ましを解除した。寝ぼけ眼のまま浴室へ行って軽くサウナに入り、水風呂で体に朝を告げ、薬草風呂で今日一日発揮すべきパワーを蓄積した。風呂上がり、右腕右肩にサ○ン○スとピッ○エレ○バンを貼れるだけ貼り付けて一日の過激な作業への準備をし、朝食を済ませてから暫く休んで7時30分ごろチェックアウトした。外の出ると既に夏の一日が始まっていた。

地下鉄の駅に向かう途中、弁当を買うためにコンビニに立ち寄った。弁当コーナーでおにぎりを探したら、その種類の多さと珍しさに驚かされ、その中から、明太子、鮭、カレーの3個のおにぎりを選ぶとき、私の心は子供に戻っていた。ペットボトルの「生茶」(商品名)と、おにぎりを袋に入れてもらい、店を出る私は、これからピクニックにでも行くかのようにウキウキしていた。

試験会場は名城大学天白キャンパスで、私の乗った伏見駅からは15分ほどで行けるため時間は十分余裕があった。だだ、若い頃名古屋に住んでいたものの、こちら方面には来たことがなかったので、駅名のアナウンスに注意深く耳を傾けていた。夏休み中のせいか、時間帯のせいか、車内は比較的すいていて立っている人は少なかったが、目的の塩釜駅に着くと、周りの親爺達が次々と立ち上がった。改札を出て出口に向かうと出口の階段は親爺達で埋め尽くされていた。普段なら、ここには女子大生やOLやミニスカ&ルーズソックスの女子高生がいるのかと思うと、親爺達のくたびれた足取りが腹立たしく思えた。その時

おはようございま〜す おはようございま〜す

と、階段の上の方から若いおねえちゃんの声が聞こえてきた。ミニスカートの可愛い女の子が笑顔でティシュを配っている!。と、何の根拠も無く勝手に決めつけた私は、期待に胸膨らませて階段を上って行ったが、そこにいたのはジーパンを履いた普通のおねえちゃんが、封筒の様なモノを配っていた。手渡された封筒をみると「技術士試験……」と書いてあり受験対策講座のパンフレットであることが解ったが、この封筒は、階段を上がってきた親爺達の殆どがそれを受け取り、皆同じ方向にあるいていくので、試験場への案内係として役立った。

暫く歩いて行くと、今度はオバチャンがまた封筒を配っていた。年期の入った営業用の笑顔に目を合わすと何かを押しつけられそうな気がして、歩道の反対側に進路を変えが、通行の妨害を気にしないオバチャンのたくましさで、封筒を渡されてしまった。この封筒、さっきとは別の講座のものだったが、以前自宅に送られてきていたものと同じであったので、捨てようと思ったが、捨てるところも無かったので、カバンの中に入れておいた。

校門を入り、キャンパス内の道を進んでいくと、こんどは、女子大生のアルバイトと思われるおねえちゃん二人が、また同じような封筒を配っていた。が、今度はセリフが異なっていた。

試験がんばってくださ〜い

私は、この言葉を自分に言って欲しくて、好みのタイプのおねえちゃんの方に近づいて行って、封筒を受け取った。

「試験がんばってください」(ニコニコ)

「ありがとう」(ニタニタ)

家を出るときに聞いた、妻の「試験、頑張ってきてね」は、ごみ箱に捨てられていた。

 

午前の部

試験会場に入り、自分の受験番号の書かれた席を探したら、中央部の最後列から2番目で連続した机に一つおきに配置された最も通路よりの席だった。席は後方に行くほど高くなっていて、眺めの良い位置にあった。まだ半分くらいしか埋められていない受験者の席を眺めながら、昔、こんな教室で講義を聴いていた学生時代を懐かしく思い出していると

「オーイ コクさ〜ん」

と大きな声で叫ぶ声が聞こえた。コンサル時代、私は「コクさん」と呼ばれていた。その声の主はコンサル時代の後輩で大学の後輩でもあるSであることはすぐに解ったが、こんな所で大声を出すヤツと仲間だと思われると技術士としての資質が問われ、面接試験で落とされるのでは無いかと思い、聞こえぬふりをして無視していいると

「コクさ〜〜ん」

再び大声を張り上げた、このまにしておくと余計に目立ってしまうと思い、仕方なく彼の方を見て手を挙げてやると、嬉しそうに手を振っていた。彼はこの試験については大先輩で、今回初めての受験の私は彼に色々とアドバイスを受けていた。試験開始まで、まだ時間があったので彼の所へ言って今年の試験への意気込みを聞くと

