2004年を振り返る

金が無い

年度末業務の受注を控えたせいか、5月ころから通帳がマイナスになった。遅れていた手持ちの仕事が終わればマイナスはなくなると思っていたが、客先の都合で仕事を終えることができず、マイナスは増える一方だった。
借り入れ限度額に近づいた頃、定期預金を解約して赤字補填したが、その後の仕事も少額のものばかりで通帳は再び減少していった。

こんな状況をみて、妻がパートに出ると言い出した。情けなかった。
自分の力だけで家族を養いたかった、しかし、この先、安定した収入の得られる保証は無い。邪魔なプライドは捨てるしかなかった。

現金収入が欲しかったが何も出来ることが無かった。そこでYAHOOオークションを始めた。
専門書を出品したら売れたが大した金にならなかった。しかし、物を「売る」ことが楽しく思えた。
事務所の中を探しまくり、忘れられていたカーブ定規とプラニメーターを見つけた。こんな物を今時使う者はいないと思ったが、試しに出してみたところ予想外の値段がついた。プラニメーターを落札したのが測量会社をやっている人であったことも意外であった。今でもプラニメーターで面積を測っているのだろうか。
事務所には使わなくなったパソコンも放置されていた。パソコンリサイクル法により処分するにも金が掛かる。処分費だけでも浮かそうと出品したら、これも売れた。数千円の売上げに喜ぶ自分が哀れだった。

噛み合わない歯車

 去年は地区の仕事が忙しく、時間的に無理な仕事は断ってきた。今年は去年の減益を補うためにも多少無理な仕事も受ける方針でいた。

しかし

 急ぎの仕事の依頼があった時、遅れていた仕事を急がされている真っ最中であった。

 業務依頼の電話があった直後、他社からも業務依頼の連絡があり、後者を断ったら、先の業務が流れてしまい、手空きになてしまった。

 業務の打ち合わせ時、関連の次の業務を打診され、やるつもりで資料収集や現地調査の準備までしていたが、都合で出せなくなったとのメールで、この業務は終わってしまった。やってみたい仕事であった。

今年は、仕事の受注の歯車がかみ合わなかった。これは今年だけのことなのか、こういう時代になったのか・・・。これについては定かでない。いや、定かにしたくない。


新規の顧客

メーカーから依頼のあった業務で、初めて技術士の名を掲げた仕事をした。今後は製品の開発や営業活動に技術的な裏付けが必要になってくるとの事だったので、技術顧問契約を提案したが、却下された。業界関連企業はどこも、生き残りの模索はしているが、金銭面の余裕は無いようだった。

インターネットで知ったと言う方からの業務依頼が、2社3件もあった。ホームページやVCCを通して以前から知っていてくれたらしく、打ち合わせに行っても初めてとは思えない対応であった。
今年契約を受けた業務は2件だが、最近では珍しく、満足のできる契約金額であった。

ネットで売れたのは、カーブ定規やプラニメーターだけでなく、自分自身もであった。カーブ定規やプラニメーターと同様、自分にもまだ利用価値があり、それなりの値段が付いたことが嬉しかった。

黒部の太陽

 秋に地区の自治会役員の旅行で黒四ダムへ行った。大学1年の夏休みに一度行った事があったが当時の黒四ダムは自分の将来に夢を与えてくれた。今回は違う思いで、当時と変わらぬ景色を眺めていた。

 公共事業の縮小、ダム不要論が叫ばれる現在であるが、土木の仕事が映画になった時代があった。この映画「黒部の太陽」に刺激されて土木の世界に入った者も多い筈だ

 しかし今は、土木技術の存在価値を模索する時代になっている。 黒四ダムは自然生態系や景観への配慮など考える余裕のない過酷な条件の中で計画された。しかし、 社会の要望に応えるため、命がけで作り上げた巨大な構造物は、自然と人間の共存の姿を、美しく醸し出していた。

 土産物売り場でプロジェクトXのDVDを買った。ダムの仕事に携わったことはない、全身全霊を込めた仕事をした事もない、それでも、学生時代に夢見て叶えられなかった感動が味わって見たかった。

黒四ダムのプロジェクトXはテレビで見ていなかったので、このDVDで初めて見た。感動した。
難工事を克服した努力を讃えるキャスターの言葉に
「工期内に仕事をきちんとやる、これが我々の役目なのだから」
ダム本体工事に携わった現場監督は、こう答えただけだった。
90歳を越えた老人の姿は 今も尚たくましく輝いていた。




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