「今年も、問題見に来たダケですよ」

と言っていた。私は彼が羨ましかった。私はこれから計7時間、時間と戦いながら書き続け書ければいけないのに、彼は座っているだけでよいのだ。こんなヤツには係わっていられない。私は経験問題の原稿にもう一度目を通しておこうと自分の席に戻ってみると、私の隣りの席(通路に対して奥側)に口髭を生やした30代前半と思われる男が座っていた。こんな顔、何処かで見たことがある、そう言えばあのHPのあそこで見たような…・、仮に彼を K@? としておこう。

試験開始15分位前から係員の試験に関する注意事項の説明が始まった。狭い机なのに左上に回答用紙を入れる封筒と受験票を置けとか、鞄を机の上におくなとか、勝手な注文を淡々と朗読するように喋っていたが、机の上に置いては行けないものの中で、ペットボトルが免除されていたのは以外だった。朝コンビニで買ってきたお茶のボトルを嬉しげに机に於いて当たりを見渡すと、かなりの人がペットボトルをおいていた。このことを事前に知っていた受験者は多かったようだ。私は始めての経験なので、日頃の性格を改めて謙虚な気持ちで係員の注意事項を聞いていたのだが、隣のK@? は普段の私と同様、人の言うことを聞かない性格なのかショルダー式のバックを私と彼の間の机の上に置いたままにしておき、係員に注意を受けていた。

注意事項の説明が終わり、時刻の確認のあと、係員のカウントダウンを合図に、一斉に人間プロッターが始動した。会場内にはカチカチと鉛筆の音がこだましていた。解答用紙は鉛筆の乗りがよく書きやすい紙質で快調に書き進むことが出来た。2枚目を書き終え、ペットボトルのお茶を飲みながら辺りを見回すと、みんな必死の様相でカチカチとやっている。そんな光景を見ていて、ふと、さっきから気になっていた事が思い浮かんだ。ここまで書いて、まだ2枚目?。

「まえがき」の後に書くはずだった「業務の概要」を丸ごと飛ばしていた

あせった!このまま書き進んだのでは最後の紙面を残してしまう。受験対策本には最後の用紙の裏半分以上書くのが良いと書いてあった。この経験論文でしくじったら午後の部が無意味になってしまう。今日までの辛い訓練はもう繰り返したくない。日頃の業務で提出直前の手直にはなれている、しかし今は時間が無い。いや、そういえば予行練習のとき30分ほど時間が余っていた。ぎりぎりまでやれば大丈夫だ!。「あせるな! 用紙を破いたらおしまいだ!」そう言い聞かせながら順調に書き進んできた1枚半にわたる文字に消しゴムを擦らせた。「まえがき」を残して全てを消し終え、さあ、これからというとき、

隣の K@? が手を挙げた

トイレらしい。係員がやってきてトイレを許可したが、彼がトイレに行くためには、私が席を立って彼を通してやらなければならない。苛立つ気持ちを抑えて席を立ってやり、すぐに座って先ほど飛ばしてしまった所をあせる気持ちを抑えながら書き進んでいくと

K@? が帰ってきた。

仕方がないので、また席を立って彼を入れてやり、苛立つ気持ちを抑えるため、ペットボトルのお茶を一口飲んだ後、プロッター作業を再開した。昨日のマッサージが聞いたのか、今朝貼ったサ○ン○スとピッ○エレ○バンが効いたのか、右腕右肩の痛みは感じられなかった、いや、感じる余裕もなかった。答案用紙に書き込む内容については右手のメモリーに送られているため、本体CPUは筆記速度の管理だけで良かったのだが、突然”エラー”が帰ってきた。

シケン?

解答文中「水質試験」のシケンという漢字を突然忘れてしまった! シケン?しけん?SIKENN? @&※? 考えれば考えるほど解らなくなっていく。こんな事で時間をとられてはいけない!うーん カタカナで書くか。とそのとき、机の左上に置いてある受験票が目に入った。そう、そこには「技術士試験受験票」と書いてあった。許可されて机上に置いてあるのだから、これはカンニングではないだろうと、どうでもよい心配事に勝手な理由付けをして、残る紙面を埋める作業を続けた。

4枚目を書き終えた時、時計を見ると後30分になっていた。あと1枚、なんとか頑張れば出来る!。最後の一枚に取りかかると、隣りの K@? がペラペラと紙をめくる音が聞こえてきた。彼は、もう出来たらしく、読み返しているようだった。周囲からは、解答を書き終えた受験者が退場していく足音が聞こえてきた。「もう少しだから、そのまま座っていてくれ」と隣の K@? に心で叫んだとき

K@? が退場の準備を始め、手を挙げて係員を呼んだ。

仕方がないので、また立って彼を出してやり、急いで座ってまた書き続けた。しばらくすると試験官が何か喋り始めた。そろそろ終わりの時間が近づいてきたらしい。あと少しだ、もう少し待ってくれ! 時間よ止まれ! あと、3行 , 2行 , 1行

できた―〜\(^^)/

時計を見たら、五分前だった。辺りを見回したらまだ半分位の受験者が残っていた。終了時間直前は退場出来ないので、まだカチカチとやっている受験者を優越感にしたりながら眺めて指示を待ち。係員の終わりの合図と同時に立ち上がって、出口付近に設けられた問題と解答用紙を入れた封筒の提出所へ行き、

私の力作をしっかり読んでください

そう、心で呟きながら封筒を提出した。

昼休み

外に出て弁当を食べる場所を探したが、適当な場所が見つからなかったため、試験会場の自分の席で食べようと中に入ったら、Y氏を見つけた。午前の部の結果を聞いてみると

「あかんわ」

と言っていたが、そのわりには、早めに退場してもう弁当を食べてきたとのことだった。これから弁当を食べる私に

「午後の部で眠くなるから、あまり食べ過ぎないほうがいいぞ」

と、ありがたいアドバイスを与えてくれた。「子供じゃないんだから」と思いつつも、3個あるおにぎりの明太子と鮭の二つを食べ、カレーはしぶしぶ諦めた。ペットボトルのお茶を飲みながら「量はともかく、辛いものばかりだったなあ」と、遠足気分でおにぎりを選んでいた自分を反省していると、コンサル時代の先輩(というか、栄のネオンの下で遊んだ仲間)のK氏がやってきた。彼もこの試験に関してベテランだった。

「どうだ、調子は」

との、彼の問いかけに、

「ばっちりです。いっしょに面接試験受けに東京に行きましょう」

と答えると、

「一人で言ってこい、おれは名古屋駅で見送ってやるから」

と頼りない返事だった。

「それより、今晩、どうするの?」

嬉しい誘いだった。

「いきましょう」

と答えたかったが、昨日の空白の時間への反省から、誘いは断った。

 

午後の部

午後の部開始15分ぐらい前から、午前中と同じような試験に関する注意事項の説明が始まった。午前の部で既に結果を出してしまった受験者もいたようで、空席がちらほらと見受けられた。係員の説明を聞きながら、ふと隣を見ると

K@? が いない

午後の部、放棄なのか。彼のために止められた時間、苛立ちは何だったんだ。そんなんだったら、トイレから帰ってくるな!。腹立たしく思いながら配られた答案用紙の枚数を確認していると

K@? が 現れた

どうも、ルールの守れない人間らしい。こんなルーズな受験者も、私のようなまじめな受験者も、係員の合図と共に一斉に問題用紙を開いた。農業一般の問題を見たら「食料・農業・農村基本法」の文字が見えた。予想的中!。逸る気持ちを抑えて、係員からのアドバイスもあったので、先に10枚程ある全ての答案用紙に、受験番号、問題番号、技術部門、選択科目、専門とする事項を書き込んだ。これがなかなか面倒な作業だった。全てを書き終え、まずは、目をつぶっていても書けそうな「農業一般」からと思い問題を読むと

「食料・農業・農村基本法」の施行に伴い…(途中覚えていない)、次の設問のうち1つを選んであなたの意見を述べよ

となっていて、その下に4つ程選択項目があった。

予想は的中していなかった

原稿として用意していものは、「食料・農業・農村基本法」の4つの理念のそれぞれについて説明し、意見を述べる形でまとめていたが、その中の1つで4枚の答案用紙を埋めなければならなかった。とりあえず、話題性があり、一番書きやすいと思われた「多面的機能」に関するものを選択し、原案にかなり肉付けしながら書いてみたが、2枚書くのがやっとであった。何とか埋めなければと頑張ってみたが右腕は動かない。某氏のHPに、一般問題のウエイトは少ないとの記述があったことを思い出し、専門の選択問題を先にやる事にした。

選択T 農業土木技術の役割と今後の展開について

を述べる問題で、幾つかの選択項目があったが、書けそうな項目の「農業・農村の持つ国土保全・環境保全機能を維持…」を選んだ。この内容での原案は用意してなかったので、これも「多面的機能」に関して用意していた原案を強引に利用して、まだ残している「農業一般」への時間配分を考えながらペンを走らせた。と、その時

シャープペンの芯が出なくなった

が、大丈夫だった。こんな事もあろうかと、机の上には予備のシャープペンが置いてあった。ちなみに、消しゴムも予備があった。どういう事態を予測したのか自分でも説明できないが、慎重で臆病な性格もたまには役に立つものである。ともあれ、選択Tについては、何とか所定の枚数を書き上げることが出来た。

選択U 調査、計画、施工等について技術上の留意点

を述べる問題で、準備段階でも「ため池」についての原案は容易に作成出来たため、安心していたのだが。問題は列記された専門分野のうち2分野を選んで解答しなければいけなかった。書けそうな選択としては

 農村計画で、混住を目指すとき土地利用上の問題点

 農地防災事業の一つについて技術上の留意点

の2つしかなかった。後者は、農地防災事業の一つにため池改修事業が含まれるため問題は無かったが、前者については何も用意してなかった。ただ、農業一般の原案のなかで、農村の振興において農業従事者と他産業従事者の混住の問題を取り上げていたので、これを元に書き始めたが1枚半ほど書いたとき、自分の書いていることが問題の趣旨から外れていることに気づいた。問題は土地利用上の問題点についてであった。私が書いていたのは、混住に関する問題点だった。

時間も無いので、これはそのままにし、次の「農地防災事業の…・」に取りかかった。これについては内容は原案どおりで良かったが当初これだけで所定の枚数を埋めるよう準備してあったので。先に書いた分の字数を減らさないと紙面が不足してしまう。それをいちいち数えている暇もないので、適当に省略しながら書き進んでいたら

1枚余ってしまった。

まだ少し残っていたペットボトルのお茶を飲み干し、深呼吸をしたあと残る1枚に書くべき内容を考えてみたが、何も浮かんでこない。(後で気づいたのだが、原案作成段階で必要枚数を、間違えていたようだった)

仕方なく、これも諦めて、残してあった「農業一般」に戻ってみたが、あと2枚を埋めるだけの知識はなかった。

隣の k@? が 答案用紙を封筒に入れ始めたようだった。どうやら彼は仕上がったらしい。彼は手を挙げ、試験管の許可を受け立ち上がった。今回は何の躊躇いもなく彼を通してやった。時計をみるとあと30分程だった。この時間で残された紙面を埋めるのは無理だった。

暑く燃えた夏は、このとき終わった。

辺りを見回すと、S氏やY氏の姿はなく、残っている受験者は数少なかった。まだ必死に書いているものもいれば、頭を抱えて考え込んでいるものもいた。この人達はこの試験のためにどんな準備をしてきたのだろう。あの白髪のオジサンはどう見ても50代後半だけど頑張っているなあ。そんなことを考えながらしばらくボーとしていが、出口部の混雑を考えて退場する事にした。出口部で答案用紙の入った封筒を所定の箱に入れたとき、係員から手渡された「筆記試験受験者へのお知らせ」に口頭試験の日程が書かれていたが、自分には関係のない内容だった。

外に出ると、西に傾いた太陽の日差しはまだまだ暑かったが、並木の緑葉を揺らすそよ風が秋の訪れをほのめかしていた。今朝来た正門へ向かう坂道を、会話楽しげに上っていく学生達を横目に、重い足取りで下っていく私の脳裏には、ごみ箱に捨てたはずの妻の言葉が戻っていた

「試験、頑張ってきてね」

昼休み、K氏の誘いを断ったことを後悔しながら地下鉄の階段を下りていった。

 

そして

 そして今日、11月8日 筆記試験合格発表の日にやっとこのページを書き終えることが出来た。アクセスが多いらしく、なかなか開かない日本技術士会のHPから、やっと現れた合格者受験番号の中には、やはり私の受験番号はなかった。来年から受験条件が大きく変わるらしいが、経過処置として2年の猶予があるようだ。本日届いた受験支援講座のパンフレットには「今年の筆記試験に合格されなかった方もまだ大丈夫です」とは書いてあったが、今回の体験で、あと2回のトライアル回数がいかに少ない数であるかを知ってしまったような気もしている。それにしても、合格者のなかに私の一つ前の受験番号があったのだが、私の前の席か、後ろの席か、それとも…

やはり、隣の……